「バカ!逃げろッ!」
 身体が動いた。サクラの悲鳴。
 相手は上忍。速さで叶うはずもない。わかっている。
 でも、嫌なのだ。もう誰も失いたくなかった。
 頭から飛び込んで、その身体を突き飛ばす。金縛りのように動かなかったそれを。
 振り向けばもう、間近にクナイが迫っていた。避けることなど出来ない距離で。
 見ているんだ。
 見ているんだぞ。あの人が。
 だから、やめろ。
 カカシ。






感情という名の焔      by 真也





ACT 1



 イルカ先生が亡くなって十日後、俺とナルト、サクラの三人は火影に呼び集められた。
 火影からの勅命。それは三ヶ月間、カカシの直属の部下として従うという内容だった。
 奴は、俺達の前に姿を現わした。
 少し、顔が細くなっただろうか。
 眠たそうな目。猫背気味にふらりと立っている。
 とぼけたような低音が「諸君。おはよう」と響いた。
 まるで、何事もなかったようにやってくる。飄々とした足取り。
「何、呆けた顔してるの?任務行くよ」
「カカシ先生」
「今さら、スリーマンセルってわけでもないんだけどね。ま、火影勅命だし。三ヶ月間よろしく」
 変わらない、やる気なげな喋り方。表面だけは以前と同じ笑顔。
 写輪眼でコピーした術のように、正確に再現している。
 でも、明らかにちがう。そこに奴の感情はなかった。
 藍色の瞳が俺達を映す。ガラス玉のそれのように。
 いったい、何を考えてるんだ。
 俺の背中を、また一つ、汗が滑り落ちた。





「サスケ。おまえはどう思う?」
 ナルトだった。サクラもこちらを見ている。
「なにがだ」
「おまえ、聞いてなかったな。カカシ先生だってば」
「あまりにも、変わらないじゃない?イルカ先生の告別式にも来なかったし。おかしいわよね」
「任務に出てたんじゃないか」
「でも十日間いなかったのは、休暇だったんでしょ」
「なんか、おれ。やだ」
 ナルトが下を向く。奥歯を噛み締めて、足元を睨み付けていた。
「イルカ先生が、亡くなったのに。どうして平気なんだ」
「感情に左右されず、冷静に判断して行動するのが忍。と、いわれてもねぇ・・・」
「上忍が動揺するわけにはいかねぇんだろ。俺達は忍だ。いつ誰が死んじまうかわからない。それにいちいち反応してたら自分がやられちまうからな」
「でも!」
 碧い目が俺を睨み付ける。泣きそうに。
「それじゃあイルカ先生、かわいそうだ。あんなにカカシ先生大切に思ってたのに」
「だからって?カカシにも泣いて欲しいってか?」
「そこまで言ってないってば!」
「ナルト。サスケくんに八つ当たりしても仕方ないでしょ」
 サクラにたしなめられて、また下を向いてしまう。握り締めた拳が、震えている。
 無理もない。
 ナルトは、殆どイルカ先生に育てられたといっても過言ではない。それだけあの人と多くの時間を過ごしてきた。
 今でこそ皆が認めているが、且つてはただ一人の理解者だったのだから。
 イルカ先生。ナルトのみならず、アカデミーの生徒皆を見守ってくれた。親身に、思っていてくれた。
 『サスケは、出来てしまうから苦しいんだよな。常にやらなければならないことがあって、それを成しえてしまうから。だから皆が期待して、自分に枷を増やしてしまう。自分を甘やかせなくなる。辛いよな』
 穏やかな声が聞こえる。まだ覚えている。
『でもな。きっと見て下さってるよ。おまえのがんばりを』
 嬉しかった言葉。
 あの男も埋めてもらったはずだ。心の、空虚を。
 失って悲しまないはずがない。
 問題は、その悲しみが生半可ではないということ。
 埋めていたあの人自身の存在が、奴にとって大き過ぎたということ。
 無感動な目。奴は今、心の全てを凍らせている。
 何も感じなくなるなることで、かろうじて『人』を保っているのだ。
 


「やっぱり、おれ、聞いてみる」
「何をだ」
「イルカ先生の告別式に、何で出なかったって」
「馬鹿。絶対言うなよ」
「だって」
 瞬時に胸ぐらをつかむ。胸元を締め上げ、顔を上向かせた。ナルトの顔が苦しげに歪む。
「言うな」
「くっ・・・・」
「絶対、言うなよ」と、念を押す。
 手を離すと、ナルトは背を丸めてむせ返った。
 サクラが不安そうにこちらを見ていた。



 言ったら、死ぬぞ。
 今は禁句だ。あの人の名は。
 凍ったものが溶け出した途端、濁流のように流れ出してしまう。
 だから、『鬼』を起こすな。



 日々は過ぎてゆく。
 奴は変わらない。人形のように、任務をこなして。作り物の顔をして。
 どんどん、ナルトはおとなしくなって、ついにしゃべらなくなった。あいつなりに、そんな師を見るのが辛いらしい。
「サスケ君も、付き合って欲しいの」
 サクラだった。
「ナルト、あの通りでしょ。久しぶりに『一楽』に行って、ラーメン食べて。元気出して欲しいから」
「だいじょうぶか」
「えっ」
「『一楽』はナルトとイルカ先生の思い出の場所だ。余計に落ち込んだりしないか」
「いいのよ」
「・・・・・」
「思いだして、辛くなっても。辛さを、哀しさを感じることで、気持ちはどんどん整理されてゆくはず。それに・・・」
 俯き加減だった顔が、上がる。緑の目が俺を映した。
「今は、イルカ先生の力を借りたいの」
 俺は黙って、首を縦にふった。
 サクラ。おまえは少し、イルカ先生に似ている。
 いつでも前を向いて、全てを見つめている。そして、受け入れて。
 あの人が持っていた強さ。
 おまえに受け継がれたのだろうか。





 その日の夕暮れ。任務が明けてから俺達は『一楽』へ行った。
 ぐずぐず渋りながら付いてきたナルトも、おとなしくラーメンをすすっていた。
 心なしか安心してサクラを見やると、『ほら、ね』と片目をつぶってよこした。
『温かいな』しみじみと、思う。
 温かい食べ物。喉を通ってその熱を伝えて。体全体に、心にしみてゆく。
 イルカ先生みたいだ。
「うまかったな」
 一楽からの帰り道、ナルトはやっと顔を綻ばせた。よかった。あいつの暗い顔は、見たくない。 
「ったく。単純なんだよ」と、言いかけて気付く。川原に人影。岩に腰かけている。夕闇の中、目立つ銀髪。
 顔が、引き攣っていくのが分かる。
 カカシだった。
「サスケ君、あれ・・・」
「ああ」
 声を掛けられなかった。
 座ったまま、ぴくりとも動かない。まるで、何かに拘束されているように。額当てと覆面からのぞく、瞬きさえしない蒼眼。唇のある部分だけが微かに動いて、必死に何かを呟いている。
 呼んでいるのか。あの人を。
 カカシ。

「いやだ!」
 ナルトだった。引き止める間もなく、駆け出してゆく。
「ナルト!」
「俺が行く。サクラは帰れ。いいな」
 言い捨てて、駆け出した。全力で後を追う。
『早くなったな』そんなことを考えながら走った。
 その姿に追い付いたのはもう、あいつの家のすぐ近くだった。
 立ち並ぶ家々の外壁に手を置いて、腹を押さえてうずくまっていた。
「どうした」
「・・・・痛てぇ・・・」
「馬鹿。食べてすぐに走るからだろ」
「おまえだって、同じくせに」
「鍛え方がちがう」
「へっ、やな奴」
「ほら」
 腕をぐいと引き上げる。肩を貸した形になった。
 驚いた瞳がこちらを見たが、かまわずに歩き出した。
 ナルトの家まで、ゆっくりと向かった。





 その部屋は相変わらず、雑然としていた。
 俺は辺りを見回して、唯一スペースのある、ベッドの上にあいつを座らせた。
 腰かけたままで、動かない。ただ、肩を震わせている。
「くそっ」
 気持ちが焦れた。このままじゃ行けない。あいつを一人にできない。
 一人で泣かせるなんて、一人で泣くなんて嫌だ。あの時の俺で、十分なんだ。
 何か、しなければ。



「ほら」
 水を入れたコップを差し出した。あいつがぼんやりと見つめる。
「飲め」
 さらに腕を進める。おずおずとコップを受け取った。ごくりと喉を通る音。それが何回か繰り返されるのを、俺はじっと見ていた。
「サンキュ」
 飲み干したコップをベットサイドに置いて、ナルトは言った。
「頭、冷えたか」
「ああ・・・ごめん。勝手に走っちゃって」
「明日、サクラに謝れよ。心配してたぞ」
「うん」
 返事して、俯く。金色の髪の間から、白い項が見える。
(結構、首、細いんだな)ぼんやりと考えた。
「仕方ねェよ。カカシだって苦しんでるんだ。きっと」
「・・・・なんでだよ」
「!」俺は目を見開いた。
「じゃあ、何故だよ!どうして平気な顔してるんだ!まるで・・・まるで、イルカ先生なんて最初からいなかったみたいにっ」
 両腕を捕まれ、食い入るように見られる。間近に瑠璃の目。溢れてゆく涙。
 一瞬、見とれてしまった。
「・・・ごめん」
 掛ける言葉を探しているうちに、あいつの手が離れていった。そのまま身体の横で、両手を握りこむ。
「ごめん。サスケが悪いんじゃ、ないのに」
 絞り出された声は少し、掠れていた。そのまま、背を丸めようとする。小さい子供のように。
「おら、来いよ」言葉が出た。
「サスケ?」
「来いって、言ってんだ。・・・・貸してやる」
 目を見開いて、わからない、というように首を傾げる。そうか。おまえ、泣き方も知らないんだな。
「いいから、来い!」
 右手であいつの頭を抱えて、そのまま右肩の辺りに押しつける。あいつがしがみついてきて、体重を支えきれなくなった俺は後ろに倒れた。打ちつけた背中が痛い。押し殺された声の中に、少しずつ、嗚咽が混じり出す。次第に、子供のような泣き声が聞こえはじめた。
『ガラにもねぇな・・・』押し倒された形で天井を見つめた。似合わなくても、仕方がない。
 俺でも、これくらいは出来るから。
 ため息を一つ落として、俺はナルトの背に手を回した。




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