散華   byつう






ACT4〜房の中〜



 奥殿の一室で、セキヤは昏々と眠っていた。
 庭で倒れてから二刻あまり。五代目は暗部研究所の医師を手配してくれたが、その到着は明け方ごろになるようだった。
 刃は枕辺にすわったまま、すっかり面変わりしたセキヤの寝顔を見つめた。たとえどんな姿になろうと、そのすべてを見続けよう。セキヤの側にいられるしあわせを噛み締めて。
『セキヤを、頼む』
 王城を出るとき、加煎が言った。
 なによりもセキヤが大事で、セキヤのためにならぬものはことごとく切り捨ててきたこの男が、はじめてその信念を曲げた。以前なら、こんな状態のセキヤが他国へ赴くなど、決して承知しなかっただろう。しかし。
『すべて、御心のままに』
 そう言ってセキヤの手を額に戴いたあの日から、加煎は変わった。
 どんなことがあっても、セキヤの望みを叶える。たとえそれが、セキヤの寿命を縮めることになったとしても。
『貴様に頼み事をするとは思わなかったが』
 素のままの口調。刃は頷いた。
 内務尚書という地位に就いていなければ、加煎も同行しただろう。が、対外的な問題もあり、それはできない。
 いまごろ加煎は正殿で、今後の段取りを考えているはずだ。
 今後。すなわち、「朱雀」が没したあとのことを。
 一国のあるじが他国で急逝したとあっては、外交問題に発展しかねない。それをなんとか穏便に収めるために、多方面に根回しをしているはずだった。
『人には、分というものがある』
 加煎は、一通の書状を刃に渡した。
『もし、木の葉の里に滞在中に万一のことがあれば、これを五代目に』
『わかった』
 その書状は、いまも懐にある。
 これを五代目に献じたくはない。だが……。
 刃にはもうわかっていた。セキヤの命が、まもなく失われるであろうことが。
「……刃」
 かすれた声。刃は顔を上げた。
「セキヤ……」
 意識を取り戻したのか。それなら、まだ望みはある。
「どうしたのよ」
「え?」
「そんな顔して、さ」
 顔?
「あ……」
 視界が歪んでいる。目尻に熱いものが込み上げてきていた。まばたきをすれば、こぼれるほどに。
「なんか、最初んときみたいねー」
 くすりと、セキヤは笑った。
「……そんなこと、いまごろ思い出すなよ」
 刃は横を向いた。
 最初のとき。セキヤとはじめて会ったとき。
 自分は宿に売られてきたばかりだった。「酒姫」の仕事を強要されて、投げやりになっていた。そんな自分に、セキヤは生きるための手段を教えてくれたのだ。どんな状況にあっても、あきらめない心を。
「……すまん」
 セキヤはそろそろと、夜具の中から手を出した。刃はその手を取った。
 弱々しい手。じんわりと体温が伝わってくる。
「五代目が、暗部研究所の医者を呼んでくれたよ」
「……ムダなこと、するねえ」
 小さく息をつきながら、言う。
「で、いつごろ、来るの」
「明け方には」
「そ。じゃ、まだ時間あるね」
「時間?」
「おまえと、ふたりきりでいられる時間」
 涙が、こぼれそうになった。
 だめだ。どんなことがあっても、セキヤの前では泣かない。まだ泣くわけにはいかない。自分は約束したのだから。ずっとともにいる、と。
「刃」
 掴んだ手に、力が込められる。
「なに?」
「寝てよ」
「え?」
「一緒に……寝てよ」
 やっと聞こえるほどの声で、セキヤは言った。
「なに言ってんだよ、こんなときに……」
「ほしいんだ」
 渇いた唇が、わななく。
「おまえが、ほしい」
 瞳で、唇で、握り締める手で。セキヤは刃を求めた。そしてまた、刃も。





 刃はセキヤに口付けた。深く、熱く、丹念に。
 肩を抱いて、牀に添い伏す。朱色の髪をそっと撫で、唇をわずかに離した。
「……もっと、ほしい?」
「ん。……いや、最高だ」
 うつらうつらとしながら、セキヤは言った。緊張していた体から、徐々に力が抜けていく。
 今度こそ。
 刃は思った。今度こそ、もう……。
 ぎゅっと、上体を抱きしめる。細い体は、刃の腕にすっぽりと包み込まれた。




 感じて。おれを。いま、ここにいるおれを。
 おれにできることは、これだけだ。でも、あんたを想う心は真実だから。
 おれは、あんたのものだ。そしてあんたも、おれのもの。おれの全部が、そしてあんたの全部が、おれたちのもの。
 忘れないよ。セキヤ。
 どんなときのあんたも、おれは忘れない。なにもかもが、あんたと一緒に生きた証しなのだから。



 東の空が、白々と明ける。
 五代目火影が医師を伴って房を訪れたとき、森の国の国主の心音は、完全に停止していた。



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