柊の木の下で〜魔の食欲上忍シリーズ13〜 BY つう ACT2 調理器具は山ほどあるのに、食料も調味料もない。カカシの家の台所は、金物屋のようだった。 いや、例外がひとつ。塩だ。塩だけはあった。それも海の国や波の国で生産された最高級の品が。 美しい結晶を形成している粗塩。こんな上等なものを粥に使っていいのだろうかと躊躇したが、ほかになければ仕方ない。ほのかに甘みすら感じられるその塩を、ぱらぱらと粥に加えた。軽くかきまぜてから、味見をする。角のない、まろやかな味がした。 椀とれんげを二人分用意して、盆に乗せる。さらに布の鍋敷の上にできたばかりの粥を置いて、座敷に運んだ。 「お待たせしました」 枕元にすわる。 「少しでもいいですから、食べてくださいね」 「少しだなんて、もったいない。たくさん食べます。イルカ先生が作ってくれたんですから」 真剣な顔で宣言して、カカシはれんげを手に取った。土鍋から粥をすくって口に運ぶ。止める間もなかった。カカシは目を白黒させて、はふはふと口を開けた。あわてて水を差し出す。 「はーっ……熱かった。舌、火傷しちゃいましたよ」 「あわてなくても、だれも盗りませんよ。お椀によそって、冷ましながら召し上がってください」 「わかりましたー」 カカシは素直に返事をした。 鬼の霍乱よりかわいいかも。そんな考えが浮かぶ。が、いままでの経験からして、油断をしているとロクなことはない。イルカは自分も粥を食べながら、注意深くカカシの様子を観察した。 「ごちそうさまでしたー。やっぱりイルカ先生の作ったものは、おいしいですねえ」 熱があるうえに舌を火傷していて、はたして味などわかるのか。その疑問はあったが、とりあえず土鍋は空になった。イルカは枕元に置いてあった薬の袋を開けた。 「……どうして、こんなに残ってるんです」 おとといの夕刻に処方された風邪薬。一日三回、三日分。それがまだ、七包もある。 「え、ちゃんと飲みましたよ。きのうも、おとといも」 「ちゃんとって、これ、日に三回、飲まなきゃいけないんですよ」 「そうなんですか? 知らなかったなあ」 のほほんと、カカシは言った。 「じゃ、いままでのぶんも飲んでおきます」 「そういう真似は、やめてください」 「どうせ薬なんか、たいして効かないんですから」 カカシは暗部の出身だ。毒も薬も効きにくくなっているのはたしかだが、だからといってたくさん飲めばいいというものではない。 イルカは一包だけ渡して、 「薬は処方通りに飲むのが、いちばん効果があるんです。勝手に量や回数を調整しないでください」 教師口調で、言い渡す。カカシは首をすぼめて、薬を受け取った。 「そんなに怒らなくてもいいじゃないですか。俺、病人ですよ? もっとやさしくしてくださいよー」 「きちんと薬を飲んで、安静にして、治す努力をしている病人だったら、やさしくします」 ここは引かないぞ。イルカはカカシを見据えた。 「わかりました。ちゃんと飲みます」 包を開けて、服用する。かなり苦いのか、嚥下するときに顔をしかめた。 「じゃ、おれ、片付けてきますから、横になっててくださいね」 いくぶんやさしく言って、立ち上がる。 「早く帰ってきてくださいよ」 まるで子供だ。イルカは苦笑した。 「台所に行くだけじゃないですか。すぐに戻ります」 イルカはいったん縁側に出て、そこに置いたままにしていた荷物を持って、ふたたび台所に入った。 巻寿司を水屋に仕舞い、鍋や椀を洗う。そうだ。イワシを外に吊るしておかないと。 せっかく持ってきたのだ。豆まきはできそうにないし、巻寿司も食べられなかったが、とりあえず節分らしくイワシぐらい吊るしておこう。たしか庭に、柊の木があったよな。 考えながら、また縁側から庭に出る。玄関に近い方に、柊の木が二本立っていた。 「ここでいいかな」 枝の太さを見る。イルカの家の裏にある柊より、いくぶん葉が大きい。かなりの老木であるのか、葉の棘が滑らかになっていた。 柊は、若木のうちは葉の縁が牙のように鋭くて、老木になると棘がなくなって丸くなる。昔、母親がよく「わたしたちも、そうなれたらいいのにねえ」と言っていた。年を重ねるごとに穏やかになっていけたらいいのに、と。 人間は逆だ。年をとるほどに、心が狭くなっていく。ずるくなっていく。 「なにしてるんですか?」 縁から声がした。カカシがまた、蒲団をかぶったまま立っている。 「中に入っててください。熱が上がりますよ」 少し大きな声で言う。カカシはむっつりとして、 「なかなか帰ってきてくれないから、心配になったんですよ」 「いま行きますから……」 イルカは足早に引き返した。 まったく、手間のかかることだ。お向かいのおかみさんが、孫の「後追い」が始まって、人の姿が見えなくなると大泣きするので、お嫁さんと二人がかりで面倒をみていると言ってたっけ。なんとなく、それに似てるかも。 「なにやってたんですか、あんなところで」 同じ質問をくりかえす。 「イワシをくくり付けてたんです」 洗面所で手を洗いながら、イルカは答えた。 「イワシを?」 不思議そうな顔。 そうか。この男は、だれでも知っているような季節の行事や、常識といったものをまったく認識していない人間だった。イルカは丁寧に、節分の習慣を説明した。 「えーっ、それじゃ、あのイワシは一晩ああやって吊るしておくんですか?」 「ええ、そうですよ」 「で、いつ食べるんです?」 「は?」 「冬ですから、腐りませんよね。朝ごはんのときに焼くんですか?」 鬼遣の行事だと説明したはずだが。 まあ、食べようと思えば食べられないことはないだろうが、一晩外にあったイワシなど、たいてい犬や猫に食われてしまっている。 「あしたの朝は、寿司とイワシですね。楽しみです」 ちなみにこの会話は、蒲団を頭からかぶったカカシが、イルカのあとをついて歩きながら為されていた。端から見たら、じつに異様な風景だろう。 「寿司とイワシが食べたかったら、おとなしく寝ててください!」 イルカはカカシを奥の部屋に押し込んだ。 「熱が下がらなかったら、またお粥ですからね」 「イルカ先生が作ってくれるなら、お粥でもいいですけど……」 「治そうという気がないんですか?」 じろりと見下ろす。カカシは口元まで蒲団を引き上げて、 「治します。だから、やさしくしてくださいね」 またか。 こちらを窺う、ふた色の瞳。まっすぐに向けられる感情。やっぱりずるいよ、あんたは。これじゃ、いい加減なことはできないじゃないか。 「厳しさも、やさしさのうちなんですよ」 精一杯、厳しく言う。カカシは目を細めた。 「うれしいです」 はいはい。よかったですね。 「もう遅いですから、休みましょうね」 「はーい。おやすみなさーい」 カカシは目を閉じた。 ものの五分とたたぬうちに、すーすーと寝息が聞こえはじめた。イルカはとなりに夜具を用意して、忍服のまま横になった。 がたん。ばきばきっ! 夜半、尋常ならざる物音に、イルカは蒲団を蹴とばして起き上がった。カカシを庇うように縁側に向かってクナイを構える。 「カカシ先生、起きてくださ……い?」 高熱で伏せっているはずの、カカシの姿がない。 襖は外れて倒れているし、障子はまた三カ所ばかり桟が折れている。どう見ても、この壊れ方は中から外に向かって力がかかったものだ。ということは……。 イルカはあわてて、庭に出た。月明りの中、ぐるりと視線を巡らせて銀髪の上忍を探す。 いた。玄関横の、柊の木の下に。 「カカシ先生、どうしたんですか。そんな格好で……」 夜着に下駄をつっかけただけの姿である。傍目から見ていても、寒い。 「猫の声がしたんですよー」 「猫?」 イルカは首をかしげた。そりゃ猫ぐらいいるだろう。里には犬猫は多いし、山に入れば狸や狐やイタチなどもいる。 「俺、もう心配で心配で……」 「なんの話です?」 「……そこかっ!」 一間ばかり横に跳んで、クナイを構える。ざっ、と植え込みの枝が動く音がして、猫が二匹、逃げていった。 「あー、よかった。無事だったー」 カカシは心底、ほっとしたような声を出した。 「……カカシ先生」 イルカは脳天が爆発しそうになるのを感じつつ、言った。 「猫相手に、本気で殺気を放つのはやめてください」 その余波で、こっちまで頭痛がしてきたじゃないか。もっとも、それだけが原因ではないが。 「え、だって、イワシ盗られたら嫌ですもん」 「だからって、風邪ひいてろくに食事も摂れないような人が、寝間着のままで夜中に外に出ないでください! これ以上熱が上がったら、脳炎になりますよっ」 ついつい、声が大きくなる。これではアカデミーの生徒に『全員、廊下に出て正座!』と叫ぶのと大差ない。 「もう、熱、下がりましたよ」 「へっ?」 「お粥食べたあと、薬飲んで寝たでしょ。あれで、すっかりよくなったみたいです。頭痛も寒気もしませんし」 この格好で、寒くないのか? イルカはしげしげとカカシを見た。そういえば、先刻まで熱で潤んでいた目も、すっきりしたような気がする。 「ほんとに、下がったんですか?」 額に手をのばして、確かめる。熱くない。これなら、ほぼ平熱だろう。あいかわらず、常識はずれの治癒力だ。二日も寝込んでいたとは、とても信じられない。 「ね? 治ったでしょ」 カカシはイルカの手を取って引き寄せた。背中に腕を回して抱きしめる。 「カ……カカシ先生、あの……」 個人の家の庭とはいえ、屋外である。こんな時間にこんなところを通りかかる人もいないだろうが、できればこういうことはやめてほしい。 「はい。なんですか」 生真面目に訊き返す。イルカも至極真面目な顔で、 「治ったのはわかりましたが、ぶり返すといけませんから、中に入りませんか」 「そうですね。おなかもすきましたし」 「はあ?」 「熱が下がったら、巻寿司食べてもいいって言ってましたよね、イルカ先生」 たしかにそう言ったが、それは、朝になってからの話で……。 「イワシも焼いてくれるんでしょ。俺、一生懸命、守ったんですよー」 だから、仮にも上忍が一生懸命守るほどのものなのだろうか。イルカの頭痛はますます激しくなっていく。 「台所に持っていきますねー。七輪に炭入れないと」 鼻唄まじりに、カカシが家に戻っていく。 ……いまから、焼くのか。 イルカは眉間を押さえて、ため息をついた。 草木も眠る丑三つ時。里のはずれにある古い屋敷で、男ふたりが七輪でイワシを焼いていた。 「まーだかなー」 焼き上がりが気になって何度もひっくり返すものだから、カカシのイワシはすぐにぼろぼろになってしまった。 「魚は、表裏、一回ずつ焼けばいいんです。そうしないと身がくずれてしまうでしょ」 「でもイルカ先生、このあいだは、しょっちゅう返した方がいいって……」 「それは、餅の話です」 ものによって、焼き方も違うのだ。手伝ってくれるのはうれしいが、かえって余計な手間がかかることもあって、疲れる。 「さ、できましたよ。どうぞ」 うまく焼けたのを、カカシの皿に乗せる。 「わー、いい色に焼けましたねえ。いただきまーす」 台所の上がり口にすわって、巻寿司とイワシとほうじ茶の夜食を摂る。 まあ、早めの朝食だと思えばいいか。夕食は粥だけだったので、正直なところ、イルカも空腹を感じていたから。 「あー、おいしかった。ごちそうさまでしたー」 カカシは巻寿司四本とイワシ三尾とほうじ茶三杯を胃に収めて、しあわせそうな顔で手を合わせた。つい数時間前まで、高熱を出していたとは思えないほどの食欲だ。 「おなかがいっぱいで、うれしいです」 「よかったですね」 「じゃ、一緒に寝ましょうか」 一緒に? 「快気祝いということで」 イルカは湯呑みを落としそうになった。 なにが快気祝いだ。おれは石鹸や洗剤じゃないぞ。心の中で毒突く。 「縁側の雨戸、閉めてきますねー」 嬉々として、カカシは立ち上がった。 嫌になるほど、元気だな。あの様子だと、おそらく……。 これから起こることの予測がつくようになった自分が情けない。このまま勝手口から帰りたいが、そういうわけにもいかない。そんなことをしたら、次に会うときまであの男がどんな気持ちで過ごすかも、想像できるから。 「イルカ先生、襖も直しましたよー」 座敷から声。 はいはい。わかってますよ。いま、行きます。 そんなに何度も確認しなくてもいい。逃げたいと思ってたって、逃げない。忘れたいと思っていても、忘れない。 だから、そんなに懸命に求めないでほしい。おれは、おれの方法でしかあんたに応えられないんだから。 あんたの笑う顔が好き。あんたの笑う声が好き。 柊の木の下で、丸くなっていけたらいいのに。 (THE END) |