君の見た風へ by真也
ACT7
「実験延期だと?」
俺はその研究所員を睨み付けた。
「その。必要なものが、・・・・入手できなくて」
若い研究者は、歯切れ悪くそう言った。
「シギはどうした?」
「シギ主任は今、別件で手が離せません。あちらが落ち着き次第、今日の説明にくるとのことです」
俺は横を向く。もう、こいつに訊いても無駄だ。
雰囲気を察してか、研究所員は部屋を出て行った。
実験が施行されたら、二日はこの部屋に縛られる。予定外に時間が出来た。実験が遅れるのは残念だがちょうどいい。この時間を使って、扇を探そう。
俺はベッドから降りた。
扇はあの日以来、森に姿を見せなくなった。もう一週間になる。今日は森に行って、もし来ていなければあそこへ行こう。子供たちのいるブロック。あいつと初めて出会った場所。
あそこに扇がいるはずだ。
「いない」
俺は森を見渡す。深呼吸して、踵を返した。
そのブロックは比較的、日当たりのいい所に配置されていた。窓も他の施設より多い。光が多く入り、全体的に明るくなるよう設計されていた。
俺は躊躇わず、そのドアを開けた。
クリーム色の壁。大きな窓。雑然と、散らばった玩具。どれも柔らかい色彩の物が多い。子供らしい、部屋。
意外だった。もっと酷い環境だと思っていたから。
内部を見回して、扇を探す。あいつの姿はなかった。
「どうしたの?」
見下ろすと、足元に子供。この子は確か。
しゃがみこんで、視線を合わせる。
「お前、名前は?」
「ナギだよ。お兄ちゃん、何か用?」
「扇を知ってるな」
「うん」
「あいつは、どこだ?」
瞬間、ナギという子供の顔が曇る。口をへの字に結んで、下を向いた。
「教えてくれ」
子供の肩を包んで、顔を覗きこんだ。できる限り、優しく。脅えさせないように。
「頼む。扇に会いたいんだ」
「・・・・行っちゃった」
「何処へ?」
「知らない。咳がでて、手が痛くなって。ぼくたちと、いちゃいけないからって・・・・」
両手を握り締め、子供が言った。目に涙が浮かんでいる。
この子は経験的に知っているのだ。『行ってしまった』者が、帰って来ないことを。
何も言えずに、ただ、抱きしめた。
長い廊下を、俺は急いでいた。シギを探さなくては。あいつなら、何か知ってるはずだ。延期された実験。扇の不在。嫌な予感がする。それを信じたくなくて、必死で頭を振った。すれちがう研究所員を次々と掴まえて脅し、俺はついにシギの居場所をつきとめた。
シギは研究室でデータを整理していた。ファイルを読み、何やら画面に打ちこんでいる。俺の姿を見つけ、奴はゆっくりと立ち上がった。
「どうしたんですか」
「扇はどこだ」
「彼はある場所に収容しています」
「会わせろ」
「まだ、無理です」
「どういうことだ!」
自然に、声が荒くなる。睨み付ける視線を反らさず、シギは言った。
「今はリスクが大きくて危険です。扇にとっても、あなたにとっても」
「分かるように説明しろ!」
思わず、胸ぐらを掴んだ。シギは動じない。冷静な瞳が、俺を見据えた。
「耐性実験の延期は、ご存じですね」
「ああ。それがどうした」
「わかりませんか?」
何が、と言いかけて気付く。あの研究者は必要なものが、手に入らないと言った。
必要なもの。もしかして。
手の力を緩める。シギが服の襟元を直して言った。
「その顔だと、わかったようですね」
「まさか」
「ええ。今日、実験が延期になったのは、扇から補助物質が取れなかったからです」
淡々と、彼は告げた。
なぜ、気付かなかったのだろう。
あいつは、確かに言ったのだ。自分には『うちは』の血が流れていると。
どうして考えなかったのだろう。
あいつが協力する実験。それが『うちは』がらみのものだと。
『うちは』に関係する実験。それは、即ち、俺の。
「だから、深入りしないよう、言いましたのに」
「何故言わなかった!扇が実験に関わっていると知っていれば・・・」
「知っていれば、補助物質を使わなかったんですか?それで、ずっと苦しんだと?」
「それは・・・」
「我々も、失うわけにはいかないのですよ。あなたを」
言い返せなかった。補助物質を誰かが作っていると知りながら、使い続けたのだ。俺は。
行き場のない気持ちに、歯をくいしばる。
「彼は今、感染症を併発しています。体力も落ちているし薬も効かない。だから、状態が安定するまで待って下さい」
言い終えると同時に、呼び出しコールが鳴った。シギが電話をとる。数回、やりとりを繰り返した。大きく、ため息をつく。
「行きましょう」
俺に向き直って、シギが告げる。
「でも、お前は今、駄目だと・・・」
「隔離する必要がなくなりました。ついて来てください」
短く言葉を投げて、シギは踵を返した。
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