柊の木の下で〜魔の食欲上忍シリーズ13〜  BY つう







ACT1



 それにしても、見事にきれいな台所だな。イルカは土鍋をコンロに乗せて、そう思った。
 台所というよりは厨。厨というよりは厨房といった方がいいかもしれない。食器も調理器具も最高のものが揃っている。どう考えても、カカシが自分で料理を作るとは思えないのだが。
 だれか作ってくれる人でもいたのかな。ふと、そんなことを考える。
 カカシは木の葉の里を代表する上忍である。額宛てと口布で隠されている素顔は、男の自分が見ても十分鑑賞価値のある造作をしていた。恋人のひとりや二人や三人……いや、愛人の十人ぐらいいてもおかしくない。
 ああ、でも。
 イルカは積み上げられた鍋を見て、その考えを改めた。
 真新しい鍋。油のひとつも飛んでいないコンロ。乾いた流し台。
 この場所でまがりなりにもなにかを作ったのは、もしかしたら自分がはじめてかもしれない。そういえば、以前カカシは自宅で食事をしないと言っていた。あれは、言葉のあやではなかったのだ。
 そうだよな。あんたが言うことは、全部事実。
 言葉を飾ることも、ごまかすこともしない。そんな必要もなかったし、そうする必要を感じてこなかったのだろう。
 イルカに対しても、そうだった。カカシの発する言葉は、いつもまっすぐだ。逃げも隠れもできないうちに、胸を突き抜ける。
「好きなんです。あなたが」
 なんの迷いもてらいもなく、カカシは言った。だから抱いたのだ、と。
 本当はごまかしたかった。忘れたかった。笑い話にしてしまいたかった。
 自分はそうやって生きてきた。つらいことも苦しいことも、たいしたことじゃないと言い聞かせて、無理矢理にでも忘れて、ひとりでずっと歩いてきた。
 でも。
 そんな小細工は、カカシには通じなかった。
「今日のおかずは、なんですか?」
 夕刻、わくわくした顔をしてやってくる。
「イルカ先生のごはんは、おいしいですねえ」
 ほくほくと、うれしそうに箸を運ぶ。
「おなかもいっぱいになったことですし、寝ましょうか」
 そして、当然のようにイルカを褥に伴う。
 そんな関係が、もうずいぶん続いている。それなのに、いままでイルカはカカシの家を訪れたことがなかった。
 里のはずれの一軒家。生け垣に囲まれた古い木造家屋だった。
 アスマによると、その家は五十年ばかり前の庄屋の別宅で、若い妾のために特別に作らせたものらしい。庄屋の死後、妾が追い出されてからはだれも住む者もなく、長いあいだ空き家になっていたそうだ。
「雲の国や森の国からも職人を集めて作った屋敷だからねえ。買い手はいっぱいいたらしいんだけど、追い出された妾の呪いがかかってるって噂がたっちまって、結局、ほったらかしにされてたんだよ」
 その家を、カカシが買った。理由は「安いから」。たしかに飛地のような場所だし、「呪いの屋敷」だということで、値段は相場の半値以下だったという。
「ま、あいつならユーレイの方が遠慮するだろうしな」
 アスマの見解に、イルカも異論をはさむ気はない。
 そのお化け屋敷に、いま、自分はいる。
 カカシのために、粥を作りながら。





 今日は節分だ。
 夜勤明けなので、とりあえず一日は休み。例によって洗濯や掃除をすませてから、イルカは節分の豆や巻寿司を買いに出かけた。
「寿司は、作った方がいいかな」
 出来合いのものを買おうとして、ふと考えた。
 前にカカシが泊まりにきてから、もう五日たつ。任務の予定も入っていないのに、このインターバルは不可解だった。
「俺、イルカ先生の作ったものがいいです」
 カカシの口癖。
 もし今日、あの男が来たら、出来合いの寿司では納得するまい。
 仕方がないな。乾物はあるし、卵もあるし、三つ葉と焼き海苔を買って帰ろう。あとは豆と、柊に吊るすイワシ。吸い物の具に生湯葉。よし、完璧だ。
 ベテランの主婦のように一瞬でそれらを考えて、イルカは手際よく買い物を済ませた。家にもどってさっそく調理にかかっていると、にぎやかな声が玄関から聞こえた。
「イルカせんせー! いるんだろーっ。イルカ先生ってばよっ」
 ナルトだ。あいかわらず、でかい声だな。
「はいはい。いま開けるよ」
 手を拭き拭き戸を開ける。
「どうしたんだ? こんな時間に」
 まだ日は高い。ナルトも今日は休みなのだろうか。
「カカシ先生、休みだからヒマでさー。遊びにきたんだ。あれ、なんか作ってんの」
 食材の並んだ台所に目をやって、ナルトが訊いた。
「今日は節分だろ。だから……」
「あ、巻寿司? おれ、スシ大好きなんだ。イルカ先生、ごちそうしてくれよ」
 カカシとはべつの意味で、ナルトも表裏のない人間だ。
「いいよ。もうすぐ米が炊けるから、ちょっと待ってろ」
 苦笑まじりに答えて、ふとその事実に気づく。
「……カカシ先生が、休みだって?」
「そ。おととい山の砦まで日帰りで行ってきたんだけどさー。あっちはすっごい吹雪いてて、カカシ先生、風邪ひいたんだよ」
 それぐらいで、あの男が休むほどの風邪をひくとは思えないが。
「サスケなんか、『鬼のカクラン』だってさ。なあなあ、イルカ先生、『カクラン』ってなんのこと?」
 イルカはかつての教え子に「霍乱」の意味を懇切丁寧に説明しつつ、カカシが病気になるより鬼が腹をこわす方が可愛げがあるかもしれないと、真剣に思っていた。



 ナルトにまだほんのりと温い巻寿司を食べさせてから、イルカは豆とイワシと寿司を持ってカカシの家に向かった。
 場所は知っていた。あの男が二日続けて休むとは、よほどひどい風邪なのだろうか。巻寿司など食べられないかもしれないが、そのときは粥でも作ろう。念のために米も持ってきた。
 村はずれの一軒家。カカシの家が見えてきた。
 中に入れるかな。一瞬、不安になる。
 里を代表する上忍の屋敷である。結界が張ってあるかもしれないし、なにかトラップが仕掛けてあるかもしれない。イルカはおそるおそる、あたりを調べた。
 とりあえず、庭までは大丈夫か。そろそろと歩を進め、縁を窺う。
 障子の向こうの様子はわからなかった。声をかけてみる。
「ごめんください」
 返事はない。
「こんにちはー。カカシ先生、ご在宅ですかー」
 やはり、いらえはない。玄関に回ろうと庭を横切りはじめたとき。
 ばきばきっ。どすん。
 大きな音がして、縁からなにかが落ちてきた。
「え……」
 蒲団だ。いや、蒲団にくるまった、物体。
「なんやってんですか、あんたは!」
 教師モードになるのは仕方ない。蒲団をかぶったまま障子を突き抜けて、縁から転げ落ちたのだ。アカデミーの子供でも、こんな寝惚け方はしない。
「あー、イルカせんせいだあー」
 蒲団から顔だけ出して、カカシがとぼけた声を出した。
「夢じゃないですよね。痛いですもん。ほんとうにほんものの、イルカ先生ですよね」
「まだ寝惚けているんですか?」
 イルカはつかつかとカカシに近寄った。
「いつまですわってるんですか。ほら、立って……」
 カカシの手をとる。異様に熱かった。熱が下がっていないのだ。
 これは本当に、「鬼の霍乱」だな。
 イルカは荷物を縁に置いて、カカシの背を支えた。
「中に入りましょう。着替えた方がいいですよ」
 夜着が汗を吸っている。このままでは、ますます熱が上がってしまうだろう。
「蒲団……まだほかにもありますよね」
 これだけの家だ。蒲団が一組しかないとは思えないのだが。
「あると思いますけど……」
 自信のなさそうな声。自分で蒲団を干したり、敷布の洗濯をしたことなどないのだろう。それ以上なにも訊かず、イルカは縁から座敷の中に入った。
 広い座敷に、ぽつんと夜具が敷いてある。枕元に水差しとコップ。違い棚になにかの写本と香炉。襖にはりっぱな山水画が描かれていたが、ほかに家具や調度品はない。
 障子が壊れてしまったので、とりあえず奥の間に夜具を移動させてカカシを寝かせた。
「こっち、暗くて嫌いなんですよー」
「我慢してください。それにしても、どうして障子を突き破ってきたりしたんですか」
「あなたの声が聞こえたので」
「はあ?」
「俺、夢を見ていたんです。あなたがごはんを作ってくれる夢を」
 いつものことじゃないか。夢に見るほどのことか。
「でも目が覚めると、あなたはいなくて。熱で視界は銀色だし、頭は痛いし、耳鳴りもするしで散々だなーって思ってたら、あなたの声が聞こえて。これは幻聴じゃないって、飛び出したんです」
「蒲団ごと、ですか」
「寒くて、ずっと蒲団にくるまってたんですよ」
 なるほど。それでそのまま飛び出して、蒲団の縁を踏むかなにかして障子に激突したのだ。
 イルカはため息をついた。これが、近隣諸国に勇名を馳せている「コピー忍者」の実体だ。
「あー、うれしいなあ」
 カカシは頬を紅潮させて呟いた。
「イルカ先生が来てくれて」
 まったく、ずるいですよ、あんたは。
 イルカは先刻とは意味の異なるため息をついた。
「だいぶ熱があるみたいですね」
「薬飲んだら、いったん下がったんですけどね」
 上がりばなに解熱剤を飲むと、ぶり返すことが多い。しばらくは様子を見るか。
「カカシ先生、ごはんは召し上がりましたか」
「ええと……どうだったかな。覚えてないです」
 やっぱり。この様子だと、里に戻ってきてから水や薬しか口にしていないのではなかろうか。
「粥でも作りますね。台所をお借りします」
「え、でもイルカ先生、なにか持ってきてくれたんじゃないんですか?」
 高熱を出しているというのに、めざとい。
「あれは、節分の巻寿司です」
「じゃ、俺、巻寿司がいいです」
「だめです」
「えーっ、どうしてですか」
「寿司はあしたでも食べられますから、今日はおれの言うことをきいて、粥を食べてください」
 二日も絶食している病人に、常食は勧められない。常の任務で食事を抜いたときならいざ知らず。
「あした、熱が下がっていたら、一緒に寿司を食べましょうね」
「……わかりました」
 殊勝な様子で、カカシは頷いた。イルカは持参した米を持って、台所に向かった。




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