終わらない夢 〜暗部編〜 by真也








ACT25



 雷が行ってしまう。
 それは確実な未来。半年後、否応なしに訪れるのだ。
 求めて、求められた日々。初めて知る歓びに、おれは浸りきっていた。
 だめだ。
 今のままじゃ、だめなんだ。
 あいつがいなくなってしまった後、おれは立ち上がれなくなってしまう。それ程、雷に寄りかかっている。
 今までどんなことをしてでも生き抜いてきた。おれだけを求めてくれる人を待つ為に。 
 何とかしなくてはならない。
 まだあいつが全部でない、今のうちに。





「次の任務が終われば、一段落する」
 武器の手入れをしながら、雷が言う。おれは装備を点検して、あいつを振り向いた。
「どんな任務?」
 何気なく訊く。腕が引かれた。雷の胸に引き寄せられる。身体が硬直した。
「心配するな。ただの護衛だ」
 目を細め、微笑む口元。注がれる温かな視線。胸が詰まった。
 雷は不器用だけど、誠実な優しさくれる。これが与えられなくなった時を思うと、ただ辛い。身を翻して腕を逃れた。怪訝そうに眉が寄せられる。
「どうかしたのか?」
「・・・・なんでもない」
 さりげなく視線を逸らす。あの瞳は苦手だ。すべてを暴いてしまいそうで。
「でもよかったな。みんな、順調でさ」
 誤魔化しに笑んで言う。今度は近づいてきた。距離を置くが、壁際まで追い詰められる。
「おかしい」
「雷」
「いつもと違う」
 顎を取られ、口付けられそうになる。とっさに目を閉じ、顔を背けた。目を開くと、漆黒の目が伺うように見つめている。
「鈴」
「ごめん。ちょっとだるくて・・・・」
「そうか」
 顎の手がそっと離される。額に手が当てられ、首筋で脈が取られた。
「熱はないようだな。医務室には行ったのか?」
「大丈夫。一晩寝たら治るから」
「じゃあ、今日はお預けだな」
 苦笑して踵を返す。寝台を整えた。忍服の襟元を緩め、寝台に腰をかける。こちらを見た。
「誓う。今夜は何もしない。・・・・・・一緒に寝るくらいは、いいだろう?」
 僅かに首を傾げて、困ったように訊く。首肯くしかなかった。
 言えなかった。
 何をしているのだろう、おれは。
 雷を失うことへの恐れが、言葉を封じてしまった。なのに、こんなおれを雷は気遣ってくれる。
 怖かった。触れられたら、口づけられたら終わりだと思った。
 唇を繋げば、それだけでは満足できなくなる。身体も、心も、すべてを求めて。もらってしまえば、おれはそれに溺れる。抜け出ることが出来なくなってしまう。
 規則正しい呼吸音が部屋に流れる。背中にあいつの温もりを感じ、おれはその夜、一睡もできなかった。



「二週間ほどで帰ってくる」
 そう言い残して、雷は任務へと向かった。扉が閉まる。完全に気配が消えた後、おれはゆっくりと身体を起こした。ぼんやりと周りを見渡す。
 雷の部屋。
 寝具。衣服。私物。
 空気さえもあいつの匂い。もう肌に馴染んでしまった。
 固く目を瞑り、首を振る。慣れなければならない。これが無いことに。
 立ち上がり、置いていた装備をつける。唇を結び部屋を出た。
「よ。これから任務?」
 明るい声に振り向く。オウガだった。
「オウガ。この間は、ごめん」
「いいってー。おまえ、やるときゃ結構やるのね。ちょっと意外だったけど、感心した」
「それ誉めてる?貶してる?」
「へへっ。両方」 
 金色の目が一本の線になる。人懐っこい笑顔。零れる犬歯が肉食動物のそれを想像させた。
「な。どんな任務なのよ?」
「護衛。それもシノ」
「里、行くの?」
「ああ」
「ま、いいじゃん。おれたちが里行けるなんてさ、護衛か里の非常時だけだし。せいぜい見て来なよー」
「・・・・・そうだな」
 里。雷の住んでいた所。
 任務でもない限り、おれが行くことはできない場所。
『お前はここで、忍として生きていかねばならない』
 三年前。暗部に引き取られたおれに、シノは言った。
『ある条件を達成するまでは、お前はここを出ることはできない。何かあった場合は、真っ先に研究所のあの科学者が疑われる。覚えておくのだな』
 ここを逃げたりしたら、ナギに迷惑がかかる。辛かったあの時代、幾度か脱走も考えた。でも、なんとかここまでやって来たのだ。
「じゃ、がんばんなよー」
 ポンと肩が叩かれる。片目を瞑って、オウガが去っていった。通路を曲がってゆく。 
「・・・・行かなきゃ」
 おれは呟き、集合場所へと向かった。





「お前はここで待つがいい」
 本殿より更に奥のある庭で、油女シノは申し渡した。
「ここは・・・・奥殿だろ。いいのか?」
「許可は取っている。他には行くなよ」
「わかってるよ。子供じゃあるまいし」
「ならいい」
 言い捨て、シノが奥殿へと消える。ため息一つ落として、おれは奥殿の庭を見渡した。
 風が吹き抜ける。本殿の喧騒もここまでは届かないようだ。
 静かな、本当に静かな場所。
 風を受けながら、おれは木に凭れかかった。目を閉じる。
 さやさやと葉擦れの音。鼓膜をくすぐり、頭の中へと染み渡ってゆく。見上げれば、空。雲一つない、深い色。
 何故だろうか。こうしていると、気持ちが和らぐ。迷いも恐れも心の底に沈んでいき、澄んだ部分だけが残ったような感覚。いつまでも感じていたいと思った。無理だとわかっているのに。
「あの」
 躊躇いがちに声がかけられた。驚いて目をやる。いつかの薄紅色の髪の女性が立っていた。確か、雷がアンとか言っていた人だ。
「あなた、この間の狐面の方ですよね?」
 訊かれたので首肯く。女性が近づいてきた。
「よかった。気が同じだったものですから。この間は失礼しました」
 ぺこりと頭を下げられ、首を振る。緑の瞳がまっすぐにおれを見つめた。
「不思議ですね。あなたの気、私が知ってた人にそっくりなんです。だから、すごく懐かしくなってしまって・・・・・」
 苦笑しながら言う。おれはどう返したらいいのかわからず黙っていた。沈黙が流れる。しばらくして、何か思いついたのかポンと手が打たれた。
「あなた、もう少しここにいますか?」
 ずいと近寄られる。圧倒され、反射的に首肯いた。
「じゃあ、お願いしますっ。私が戻るまで、待っていてくださいね!」
 言葉の後、くるりと踵が返された。一直線に本殿の入口へと向かってゆく。建物の中に姿が消えた。
 おれは半ば呆然としながら、その姿を見送った。
 どうしたのだろう。
 でも、やっぱり迫力あるよな。悪気はないみたいだけど。
 おれと同じ気。
 それ、一人だけ知ってるんだけどな。
 あの人、鳴(なる)を知ってるんだろうか。



 つらつらと考えていた時、凛とした声が響いた。
「お待たせしましたっ!これっ」
 言いながら駆け寄り、風呂敷に包んだものを手渡した。おれは首を傾げる。それに気付いたのか、言葉が継がれた。
「それ、おはぎなんです」
 何か分からず、首を傾げたままになる。アンという女性が、困ったような顔で言った。
「さっき、差し入れにってうちの父が持ってきたんです。いっぱいあるし、私が言うのもなんですが、うちの父が作るものはみんなおいしいんです。このおはぎも、あなたと同じ気の方が好きでした。だから、あなたに食べてもらったらいい供養になる気がして・・・・よかったら、どうぞ。雷も小さい頃は大好きだったんですよ」
 にっこりと微笑まれる。おれは戸惑った。どうしたらいいのかわからず、手元のおはぎというものを見つめる。
「そうですよね。勤務中なんですもの。今じゃなくて、家に帰ってから召し上がってください。日持ちしますから」
 気付いてか、向こうが先に言った。来たときと同様、ぺこりと頭を下げて本殿へと帰ってゆく。そうしなければいけないような気がして、おれは彼女を引き止めた。驚いたような視線が向けられる。
「ありがと」
 掠れた、変な声しか出なかった。それでも彼女は微笑み、黙って会釈した。
 心が、温かくなったように感じた。
 部屋に戻ってから、おれはもらったものを開けた。竹の皮に包まれたそれは、米でできた食べ物らしかった。
 餡を巻いたようなものと黄色い粉をまぶしたもの、それと緑色のもの。
 いい匂いがする。食べようかどうしようか考えて、思いきって手にとる。もし毒が入ってたとしても、おれには効かない。一口、食べてみた。
 甘い。
 湧き出てくる唾液と、舌を包む甘み。美味かった。
 噛んで、味わって、飲み込む。あっという間に一つめを食べ終わった。二つめを食べかけて、それに気付く。
 ぽつり、ぽつりと落ちる水滴。
 膝のおはぎとやらにも落ちてゆく。少し、しょっぱくなった。
 雷が好きだった食べ物。甘くて、温かくて、美味い。
 そこから湧き出る豊かな感情。これが普通だったんだ。
 おれは肉の味さえ知らなかった。知りえる環境にいなかったのだ。
 違いだ。
 これが、おれと雷との違い。違いすぎる違い。
 涙が頬を伝ってゆく。
 これだけ豊かなものを、雷は分け与えてくれた。
 おれには、あげられるものなど何もない。何もないんだ。だから、きっと・・・・・。


 おはぎを口に運びながら、おれは涙を流しつづけた。





ACT26へ続く

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