約束 byつう ACT2 火影の館は、中忍以上の忍が日夜厳重な警備を行なっている。 とくに奥殿と呼ばれる火影の私邸は、二重三重の警備網が敷かれていた。 「あーあ、残念だなあ」 牀の横で、気の抜けたような声がした。 したと言っても、ほんのわずかに空気が震えるほだけの、常人にはほとんど聞こえないぐらいの声であったが。 「こんなときでなきゃ、じいさんの首、獲れたのに」 「たわけ」 火影は、牀の上にむっくりと起き上がった。 「わしの首を獲ろうなどと、百年早いわ」 「あー、前んときもそう言ってたじゃん。だったら、今度は九十三年ぐらいでしょーが」 「細かいことを言う男じゃな」 「大雑把なことやってたら、いまごろ足、ついてないよ」 暗闇の中で、軽口を叩く。火影は、くつくつと含み笑いをした。 「なるほど。道理じゃ」 薄い幕をはさんで、二人は向かい合った。侵入者はさらに一歩近づいた。 「ちょっと、押し売りに来たんだけどさあ。じいさん、買ってくれる?」 「善意の寄付かと思うたがのう」 「うっわー、がめついでやんの」 男は、がしがしと頭をかいた。 「そんなこと、言ってていいのかなあ。このままだと、あと二日ももたないと思うんだけどなー」 「わかっていて、なにゆえ御身が行かぬ」 「あらら、行っちゃってもいいわけ? んなことしたら、オレ、いただいちゃうよ」 にんまりと、男は笑った。 「それでもいいんだったら、行くけど」 ふいっと横を向く。火影は牀から下りた。 「事の運びが上手くなったのう、朱雀」 「やめてよー、その名前は。背中がむずがゆいったら」 ひらひらと手を振って、朱雀と呼ばれた男は言った。 「なんかさあ、いいヒト、いるらしいじゃん。すっごい楽しそうな顔して、帰っていったから、ちょっとお節介もいいかなーと思って」 「御身が、お節介とな」 ふたたび、火影は低く笑った。 「それでは、あれを手離すわけにはいかぬのう」 「やったあ。んじゃ、ここまでの日当と危険手当、よろしくねー。情報料は、サービスしとくから」 「日当はわかるが、危険手当というのはなんじゃ」 火影も結構、細かい。 「えー、だって、ここまでくるの、たいへんだったんだから」 「御身ほどの男が、これしきの警備をくぐれぬとな?」 自分が指揮している警備を「これしき」と言い捨てる。それだけ、目の前にいる男の力を買っているのだろう。 「殺っちゃっていいんだったら、そりゃ、簡単だけどさあ。だれにも気づかれずに来るのって、難しかったよおー」 拗ねたような声で、男は言った。火影は頷いた。 「で、いかほど入り用じゃ」 「言い値でオッケーなの? うわ、ラッキー」 男は、こそっと金額を言った。火影は枕元の小箱から布袋を出した。 「すまぬ」 「へっ。なんで」 「御身の立場を、危うくしたのではないか」 「ばっかじゃねえの。もうろくしたねえ、じいさん」 男はくすくすと笑った。 「オレはねえ、楽しいことしか、しないの。で、いま、すっごく楽しいわけよ。だから、ノープロブレムなの」 男は火影から金子を受け取り、自分の所持している情報を伝えた。 「猶予はないよ。できるよね」 「うむ。たったひとりだけ、それを為しうる者がおる」 「だと思ったんだー。もし、そいつが間に合いそうになかったら、オレ、いただいちゃうよ」 「是非もないのう」 「幸運と不運と、両方祈ってるよ」 それだけ言って、男は火影の寝室から消えた。 火影は灯明を点けて、側仕えの者を召した。 吹雪は止んでいた。 しかし、現在地を正確に把握するには至らない。見晴らしのいい尾根に辿り着いたものの、結局は下山の道を見つけられなかった。 まあ、いいか。ここなら、見つけてもらえる。 イルカは石を集めて、自分の体の周りに置いた。自然ではありえない配置にして、捜索に来た者にわかりやすいように。 もう、これぐらいしかできない。自分が死んだあとのことを考えるしか……。 空は異様なぐらい青かった。雪の上に仰臥して、イルカはその空をながめた。 夜には、死ぬんだろうな。 ぼんやりと、そんなことを考える。もう食料も燃料もない。このまま日が落ちれば、間違いなく凍死するだろう。 自分は、忍である。いつ命を落とすかわからない危険な仕事に就いていながら、イルカはいままで、自分が死ぬときのことを考えたことがなかった。 未練が、なかったからかもしれない。 自分がいなくなっても、なにも変わらない。しばらくは自分を覚えている者もいるだろうが、生きている者にとっては生きている時間が大切なのだから、過ぎ去った者のことは記憶の彼方に消えていく。 肉親でさえも、そうなのだ。ふだんはまったくといっていいほど、忘れている。そして、必要なときにだけ思い出すのだ。自分のために。 自分が生きるために、思い出す。 薄情なのだろうか。自分は。 しかし、そうしなければ生きていけなかった。いなくなった者たちに思いを残したままでは、立ち上がることさえできなかった。 だから、自分は記憶の奥に封じた。愛しい人たちを。 封じられるだろうか。あの男に。 自分の存在を、過去のものとすることができるだろうか。 『俺より先に、死なないでくださいね』 すがるように言った、あの言葉。 『あなたがいなくなるかと思うと、恐くて、寒くて』 恐い? あの男が、残されることを怖れるなんて。 イルカは、ばっと起き上がった。 駄目だ。このままでは。 自分は、約束をしてしまったのだ。あの男と。 帰ります。必ず。 そう言って、指切りをした。約束の証しとして。 「じゃ、この指は、俺のもんですね」 カカシはうっとりと、イルカの小指を口に含んだ。 「嘘ついたら、針千本じゃすみませんからね。この指、貰いますよ」 この男の場合、冗談ではすまないだろう。イルカは微笑した。 「いいですよ。あげます。あんたに」 迷いはなかった。言葉のあやではなく、本当に。 そうだった。自分は、「必ず」という言葉を使ったのだ。 死ねない。まだ。 あの男に、自分がいなくなったあとのことを納得させるまでは。 イルカは尾根伝いに歩き始めた。日が落ちるまでに、風雪を防ぐことのできる場所へ移動しなくては。できるだけ、早く。 尾根の形状とここから見える風景で、ようやく現在地を推測することができた。地図上では、あと山をひとつ越えれば、小数民族の住む村があるはずなのだ。 食料もなく、山越えが可能かどうか疑問であったが、このまま動かなければ確実に死ぬ。 おかしなものだ。だれにも見つけられずに死ぬのが嫌でここまで来たのに、今度は死ねなくなってしまった。 生きたいと思う。いまは、心から。 未練などなかったはずのこの世に、たったひとつ、置いていけないものができてしまった。 それは、あの愛しい命。自分がいなくなったあと、果てしなく壊れつづけ、狂いつづけるであろう魂。 『鬼にならずにすみそうです』 あれは、石榴の季節だった。まるで儀式のように肌を合わせて、あの男はそう言った。 『あなたがいてくれれば、俺は……』 あのときのカカシの顔を、忘れることができない。いや、それだけではなく、どんなときの顔でも。 帰ります。必ず。 この指に導かれて。 音もない白く広い世界を、イルカはただ、生きるために歩きつづけた。 ACT 3へ |
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