終わらない夢 〜暗部編〜 by真也
ACT30
雷が見える。
こちらに、おれの方に向かってくる。
すらりとした長身。黒髪。漆黒の瞳。
無駄なく筋肉のついた腕。長い指。ほんの三週間前まで、あれに触れていた。熱い身体を交わして。
今は違う。
突き刺すような、冷たい気。お互い、顔さえ見ずにすれ違ってゆく。
終わった。
おれの見た、束の間の夢。
夢だからこそ、終わりが来たのだ。
角を曲がる。一瞬、視界の端に後ろ姿。まっすぐに伸ばされた背中。
いいんだ。これで、いいんだ。
自分に言い聞かせるように、足を速めた。
あの日から、一週間が過ぎた。
おれ達のことは皆の知るところとなり、おれは護衛任務や毒物調合の日々を過ごしていた。
あいつの姿は見ていた。今のように廊下や、集合場所などで。
誰よりも早く気配を感じとりながら、視線さえ合わさない。その都度心が乾いてゆく。自分でもわかった。
会いたい。顔を見て、声を聞いて、身体に触れたい。でも、それはできない。
胸が苦しい。自分が自分を責めたてる。それでも、やめるわけにはいかなかった。
ひたすら信じた。傷が治ってゆくように、時が全てを和らげると。それまで待てると。
「なあ。いいの?」
金色の目が見えた。黄色の犬も心配そうに見ている。オウガだった。
「いいって・・・何だよ」
驚いて応える。しまった。またぼんやりしていた。
「奴さんここに来た時より、更におっかなくなったよー。一時期かなり温厚だったのにさ」
「誰のことだよ」
「あれ、とぼけてんの?『うちは』さんでしょ」
きらりと光る瞳。面白そうに口が笑む。
「それとも何?噂通りってこと?」
噂。それはつまり、おれたちが離れたと言うこと。
「関係ないよ。好きに言えばいい」
「あらら、言うじゃん。でも、困るんだよねー。オレ、賭けてたし」
跳ね放題の頭をガシガシと掻きながら、オウガが言う。
「知らないよ。人をだしに使って」
「でもね。どう考えても、オレは上手くいくと思ったんだけど。おまえ、傍から見ても幸せそうだったし」
幸せ。そんなもんいらない。欲しがっても与えられるわけない。望んだって無駄なのだ。
おれが欲しいのは『おれ』だけを求めてくれる存在。他は、いらない。
「ま、いいか」
ポンと肩が叩かれる。片目を瞑りながら、オウガが言った。
「人生いろいろあるしね。どうしても駄目なら、オレと慣れ合うってのもいいしー」
「オウガ」
「なに?」
「それ、冗談?本気?」
怪訝に聞き返す。同僚がにやりと笑った。
「さあてね。なんなら口説いちゃおうか?」
「遠慮しとく。当分、おとなしく仕事してるよ」
「はいはい。傷心はゆっくり癒さないとねー」
さらりと核心を突かれ、ため息をつく。やっぱり鋭い。敵わないか。ともかく、退散しよう。
「じゃ、おれは行くから」
「どこへ?」
「シノのとこ。任務で言わなきゃならないことがあるんだ」
「ふうん。またな」
「ああ」
見送るオウガを背に、受付所の奥へと進む。そこはシノの部屋だった。
「お前もか」
部屋に入って開口一番、シノは言った。おれは眉を顰める。それを見てか、言葉が落とされた。
「さっき、雷がここに来ていた。で、おまえは何の用だ」
雷が、ここに。少なからず動揺しながらも要件を言う。
「任務を今まで通りに・・・・・前のと同じにして欲しいんだ」
「それは、閨の任務に入るということか?」
直球で返される。黙って首肯いた。
「おまえも、とはな・・・・」
こめかみを押さえ、シノが呟く。おれは目で訊いた。ため息をこぼし、言葉を継ぐ。
「雷も単独任務の申請をしてきた。これからは、一人でいいそうだ」
おれは黙って聞いていた。雷の申し出は充分、予測の範囲だったから。
あいつはもう、おれとは組まない。おれも、あいつとは組めない。だから、こうなるのは当然だ。
「いいのか」
シノが訊く。確認するような眼差し。
「ああ」
まっすぐ見つめて答える。いいんだ。これが、順当な道。
「では、次回からお前に閨の任務を振る。追って連絡があるだろう」
別に間違いじゃない。もとに戻っただけだ。あいつが来る前に。
おれはシノの部屋を出た。集合場所を通り、部屋へと向かう。廊下。ここから先を右に曲がれば、あいつの部屋に続いている。
もう、ここから先に行くことはない。分岐点に立ち、おれはぼんやりとその先を見つめる。あいつにつながる道を。
行けない。この道はもう閉じられた。自分で、閉じたのだ。
「よ、よう」
気配に目をやる。ザクロが遠慮がちに見ていた。おれは微笑む。
「ザクロ。この間はごめんな。ちょっと、苛々しててさ。・・・・・痛かったか?」
「い、いいってよ!そんなのっ。オレも、しつこかったし。でもよう、あの情報は本当、すげえからさ、鈴だけに言いたかったんだ」
情報。たしか、雲忍の結界技がどうとか言ってたな。ならば、知っていて損はない。
「いいよ」
「ええっ」
「情報、くれるんだろ?聞いてもいいぜ」
「本当かっ!」
喜色満面、ザクロが顔を紅潮させる。それじゃ、本当にザクロみたいだ。
「ああ。いつにする?それとも今から?」
「あのあのっ、えっとぉ・・・・すまねぇ、今から任務なんだ。明後日の朝には帰ってくるからよっ」
「じゃあ。明後日の朝、だな」
「おうっ!早く済まして帰ってくるからよっ!またなっ」
ザクロが駆けてゆく。嬉しいんだな、本当に。おれはぼんやりとそれを見つめた。再び、雷の部屋への道に目をやる。
いいのかもしれない。
どうせもう、この道へは行けないのだから。
おれはまた、元の世界に戻らなければならない。だから、奴と寝て、全てを汚してしまおう。綺麗なものを抱いたまま、あそこでは生きてゆけない。
帰れないのだ。
求めた喜び。
求められた歓び。
優しい思い出。
そんなもの、これからの邪魔になるだけだ。
穢して埋めてしまおう。見えない心の奥底に。
左へ曲がり、おれはゆっくりと歩きだした。
ACT31へ続く
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