紅蓮 byつう
刃が房に入ったとき、少年は牀の上にすわって粥を食べていた。
その顔に表情はなく、匙を運ぶ右手はまるで機械のように椀と口元とを行き来している。左頬に新しい刀傷。すでに傷口はふさがっていたが、それは少年の端正な面に禍々しい影を落としていた。
「風(ふう)」
刃は少年の名を呼んだ。少年はぴたりと手を止めて、顔を上げた。
表情は、やはりなかった。戦いのおりに切られたのだろうか。髪が、左側だけばっさりと短くなっている。
「薬を持ってきたよ」
刃は牀に近づいた。風はふたたび、匙を口に運びはじめた。
少年が粥を食べ終わるまで、刃は黙って、牀の横で待った。
森の国の王城は、その名の通り森に囲まれている。国主の住まいとしては決して広くはないのだが、機能的な美しさを持つ名城と言えた。
「様子はどうです」
王城の正殿の一室で、加煎は訊ねた。刃は小さく首を振った。
「あいかわらずだよ」
「まだ、だんまりか」
醍醐がため息をつく。
「傷はもう、ほとんどふさがったんですけどねえ」
「体じゃなくて、心の方をやられちまったんじゃねえか? なんたって、あのセキヤに闇討ちされたわけだから」
「子供相手に本気を出すなんて、セキヤの気持ちがわかりませんよ」
「だからだよ」
ぼそりと、刃は言った。
「どういう意味です」
「子供だから、本気で向かい合ったんだ。駆け引きなしに」
長く飾り棚に納めてあった長刀を取り出したときのセキヤの顔。あれはかつて、西方の砦に向かうときに見た顔に似ていた。
ひたすらに、ただ一点を見据えて。自分の為すべきことを為すために、セキヤは走った。あのときと、同じ表情。
自分の目で、確かめたかったのだと思う。木の葉と森のこれからを。
木の葉の国の今後を背負うのは、おそらくあの双子たちだ。写輪眼を持つ最強の忍として、五代目火影と木の葉の国を支えていくだろう。
「で、いまごろはまた、駆け引きなしに戦っているわけですか」
憮然として、加煎は扇を揺らした。
負傷した風を担いで、セキヤが王城に戻ってきたのが一昨日の夜。翌日は加煎の監視下でおとなしく政務をこなしていたが、今朝になってふたたび、姿をくらました。行き先は、おそらく木の葉の里だ。
「公式行事の入っていない日を選んでくれるようになったのは、非常に喜ばしいことですが」
加煎が嫌味たっぷりにそう言うのもわかる。
刃はセキヤの望むことはなんでもしようと思っているが、加煎は違う。セキヤのことがいちばん大事なのだ。だから、セキヤの益にならぬと判断すれば、たとえセキヤの意に反してもそれを止めようとする。結果としてセキヤに疎まれることになったとしても。
加煎には加煎の信念がある。それを他人が計ることなどできない。
「刃」
ぱしっと扇を閉じて、加煎が言った。
「もうひとりは……どのような人物です」
うちはの血を引く、黒髪の双子。いままで加煎は、彼らに直に会ったことはなかった。
「あの者のことは、わかりました。ぼろぼろになりながらも、自身のことと周囲を見る目を備えている。丸二日、一言も発していないのは、はじめて体験した恐怖と今後に対する覚悟の現れでしょう」
恐怖。
たしかに、そうだろう。セキヤが本気で挑んだのだ。中忍になったばかりの少年なら、瞬殺されていても不思議ではなかった。
「鼻っ柱の強いやつなんだろ」
醍醐が口をはさむ。
「そんなことは、わかってますよ。セキヤが木の葉から帰ってくるたびに、『クソガキ』だの『血は争えない』だのと言ってますからね」
「んじゃ、別口の情報は?」
「さすがに、この件では皆無です」
加煎は、五代目火影の側近と懇意にしている。互いに情報交換することも多いが、こと写輪眼に関しては、露ほどの情報ももたらされていないようだ。
「刃」
ふたたび、加煎が問う。刃はかぶりを振った。
「セキヤに訊けばいい」
「貴様……」
加煎の声音が変わった。一重の目が、剣呑に光る。
「それを確かめに行ったんだから」
「よくも、ぬけぬけと!」
がたん、と椅子が倒れた。加煎の右手が刃の喉元に伸びる。刃は横に飛びのいて、扇をぴしりと払い落とした。
「……もっと静かにできねえのか」
やれやれといった調子で、醍醐。
「一応、正殿なんだぜ。人払いはしてるけどよ」
王城内で、内務尚書と侍従が刃傷沙汰など起こしては、それこそ外聞に関わる。
「大人げない真似、すんなよ」
壁際まで飛んだ扇を拾って、加煎に返す。
「おまえら、まじで、忌憚がなさすぎるぞ」
「いまさら言葉を飾る気もおきませんよ」
加煎は扇を受け取って、横を向いた。
「写輪眼が相手っつーことで、心配なのはわかるけどな。相手はまだ中忍のガキだろ。双子だし、いままで一緒に暮らしてきたわけだから、やつらの実力の差はそれほどないと思うがな」
醍醐の言葉に、加煎はいくらか落ち着きを取り戻したようだった。が、刃は、そのわずかな差が、セキヤにとっては決定的なものになるだろうと予測していた。
「差」と言っては語弊があるかもしれない。彼らのあいだにあるのは、差ではなくて「違い」だ。ふだんの様子も、言葉遣いも、戦いの段取りも。なにもかもが違っていた。
甲乙などつけられない。それぞれに、末恐ろしいものがある。忍の術を会得していない自分が見ても、その未完成な力の凄さをまざまざと感じた。
雷(らい)は、どのように戦うだろう。セキヤを相手に。
訓練を傍観しながら縁側で茶々を入れているセキヤではない。首を獲るほどの気迫で向かってくる、鬼神である。
「あれが……本当のセキヤなの」
先刻。
ほとんど聞こえないほどの声で、風は言った。
「そうだね。あれも、セキヤだ」
唇を動かさずに、刃は答えた。
「死ぬかと思った」
「うん」
「はじめて、思った」
「そうか」
研究所で生まれ、五代目のもとで育って忍になった。「親」はいなかったが、皆に大事にされてきた。幼いころから最高の教育を受けて。
下忍の任務など、まるで遊びのようなものだったろう。中忍試験に合格したのも、彼らにとってはごく当然のことだったかもしれない。彼らはそれなりの修錬を積んできている。が、どんなにつらく、苦しい訓練を受けていても、それは結局、「訓練」でしかない。
忍であることの意味を教えるために、セキヤは剣を手にした。きっと雷は、風以上にその事実に驚愕するだろう。そして……。
もう、終わっただろうか。写輪眼の使い方を誤って、暴発していなければいいのだが。
刃は窓の外にある蒼天を見上げた。
(了)
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