散華 byつう
ACT6〜森の国〜
歩くのが、やっとの状態だった。
そんなセキヤを送り出したあと。加煎は不眠不休で、国内はもとより雲の国をはじめとする近隣諸国との折衝に当たっていた。
むろん、ひとりですべてのことを為せるわけではない。いわゆる「朱雀」の組織の設立当初からいた仲間を中心として、いくつかの班を作り、それぞれに策を託す。現場での判断は、もちろん各班の長に一任した。
できることは、すべてした。考えうる限りのことを。
久しぶりに王城内の私室に戻り、加煎は息をついた。
『んじゃ、行ってくるわ』
いつも通りの口調で、セキヤはそう言った。横になったまま移動できるように、特別に作らせた輿に乗って。
木の葉の里まで、長い行程である。セキヤの体力がどこまでもつか、不安はあった。が、どうしても直接、五代目に会いたいというのなら、それを止めることはもう、できなかった。
『すべて、御心のままに』
あの日。
加煎は心を決めた。セキヤの望みはすべて叶える、と。
ずいぶんとかかったものだと思う。セキヤのことを第一に考えていたくせに、セキヤをいちばん大事に思っていたくせに。自分は結局、セキヤの翼を縛っていただけではないか。
嫉妬していたのかもしれない。いつでも自由に飛べるセキヤに。そしてそれを、なんの迷いもなく受け入れている刃や醍醐に。
いまになって、やっとわかった。どれほど遠くに飛ぼうが、セキヤが還ってくるのは仲間たちのいる場所だった。セキヤが一から作り上げた、自分の城。
どうして、もっと早くに気づかなかったのだろう。信じられなかったのだろう。幾度も、セキヤは伝えてくれていたのに。そのときどきに真摯な心を向けて。
『ずるいよ、おまえ』
『オレが、おまえらを捨てられないと思って……』
『ばかだねえ』
『長い付き合いなんだからさ。もうちっと、オレを信用してよ』
『おまえ、そんなにつらいの』
言葉の数々が甦る。
『だったら、オレがおまえを殺してやるよ』
うれしかった。もう、これで十分だと思った。だから……。
ガタン、と窓が揺れた。同時にバサバサと、大きな羽音。加煎は思考を中断した。
玻璃の窓辺に、鷹が降り立つ。
「……来た、か」
手に、ぐっと力が入る。鋭い音がして、扇が折れた。
休んでいる暇はない。セキヤが帰ってくるのだ。自分たちのもとへ。
つい、と長衣の裾を捌き、加煎は窓辺へと向かった。
木の葉の里へは、醍醐が出向くことになった。随員として、近衛府と衛士府から数名が同行する。その中には、醍醐の養子である民武と義単もいた。
「王城に入るまでは、崩御のこと、決して外に漏れぬようにしてくださいね」
加煎が念を押す。
「わかっている。余計な混乱は避けたいからな」
醍醐は往復の行程を確認した。
「よろしくお願いします」
「まかせとけ」
醍醐は五代目への親書が納められた文筥を手にした。それを脇に抱え、もう一方の手で加煎の肩を掴む。痛いほどに、強い力だった。
「……なにか?」
「ちゃんと、待ってろよ」
俺が戻るまで。
言外の声が、耳に届く。加煎は切れ長の目を細めた。
「ええ。もちろん」
心配には及びませんよ。心の中で、続ける。
私はもう以前の私ではない。セキヤのいない世になんの未練もなかった、あの頃とは違うのだから。
しばらく、醍醐は加煎を見つめていた。
「……そうか」
やっと納得したらしい。手をはなして、姿勢を正す。
「拝命する」
「よしなに」
ふたりは儀礼の際のように礼を交わした。
木の葉の国と森の国の連携によって、森の国の国主の崩御はそののち十日あまり、公にはならなかった。
木の葉の国から王城に赴いた木の葉丸と、ガイ、エビスの両上忍は、五代目火影の名代として十分に役目を果たし、国主の送り儀(葬儀)にも参列した。
森の国は、国主の崩御に関してその事実のみを発表し、詳細には触れなかった。すなわち、死因や崩御の場所や日時などである。
それによって、いろいろな憶測が乱れ飛んだ。が、どれも明確なものではなく、噂好きな庶民たちも、やがてはその話題を口にすることもなくなった。
初代国主の没後、森の国はあえて国主を置かなかった。これは、初代の生前から五家七公と称される重臣たちが、合議によって国政を与る体制ができていたからであろう。
興国を為した英傑の死後、国が傾くことは古来よく見られるが、少なくとも森の国に関しては、その心配はないようだった。
後年、諸国は森の国を称して「小さな大国」と呼んだ。国土は狭いが、その影響力は強大なり、と。
初代がその話を聞けば、どのような感想を漏らすだろうか。それは、だれにもわからぬことだった。
王城から山をふたつばかり越えたところに、小さな村があった。
かつてセキヤが「泥棒と人殺しの巣」と呼んだ、隠れ里である。
浅い春。地面にはまだ雪が残っていたが、光だけはきらきらと明るく輝いて、雪の白さをさらに清冽に映していた。
ざくざくと、雪を踏む音。
長い黒髪をうしろで束ねた男が、炭焼き小屋も兼ねた庵に向かって歩いている。見覚えのある小屋を認めて、男はほっと息をついた。
「あれ……?」
排気口から、ゆらゆらと煙がたなびいている。
だれかいるのだろうか。ここしばらく、この村は無人になっていたはずだが。
男は警戒しつつ、戸口に立った。
「お入りなさい」
中から、玲瓏な声。男は驚いて、戸を開けた。
「……加煎」
「遅かったですねえ。私たちより早くに城を出たくせに」
「先に一杯、やってるよ」
醍醐が薪をくべつつ、言った。刃はふたりを見比べて、
「どうして……」
「どうしてとは、ごあいさつだな」
「一年ぶんの休みを、まとめて取ったのですよ」
扇を揺らしながら、加煎は微笑した。
「あなたも、そうでしょう?」
「そうだけど」
「骨休めをするなら、ここだと思ってな。俺たちも来たってわけだ」
「……内務尚書と軍務尚書が同時期に城を離れるなんて、よく『七席』が認めたね」
「七席」とは、森の国の重臣会議の通称である。
「なあに、慶臣や民武に委任状を渡しておいたから、なんの問題もないだろ。あいつらにも仕事をさせてやらにゃ」
醍醐の養子たちは皆、各部の重要な役職に就いている。
「そうですねえ。そろそろ、楽隠居といきたいものです」
そんな気はさらさらないだろうに、加煎はしみじみとそう言った。
「ところで、いつまで突っ立ってんだ? 寒いから、早く戸を閉めろ」
「大根汁を作ったんですよ。一杯、いかがです」
「酒もあるぞー。城の厨房からくすねてきた」
「……あいかわらずだね」
刃は笑った。
ほんの少し、休もう。あたたかくて、やさしくて、懐かしいこの場所で。
少しだけ休んだら、また歩き出せる。
セキヤとともに。きっと、また。
光の春が満ちる中、庵の戸が静かに閉められた。
(了)
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