*この作品は、真也による『終わらない夢 〜暗部編〜』ACT26と連動しております*
錦秋 byつう
急ぎ、森の国へ。
六代目火影である木の葉丸の下知を受け、風はひとり、夜を駆けて森の国の王城に辿り着いた。
先夕、鷹がロック・リーのもとに運んできた密書には、森の国と木の葉の国を揺るがす大事が記されてあった。すなわち、写輪眼の発現である。
公にはしていないが、風には森の国の女衛士とのあいだに二人の子供がいる。第一子は二歳、第二子はついさきごろ誕生したばかりで、まだ二カ月にも満たない。その乳飲み子に、写輪眼が現れたというのである。
「槐樹(かいじゅ)にはいまだその気配もないというのに、まさか蒼樹(そうじゅ)に写輪眼が出るとは……」
苦虫を噛み潰したような顔で、加煎が言った。
「いまんとこ機嫌よくしてるからいいけどよ。うっかりぐずりでもしたら、とんでもねえことになるんじゃないかって、気が気じゃねえんだ」
銀髪黒眼の子供を片手で抱えた醍醐が、語を繋ぐ。
「それこそ、城のひとつやふたつ吹っ飛ばすかもしれねえ。青藍の結界だけじゃ、持たないだろうし……いてて、こら、槐樹、俺の顔はおまえのおもちゃじゃねえぞ!」
「じーじ、こあい。降りゆー」
まだうまく回らない口で、槐樹が訴えた。
「なんだと? さっきは抱っこ抱っこってうるさかったくせに」
「降りゆー。とーたん、抱っこ」
風に向かって、小さな手が伸ばされた。醍醐はため息をつきつつ、
「へいへい。ったく、日頃の恩を忘れやがって」
「大人げないですよ」
加煎が扇を広げて、苦笑した。
「実の親にかなうものですか。ねえ、風」
「……不肖の親だけどね」
槐樹を肩に抱いて、風は微笑んだ。
月のうち、二、三日しか一緒にいられない。そんな自分でも、この子は「親」として認めてくれている。
うれしかった。むろん、それは自分の力だけではない。母親である青藍はもちろんのこと、常に側にいる森の国の人々が、どれほど深い愛情をもって子供たちを養育しているか、風には痛いほどわかっていた。
子供に写輪眼が出たら、木の葉の里に引き取る。
それが、槐樹が生まれた折りに、木の葉と森で交わした密約であった。
「とりあえず、寝殿に防御結界を張るよ」
風は言った。
「封印結界と二重に張れば、もし写輪眼が暴走しても、被害を広げることはないと思う」
「寝殿全体に、ですか」
加煎が訊ねた。
「蒼樹の寝所だけでよいのでは?」
「範囲が狭すぎると、暴発したときに圧力がかかって、かえって危ない。本当は城全部を結界に閉じ込めてしまいたいけど、政務に支障をきたすだろうし、ぼくのチャクラもそれほど大きくはないから」
継続的に二重結界を張りつづけるのは、かなりの体力と精神力を要する。蒼樹の首がすわれば木の葉に連れて帰るつもりだが、それまで、最低でも一カ月はかかる。
「槐樹」
「あいー」
「ぼくはいまから、大事な仕事がある。おじいさまの家で、待ってて」
「おしごと?」
寂しそうな顔。
「とーたん、おしごと? たーたんもおしごとだって。カイ、お留守番?」
この二日ばかり、槐樹は青藍や蒼樹と離されて、醍醐の家にいた。万が一、写輪眼が発動したときのことを考えての処置だったが、二歳の幼児には母親と離れるのはつらいことだ。
風は槐樹を床に降ろした。いまにも泣きそうな顔。父親ゆずりの黒い瞳が風を見上げる。槐樹がなにか言おうとしたとき、房の扉が開いた。
「風、急いでくれ」
つかつかと中に入ってきたのは、刃だった。
「青藍が倒れた」
蒼樹に写輪眼が現れてから、不眠不休で結界を張っていたのだ。産後の体に、その負担は相当なものだっただろう。
加煎が無言のまま、房を出ていく。おそらく青藍の治療に向かったのだろう。風はひざを折って、槐樹を抱きしめた。
「行ってくるよ」
いつもより、低い声。槐樹はぎゅっと唇を結んで、頷いた。
「じゃ」
風が立ち上がったとき。その場に、異様な気が満ちた。なんとも言えない圧迫感。空気が微妙に歪んでいる。
それに、最初に気づいたのは刃だった。じっと床を見つめたままの、銀髪の幼な子。
「槐樹……」
かすかに驚きの混ざった刃の声に、風はふたたび我が子に目を遣った。そこには。
いままで、同じ顔の弟の瞳にしか見たことのない、真紅の星が瞬いていた。
「まーさか、槐樹まで持っていかれちまうとはな」
風が槐樹をともなって寝殿へ入ったあと。正殿の典医寮(医務室)で、醍醐は頭をかいた。
「写輪眼ふたりに、風ひとりで大丈夫なのかよ」
「信じるしかありませんね。『うちは』の血を」
青藍の脈拍をチェックしつつ、加煎は答えた。
「槐樹や蒼樹には、青藍の血が半分混ざっています。まあ、いわば雑種ですから」
「やな言い方だな」
憮然として、醍醐。
「犬や猫じゃねえんだぞ」
「そんなつもりで言ったのではありません。単なるたとえですよ。要するに、ほかの血が入っているぶん、子供たちの『うちは』の力は弱くなっているでしょう。ですから、計算上は風ひとりで十分対応できるはずです」
「ふん。計算上ねえ」
ちろりと横を見る。
「人間なんて、計算通りに動くもんじゃねえよ」
「もちろん、そうです」
加煎は青藍の手を夜具の中に戻し、牀の幕を閉めた。
「全部が全部、計算通りに動いていれば、いまごろ私もあなたもこの世にいませんよ」
「……だよな」
セキヤより自分たちが長く生きるなどと、計算外もはなはだしい。セキヤに死に場所を与えられて、充足したまま死ねるはずだったのに。
「孫のような子供たちの心配までしなくてはいけないなんて。まったく、あのときセキヤの手にかかっていた方が、どれほど楽だったか」
セキヤが不治の病に冒されていると知ったとき。
加煎はセキヤを弑逆しようとした。そしてそれを見破られ、セキヤは加煎に小柄を向けたのだ。
『おまえ、そんなにつらいの』
寂しげなセキヤの声。
『だったら、オレがおまえを殺してやるよ。オレが死ぬところを見なくて済むように』
それだけで、十分だった。その言葉だけで。セキヤの手を額に戴いて、加煎は生きる決心をした。セキヤのいない世界を。
「ラクなんざ、できねえようになってんだよ。おまえも俺も」
もちろん、刃も。
「……貧乏くじですね」
「まあ、セキヤに会えただけで、一生ぶんの運を使い果たしたってことじゃねえのか?」
「惚れた弱み、ですか」
「そうそう。あいつはわがままでぜいたくだから、死んでからも俺たちを放してくれねえんだよ」
しあわせそうに、醍醐が言う。加煎も同じように、微笑した。
そうなのだろう。きっと。セキヤが生きていたら為したであろうことを、いま、自分たちはしている。
「……では、軍務どの」
居住まいを正し、加煎は言った。
「今後の寝殿の警備の件ですが」
卓の上に、王城の見取り図が広げられた。
「承ろう」
背筋をのばし、醍醐がそれを見遣る。
「いまよりひと月は、五割増しに。それから、他国の間者にこのことが漏れぬよう、煙幕を張りましょう」
「承知した。そのあたりの細工は、真赭(まそお)が適任だろう」
真赭は醍醐の養女のひとりで、衛士府の要職に就いている。現場に出ていたころは、城下の警備にあたりつつ、情報収集や操作を得意としていた。
「なにとぞ、よしなに」
前内務尚書、現在は内務省後見の地位にある白皙の男は、切れ長の目を細めて長年の戦友を見つめた。
そののち。
風は約五十日に渡って森の国に滞在した。その間、幸いなことに写輪眼が突発的な発動をすることもなく、王城の庭が錦に染まるころ、黒髪黒眼の上忍は、銀髪黒眼の第一子と黒髪藍眼の第二子とともに森の国をあとにした。
暗部研究所での健康診断のあと、彼らが里の郊外にある屋敷に入ったのは、木の葉の里に初霜が下りたころであった。
(了)
『終わらない夢〜暗部編〜』ACT26へ
戻る