一途なハンバーグ〜魔の食欲上忍シリーズ17〜  BYつう






ACT1



 合い挽きミンチ百グラム四十八円、卵一パック五十八円、玉ねぎ一山四個で八十九円。
 今夜のメニューは決まったな。
 夜勤明けの午後、うみのイルカは商店街で今日の「勝利」を実感した。予算内で、予定より多くの食材を手に入れたのだ。
 こんなことでしか「勝利」を感じられなくなった日常に多少の不安はあるものの、やはり現実の比重は重い。男の独り暮し。本来なら食費などたいしてかからないのだが、とある事情でカカシに飯を作るようになってから、エンゲル係数が一気に増大した。
 はたけカカシ。「コピー忍者」と称される、凄腕の上忍である。この男はどういうわけかイルカの作る食事(と、イルカ自身)に執着していて、週に二回は「今日のおかずはなんですか?」と晩飯を食べにやってくる。
「イルカ先生のごはんは最高ですー」
 満面に笑みを浮かべながら、しあわせそうに箸を運ぶその姿を見ていると、なんとなくこちらもほのぼのとした気分になってきて、給料日前の財布が苦しいときでも、つい無理をしてしまうのだ。
 むろん、贅沢な料理を作るわけではない。ごくありきたりの惣菜なのだが、なにしろカカシの食欲は並ではない。二人前三人前はあたりまえ。飯は少なくとも四合は炊かないと、イルカはおかわりもできない。丼物の場合などは、最初から五合炊くのが習慣になってしまった。
 ちなみに。
 今日は二十二日。給料日まであと三日ある。が、任務の日程や前回からのインターバルを考えると、今夜あたり、また件の上忍が「こんばんはー」とやってくる確率が高い。
 自分ひとりなら白飯にうめぼしだけでもいいのだが、あの男が来るとなれば、なにか腹持ちのいいものを用意しなくてはならない。というのも、あの男の食欲ともうひとつの欲求は妙な連鎖をしているらしく、満腹にならないとそのあとが大変なのだ。
 以前、ちょっとした言葉の行き違いからハンスト状態になったカカシに、「俺はおなかがすいてるんです」と畳の上に押し倒されたことがある。さんざん責められた挙げ句に二回戦に突入。その後のことは、もう思い出したくもない。
 といって、満腹になればそのまま何事もないのかと言えば、そうではない。
「お腹もいっぱいになったことですし、寝ましょうかー」
 と、ほくほくした顔でイルカを褥に誘うのだ。
 結局、どっちでも同じじゃないか……と思ってはいけない。翌日のダメージが断然、違う。そういう過去の経験から(なんとも情けない経験ではあるが)、イルカはつねにカカシを満腹にさせることを第一義としていた。
 それにしても、今日は幸先がいい。
 ミンチに卵に玉ねぎ。ふだんの半値にちかい値段だったので、ふだんの倍の量を買った。ミンチは小分けして冷凍すればいいし、卵だって冷蔵庫に入れておけば日持ちする。
 とりあえず、今日のおかずはハンバーグ。次回は肉団子だな。きっと、茶碗を片手にうきうきしながら食べるだろう。子供のように。
 玉ねぎもたくさん買ったし、オニオンスライスも作ろう。
 付け合わせの献立を考えつつ、イルカはさらに商店街を歩いた。





 帰宅すると、イルカはさっそくハンバーグ作りにとりかかった。
 まずは玉ねぎ。涙をこらえつつ、みじん切りにする。次はミンチ。粘りが出るまでしっかりこねる。卵やパン粉や牛乳なども加えて、さらに練ってから形を整えた。
 ハンバーグを丸めるときは、両手のあいだで投げるようにして空気を抜くのがコツだ。一見、遊んでいるようにも見えるが、これをしないと焼いている途中でハンバーグがぱっくりと割れてしまうことがある。そうなっては、せっかくの肉汁が外に出てしまって台無しだ。
 昔、母がやっていたように、リズムよくハンバーグを投げる。ぱん、ぱん、という音も懐かしい。
 種は、十個ぶんある。もしカカシが来なかったら、一個ずつラップに包んで冷凍するつもりだった。が。
「イルカせんせい〜」
 声とともに、玄関の戸を叩く音がした。
 いやに早いな。イルカは手を洗いつつ、時計を見た。今日、七班にはDランクの任務が入っていたはず。もう終わったのだろうか。
 ドアを開けると、そこにはぼろぼろの忍服を着た上忍の姿があった。
「どうしたんですか!」
 イルカはあわてて、カカシの腕をとって玄関の中に入れた。
「ひどいですね、これは……どこかお怪我は?」
 見たところ、出血はないようだが。
「大丈夫です。でも……」
「でも?」
「おなかがすきましたー」
 いつも通りの台詞を言って、銀髪の上忍はイルカに抱きついた。





「あー、さっぱりした」
 行水を済ませたカカシが言った。
「……よかったですね」
 風呂場で破れた忍服を洗いつつ、イルカは答えた。
 まったく、なんでこんなことをしなくてはいけないんだ。どうせ捨てるしかないのに。水と洗剤と手間の無駄だと思うのだが。
 忍服はあちこち引き裂かれたようになっていて、とても着られるような状態ではない。七班の今日の任務は、百匹の犬の散歩とシャンプーだった。忍犬の扱いには慣れているカカシだが、いまひとつしつけのできていない飼犬相手では苦戦したらしい。
 近隣諸国に勇名を馳せている「コピー忍者」も、犬にはかなわないか。
 そんなことを考えながら、洗濯板に忍服をこすりつける。
 たらいの水は、すぐに真っ黒になった。汚れた水を流して、新たに石鹸水を作る。同じ作業を繰り返すこと、三回。やっと汚れが落ちた。
「とりあえず、干しておきますね」
「はーい。ありがとうございますー」
 早々と夜着に着替えたカカシが、にこにこ顔で言った。
 いまさら拒む気もないが、やはり今日も泊まっていくつもりらしい。イルカは小さくため息をついて、洗ったばかりの忍服を窓の外に干した。
「あー、イルカ先生、これ、なんですか?」
 カカシは流し台の前に立って、訊いた。いつもながら、めざとい。イルカは窓を閉めつつ、
「ハンバーグの種ですよ」
「へえ。これがハンバーグになるんですかー。ねえねえ、イルカ先生。俺、手伝いますー」
「手伝うって……」
 いやな予感。なにしろこの男は、精神年齢五歳、家事能力はそれ以下という日常生活不適応者なのだから。
「これ、丸めたらいいんでしょ?」
 言うなり、手をボウルの中につっこむ。
「あ……」
 止める間もない。カカシの手は、見る見るうちにハンバーグの種でべとべとになった。
「あれえ、なんだかうまくいきませんよー。みーんなひっついちゃって」
「……まず、手に油を塗ってください」
 イルカはこめかみに鈍痛を感じながら、懇切丁寧に段取りを説明した。カカシはそれを興味深げに聞いている。
「で、それからこうやって、空気を抜くんです」
 ぽんぽんとハンバーグの種が両手を行き来した。ハンバーグの動きを追って、カカシの顔が左右に振れる。
「うわー、面白いですねえ。やりますやります」
 子供が粘土遊びをするときのような表情で、カカシは再度、ボウルに手をのばした。今度はちゃんと油を塗っているので、種がひっつく心配はない。
「あ、ちょっと多かったかな。いいですよね、これぐらい」
 大きさが違うと均等に火が通らないのだが、この際、そんなことはどうでもいい。機嫌よく遊んで(?)いるのだから、細かいことは無視しよう。
 イルカはそう判断して、とりあえず作業を続けた。
 四角いバットの中に五個のハンバーグが並んだとき。
「あーっ!」
 耳のすぐ横で、カカシが絶叫した。
「なっ……なんです?」
「……落としちゃいましたー」
 泣きそうな顔。イルカはため息をついた。あんなに見事にクナイを扱う男が、ハンバーグひとつ作れないのか。いまに始まったことではないが、なんとなく脱力する。
「怒りました?」
 上目遣いに、カカシ。
「怒ってませんよ」
 一応、言っておく。
「本当に、怒ってません?」
 探るように、訊く。
「怒ってませんってば。しつこいですね」
「あーっ、やっぱり怒ってるー」
 ミンチでベトベトになった手を震わせながら、銀髪の上忍は唇をとがらせた。五歳児ならそれなりにかわいいポーズだが、二十代後半の男がやっても異様なだけだ。
「イルカ先生のために一生懸命がんばったのに……」
「わかってますよ」
 そう。がんばっているのは、わかっている。ただ結果が伴わないだけだ。
 イルカは、床にへばりつくようになっていたハンバーグをフライ返しですくって、差し出した。
「どうするんですか?」
 不思議そうに、カカシは言った。イルカは「危険人物取扱マニュアル」の奥義とも言うべき完璧な笑みを浮かべ、
「もう一度、お願いできますか」
「え?」
「土の上に落ちたわけじゃありませんから、大丈夫です」
 多少の塵や埃には目をつむろう。どうせ、大半はこの男が食べるのだ。自分はこれに手を出さないようにすればいい。
「イルカ先生って、寛大なんですね!」
 途端に、カカシの表情が明るくなった。
「俺、がんばりまーすっ」
 単純と言えば単純。純粋と言えば純粋。
 イルカは付け合わせのサラダを作りつつ、その作業を見守った。





ACT2へ続く

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