『月窟』

byつう

 ACT 4〜月窟編〜



 雲の国へ送り込んだ間者が、消息を断った。草と称される諜報員と接触した直後だった。
 火影の館の文庫で、カカシたちはとある極秘任務のための会合を持った。
 雲の国をつついて、攪乱させる。そして、その機に乗じて行動を起こすであろう岩の国の忍を、できるだけ多く始末しよう。
「ふーん。いまのうちに、間引いとこうってわけか」
 アスマが言った。
「仕上げをするのは、あなたですものねえ、カカシ?」
 紅が、唇の端を持ち上げる。
「そ。だから、協力してくださいねー」
「一石二鳥、いや、三鳥だな。あいつらを連れていくんなら」
 アスマはにんまりと笑った。
「けど、またあの先生に文句言われるぞ」
 カカシは、ちろりとアスマをにらんだ。
「あいつらは俺の部下だから、だれにも文句は言わせないよ」
「へいへい。余計なお世話でした」
「じゃ、そういうことで、よろしく」
 紅が、席を立った。彼女は今夜のうちに雲の国に入り、捕縛された間者を奪い返すことになっている。一方、カカシとアスマは連携して、後刻、動くであろう岩の国の忍を誘い込む作戦だった。
「うまいこと、やったねえ」
 煙草をもみ消して、アスマは言った。
「なんの話だ」
「とぼけなさんな。雲の国でとっつかまったやつのことだよ」
 カカシはわずかに眉を上げた。
「あの先生の教え子だろ、たしか。しかも三代目に命じられて、自分がリストを作ったんだ。いまごろさぞかし、心を痛めてんだろうねえ」
 ガン、と大きな音がして、卓が真っ二つに割れた。アスマは瞬時に飛び退いて、防御の態勢をとった。
「おいおい。文庫の中で、こりゃあんまりじゃねえか」
「やかましい」
 さらに技を繰り出そうとするカカシに、アスマは構えを解いた。
「……殺されたいのか」
「まさか。全面降伏だよ」
「殺すよ」
「いまのおまえにゃ、できないね」
 アスマは無防備なままで、言った。
「大事なんだろ。あの先生のことが」
 ああ。大事だよ。ほかのなによりも、自分よりも。
 カカシは拳を下ろした。
「だったら、もうちっと大切にしろや」
 新しい煙草をくわえて、火をつける。
「あの先生のことも、自分のことも」
 のったりとした足取りで、アスマが文庫を出ていく。
 無惨に壊れた卓の前で、カカシはしばらく立ちすくんでいた。





 大切にしたいと思う。しかし、どうすればいいのだろう。
 自分はイルカを力ずくで奪った。抵抗しないのをいいことに、ずっと蹂躙し続けている。
 ときおり垣間見えるイルカの内面が、かろうじて自分を夜叉に変えるのを抑えているのだ。ほんの少しの笑みや、自分の名を呼ぶ声が。
 ほしくて、ほしくて、手に入れた。でも、それは一時のことに過ぎなくて。
 体をはなせば、また不安になってしまう。もう戻ってこないのではないか、と。
 どうどうめぐりだ。いつも。求める心には、きりがない。
 夕刻、カカシは事務局を訪れた。終業時間にはまだしばらくあったが、イルカはもう片付けを始めていた。
「今日は、早仕舞いですか」
「あ、いいえ」
 イルカが顔を上げた。まっすぐにこちらを見る、黒い瞳。
「なにか、ご用ですか」
 柔和な顔の奥で、彼はなにを考えているのだろう。
「いや、べつに、ここには用はないんですけどね」
 ほしいのは、あなただけ。
 あなただけに、応えてほしい。
「……わかりました。あとで、伺います」
 ほんの少し、彼が笑ったような気がした。本当に、わずかだが。
 カカシはそれを信じたがっている自分に気づいた。そんなことが、あるはずもないのに。





 イルカが湯を使っているうちに、カカシはもうひとつ杯を用意した。
 先日、イルカの家に行ったときのように、二人で杯を重ねたかった。彼がそのまま、寝入ってしまってもいい。朝まで、ここにいてくれるなら。
 イルカが座敷に戻ってきた。カカシは杯を差し出した。
「飲みましょうか」
「……いただきます」
 イルカはおずおずと、杯を受け取った。
「なにか、あったんですか」
 酒を口に運びながら、イルカが言った。
「なにか、とは?」
「いえ、その……いつもと様子が違うので」
 たしかに、そうかもしれない。イルカはいままで、ここで飲み食いしたことはない。自分もそんなことを考えもしなかった。
 彼は、抱かれるために来ている。自分は、抱くために呼んでいる。そういう暗黙の了解があったから。
「そうですかねえ」
 カカシは言葉を繋いだ。
「ま、機嫌はいいですけど」
「は?」
「だって、久しぶりにイルカ先生が来てくれましたし」
 イルカの手が、わずかに震えた。杯が、そっと膳に戻される。
「どうしました?」
「もう、結構です」
 なにやら、拗ねているようにも見える。
「口に合いませんでしたか、この酒は」
「いいえ、そういうわけでは……」
 困ったように、言い募る。
「落ち着きませんか」
 いつもの俺でないと。
 心の中で続けた言葉が届いたのだろうか。イルカは下を向いた。
 膳を脇にやって、イルカの夜着に手をかける。
「それじゃ、始めましょう」
 カカシは宣言した。



 イルカは自分を許さないだろう。たとえ、その身をすべて委ねたとしても。
 だから、そのことだけでいい。もう、それだけで。
 自分には、それが相応だ。人の心など、はじめから持っていないのだから。



 体中に、跡をつける。これは全部、俺のものなのだ、と。
 一瞬たりとも、忘れないように。どこにいても、思い出すように。
「やめて……ください」
 細い声がした。イルカは唇を震わせて、横を向いている。
「そこは、やめてください」
「じゃ、どこならいいんです」
 耳の下に唇を這わせながら、カカシは訊いた。
「言ってください」
「そんなこと、言えません」
「それじゃ、勝手にさせてもらいます」
 カカシはイルカの首筋を強く吸った。イルカの体が波打つ。
「そろそろ、いいですか」
 いつものように訊ねる。イルカは小さく頷いて、ひざを上げた。
 吐息とともに、声が漏れる。そこは、たしかに待っていた。自分が訪れるのを、いまかいまかと。
 カカシはその場所に深く入り込み、イルカの内部を食い尽くした。





 達したあと、イルカはしばらく身じろぎひとつせずに仰臥していた。視線は宙をさまよい、わずかに開いた唇からは乱れた息がこぼれている。体中に花弁のような紅い跡を散らして、忘我の境地にいるかのように。
 額に、首筋に、黒髪が張り付いている。カカシはそれを、そっとかきあげた。
「湯を……お借りします」
 半分、夢の中にいるような様子で、イルカは言った。
「どうぞ」
 カカシが手をはなすと、イルカは夜着をたくし寄せて立ち上った。
 足元がふらついている。少し、焦らしすぎたかもしれない。しかし、そうせずにはいられなかった。イルカにも、自分を欲してもらいたかったから。
 もう少し、こうしていようか。イルカの温もりが残っているうちは。
 カカシはふたたび夜具に横たわった。



 かすかな、衣擦れの音。
 カカシは意識を取り戻した。
 自分は、眠っていたのか……。
 目を開けようとして、カカシは異常な殺気に気づいた。どくどくと叩き付けるような鼓動。自分に注がれる、痛いほどの視線。
 ああ、そうか。
 カカシは納得した。
 イルカだ。イルカが、いま、自分を殺そうとしている。
 目を閉じているので判然とはしないが、おそらくクナイを構えているのだろう。
 ……ばかだねえ。そんなんじゃ、俺は殺れないよ。
 起き上がって、クナイをはたき落とすのは造作もない。そしてもう一度、イルカの体を嫌というほど責めることも。
 そうだ。自分は、いつだってイルカを殺せる。こんなに殺気を感じさせることもなく、きっと笑って、殺すだろう。
 だれかに、なにかに、奪われるくらいなら。
 そうすれば、自分だけのものになる。もうはなさない。全部、俺のものになる……。
 殺そうかな。ふと、そんな思いがよぎる。
 ああ、でも、それよりも……。
 このまま殺されて、イルカの中に残るのもいい。イルカのことだ。自分が手にかけた相手は忘れまい。彼の心の底に入れるのならば、それもいい。
 どっちでもいいですよ。俺は。
 なにをそんなに迷ってるんですか。さあ、早く。
 カカシはイルカの刃を待った。が、それは、カカシを切り裂くことはなかった。





 イルカが帰っていく。
 いつものように、座敷の隅で礼をして。
 目を閉じていても、それぐらいのことはわかる。玄関の戸が閉まる音を聞いてから、カカシはゆっくりと起き上がった。
 先刻までイルカが着ていた夜着が、枕元にきちんとたたんで置いてある。カカシはそれを手に取って、ぎゅっと抱きしめた。




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