月明かりの中、そっと身体を起こした。隣の男の上に屈み込む。目を細め、ゆっくりと焦点を緩めた。
 輪郭。鼻筋。閉じた瞼。
 ぼやけてしまったそれらが、しまい込まれていた記憶を紐解き始める。
 光る銀髪を煉瓦色に置き換え、見えてきたものにしみじみと思う。


 ああ。やっぱりそうだ。
 あんただったんだ。


『暗部さん』


 大切な思い出に住む人だった。
 いつか会えたらいいなと思っていた。
 その人が今、オレの隣にいてくれる。






忘れない夏〜お稽古カカシシリーズ過去編2:イルカside by真也






ACT1



 初めてその人に会った時、『どうしよう』って思ってしまった。
 赤い髪。黒い服。犬面。
 その人は、『暗部』だったのだ。



 どうしてそうなったのかはわからない。
 とにかく一年前からオレは、暗部アレルギーになっていた。
「おいっ、おめえ!」
 全身ブツブツだらけのオレに、アスマ隊長が驚いて言った。
『不愉快に思われたかもしれない』
 そう思った。当たり前のことだろう。自分の姿を見た途端、こんな姿になってしまったのだから。実際、今まで何人かに注意を受けた。
 処罰もしくは叱責を覚悟していたオレに、その人は何も言わなかった。それどころか。
「受け取れってよ」
 アスマ隊長が促す。目の前に差し出されたものに、どう反応したらいいか分からなかった。
「薬だと。いいからもらっとけ」
 呆然とするオレの手に、隊長が丸薬を落とす。落とさないよう、慌ててそれを握り締めた。
「こいつはおれの知り合いでな。見かけは怪しいけど、腕は確かだから。な?」
 宥めるように言われ、手の中の丸薬とその人を交互に見つめる。しどろもどろで礼を言い、逃げるようにその場を去った。背中に感じる視線。顔が熱くなるのが自分でもわかった。
 どうしてだろ。
 アレルギーの新しい症状かな。
 そんな、わけのわからない不安を感じながら、オレは持ち場へと向かった。後でもらった丸薬を飲んでみたが、それは今までもらったどの薬よりも、身体の痒みを取ってくれた。
 すごいな。
 暗部の薬って効くんだ。
 その時は、そんなことを考えていた。




 高坂の砦についてから、それぞれの私室の部屋割りを聞いた。
 オレは、その人と同じ部屋になった。
「あの・・・・すいません」
 身の置きどころがなくて、そう言った。全身に広がる発疹。自分の身体がうらめしいと思った。
「その、医療部からもらった薬はあるんですが、眠くなるんで飲んでないんです」
 苦し紛れの言い訳を言う。会って二秒後に反応。一度ならずも二度までも。今度こそ怒ってると思った。
「もしお気に触るようでしたら、オレ、別の部屋にっ」 
 どうしたらいいかわからなかった。不愉快だろうからこの場を去ろう。そう思って背を向けた。扉の前に行こうとした時、足元に何かが投げられた。
 クナイだろうか。
 最初はそう思ってしまった。けれど。
「イカナクテ、イイヨ」
 それは動いた。言葉まで喋ったのだ。思わず目を見張る。
「オレハ、アノヒトノ僕デ、『パックン』デス。アノヒトノ代ワリ二、アナタトオ話シシマスネ」
 信じられない。
 その人と喋る犬の人形を、かわるがわるに見つめていた。『パックン』だって?代わりに話をするだって?
「アノ人ノクレタ薬ハ、効キマシタカ?」
 『パックン』がその人を指差して訊いた。薬だって?頭がうまく働かない。しばらく考えて、やっと前回もらった薬のことを思いだした。慌ててお礼を言う。薬が効いたことも報告した。
 怒ってないのかな。
 でもびっくりしたよな。
 さすが暗部だ。
 妙に納得していた時、その人が印を組みだした。
 トテトテ、トテトテ。
 『パックン』と呼ばれる人形が、その人の方に歩いていく。
「わあ・・・・なんか、本当に生きてるみたいですねぇ」
 痒いのも忘れてそう言った。すごい。生きてるみたいだ。どうやって動かしてるのかな。
 目を奪われている間に、『パックン』がこちらにやって来た。
「ハイ、ドウゾ」
 『パックン』の小さな前足に、この間もらった丸薬がのっている。手を出して薬を受け取った。
「効クナラ飲ンデクダサイ。痒クナイ方ガイイデショ?」
 薬どころか、『パックン』が竹筒まで運んでくる。水までオレにくれるんですか?あなたを見てブツブツ出した、このオレに。夢じゃないかと思いながら、薬を飲む。水で流し込んで、ひと息ついた。
「ありがとうございます」
 心から感謝の気持ちを言う。こんなに親切にしてくれて。なんの取り柄のない中忍なのに。
「アナタノ身体ガ『暗部』二慣レルマデ、『パックン』ヲ通シマショウ。イイデスカ?」
 最初は意表に突かれてしまったけれど、この人すごく、いい人かもしれない。
 不束ですが、宜しくお願いします。
 心を込めて、お辞儀をした。




 高坂の砦での任務は、暗号解読と連絡任務。
 それまで文遣いやC級任務しかやってなかったオレには、初めてまわってきた大きな任務だった。
 難しいところもあったけど、一生懸命頑張った。すべてはその人のアドバイスと、『パックン』さんのおかげだと思った。
「暗部さん」
 思いきってそう呼んだ。これだけお世話になっている人の、呼び名がわからなったから。本名を知ってはいけないことくらい、その時のオレにもわかっていた。
「・・・・・へ?」
 小さな声が聞こえた。意表を突いてしまったらしい。やっぱり駄目だろうか。
「ソレ、俺デスヨネ?」
 慌てて謝るオレに、その人は小首を傾げて確認した。
「『暗部サン』。イイ名前デスネ。嬉シイデス」
 ペコリとお辞儀をした後、言葉を継ぐ。
 いいんですか?オレが勝手につけた呼び名なのに。あなたはいいって言ってくれるんですか。
「俺ハ任務上、本名ヲ明カスワケニハイキマセンカラ、コレカラソウ呼ンデクダサイネ」
 嬉しくて精一杯、お礼を言う。犬面をしているはずの、その人が微笑んでいる気がした。


 暗部さんとオレは、近づいていった。
 少しずつ。
 最初は必ず出ていた湿疹も、あまりでないようになっていた。


「教エマショウカ?」
 連絡に鳶を使っていたオレに、暗部さんは言った。一瞬、耳を疑う。
「遠話。俺デヨケレバ。ソノウチ必要二ナルデショウシ」
 後先全く考えず、好意に飛びついてしまった。でも嬉しい。教えてくれるなんて。
 間近に迫るオレに、暗部さんはまた、小首を傾げて見つめていた。
 翌日からオレは、暗部さんに遠話を習うことになった。


「ソレ!ソレデスヨ」
 駆け寄ったオレに、暗部さんはそう言った。繰り出した遠話が不発に終わって、心配して駆け寄った時だった。
『今の、大丈夫ってやつ。それが遠話です。あなた、今、使いましたよ』
 頭の中に響いた、少し低めの落ちついた声。暗部さんの遠話の声だった。
 遠話?オレ、遠話できたんですか?今のが?本当に?
「本当デス」
 思わず抱きついた。出来たことが嬉しくて。こんなに早く術を会得できたなんて、初めてだったから。
「アノ、大丈夫デスカ?」
 大丈夫も何も、遠話が使えたんですよっ。
「俺、『暗部』デスヨ?」
 すっかり、忘れていた。
 飛び退いた時には遅かった。ブツ。ブツブツ。ブツ。発疹が現われる。
「スミマセン。出チャイマシタネ」
 謝られて必死で否定した。どうってことないです。たかが湿疹くらい。あなたは遠話を教えてくれたのに。


 いいんです。
 暗部さんだから、いいんです。


 言ってしまってから赤面した。勢いで言ってしまったけど、これってすごく恥ずかしい台詞だったのかも。暗部さんがこちらを見ている。きっと、呆れちゃっただろうな。
「イイエ。オ役二立テテ嬉シイデス」
 焦りまくるオレに、暗部さんはやっぱり優しかった。いっぱい迷惑掛けちゃってるのに。やっぱりこの人、いい人だよな。だから、言葉にした。
「暗部さんって、いいひとですね」と。

 暗部さんは認めてくれる。 
 頑張っても空回りばかりのオレを。
 ちゃんと、ちゃんと見ててくれるんだ。


 任務は順調にこなせている。オレはそう思っていた。
 隊長からその話を聞く、あの日まで。




 アスマ隊長は告げた。解読した情報を、里に送らなくていいと。納得できず、どういうことかと尋ねる。命令という言葉が帰ってきた。
 ぐっと唇を結ぶ。従わなくてはならない。上官命令は絶対だ。
「納得出来ナイノハ、ワカリマス。デモ、状況二ヨッテハコレモ必要ナンデス」
 暗部さんが言う。顔を向けた。長くは見つめられずに俯く。どうしてだろう。なんか、ショックだ。
「・・・・・出過ぎたことだとは思っています」
 顔を上げて、言う。無礼なことだとはわかっている。でも、心の中の疑問を解決しないわけにはいかなかった。
「でも、一つだけ教えてくださいっ!お願いしますっ」
 処罰は覚悟して訊いた。情報を里に送らなくていいのは、オレが原因なのかと。
「安心しろ。お前の解読は正しかったよ」
 アスマ隊長は言った。ならば、どうして。
「アナタノセイデハナインデス。デスカラ、安心シテクダサイ」
 オレのせいではない。それだけで納得などできない。ましてや安心なんて。
 皆がそれぞれの任務をこなしているのに、オレだけ何もせず、安穏としているなんていやだ。 
 そう訴えるオレに、アスマ隊長は話してくれた。龍髯の周りの『草』が全部、雲に操られていたことを。『草』達が送ってくる情報は、全部嘘だったことを。愕然とした。
「そういうわけだから、命令を聞け。な?」
 促されて頷く。どうして気付かなかったのか。いや、気付いてないわけではなかった。なんとなくおかしいとは思っていただけに、申し訳なかった。
「だがなイルカ。まだ終わったわけじゃない。それを逆手に、あっちを攪乱するってことも出来る」
 アスマ隊長が言った。暗部さんが止めている。攪乱だって? 
「午後には新しい作戦の発表と指示が出される。それまで待機しろ」
 命じられて頭を下げた。背を向け、部屋を出た。暗部さんが後を追ってきていた。
 歩きながら考える。オレは何もできなかった。ただ、漠然と暗号を解読するだけで。送られてくる情報をおかしいと思っていても、何もしなければ鵜呑みするのと同じだ。
 誰が確認したのかな。
 心当たりはあった。昨夜消えていた姿。暗部さん。
 立ち止まって訊いた。情報の真偽を確かめたのは暗部さんかと。「ハイ」という返事が帰ってきた。
「アノ、コレダケハ聞イテクダサイ。俺ハアナタヲ疑ッタワケジャ・・・」
 わかってます。あなたはオレのフォローですもの。自分の役目を果たしただけですよね。 
『すみません』
 心の底から謝る。オレがちゃんと任務を遂行していれば。せめて暗部さんに相談していれば。
 役たたずだよな。
 先に戻ることだけを告げて、部屋へと走り出した。どうしようもなく、情けなかった。
 その日の午後、砦の者が一同に集められ、新しい作戦が発表された。



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