■『燃える椿の下で』ACT6 対応作品■
羅刹
byつう
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床の間には、散りかけた彼岸桜。違い棚には、『羅刹』。
かつて花の国の豪商から譲り受けたその天目茶碗の逸品は、赤みがかった昏い焦げ色をしていた。ちょうど、いまこの座敷を照らしている灯明の薄暗い光のような。
カカシは壁にもたれ、胡坐していた。冷たい空気が満ちている。息をするのもはばかられるほどの。
一睡もしないつもりか。視線の先にある横顔を見つつ、思う。白い頬が灯明の燈に照らされ、くっきりとした陰影が刻まれている。イルカは座敷の中央に正座したまま、微動だにしなかった。
うちは屋敷からここへ戻るまでのあいだ、いつこの人が爆発するか気が気ではなかった。なにしろ、飢えた狼の眼前に我が子を置いてきたようなものだ。現段階ではほかに道はなかったとはいえ、ナルト一人にすべてを負わせることになってしまった。不甲斐ないとしか言いようがない。
もし、自分が全権を委任されていたら、迷うことなく屋敷ごと大蛇丸を滅していただろう。「うちは」がいかに重要であろうとも、他者に牛耳られるよりは消してしまった方がいい。
だが、三代目には「うちは」を切ることはできなかった。ほかにも時限印を封じられた者がいるとはいえ、その気になれば一撃で倒せただろうに。
やはり、情が勝ったか。
それが三代目の徳でもあり、甘さでもある。イルカのときもそうだった。雲の国の忍に時限印を施されたイルカを、結局は処分しなかったのだから。
たしかに、万一のときに備えて、あらゆる手を講じてはいた。自分を暗部から呼び戻したのも、そのひとつ。自らの「手」をイルカに接近させ、監視させたのもそうだ。アスマなどは、自分でイルカを殺す覚悟をしていた。中忍ひとりのために、三人をも配して万全の態勢をとって。
里の者は皆、家族。三代目は常々そう言っていた。それはいまも変わらないだろう。だから、ぎりぎりまで見捨てられない。
つくづく、長とは荷の重いものだ。たったひとつの決断が、その後を大きく左右する。瑣末なことに思えても、何年もたってから重大な結果を生む場合もある。一時たりとも気が抜けない。
ちりちりと、炎が揺れる。イルカの瞳にその炎が映って、赤くうごめくように見えた。
ひざの上で握られた拳が、わずかに震えている。
きっと闘っているのだろう。おのれの中の鬼と。
イルカの中にいる鬼。ふだんは眠っているそれが、いま、外に出ようともがいている。
出会ったばかりのころ。不注意でナルトにケガをさせたことがあった。あのときも、この人の中の鬼が頭をもたげていた。
『もし指の一本もなくしていたら、ビンタじゃ済まなかったと思いますよ』
凍りつくような、鋭利な殺気。自分がどんなに傷つこうと、あるいは死にそうになったとしても、眉ひとつ動かさないような人が。
イルカにとって、ナルトは聖域だった。自らの未来になんの希望もなかったころから、ずっと。
そのナルトを人身御供にした。代われるものなら代わりたかっただろう。だが、大蛇丸はナルトを選んだ。サスケを助けたいと、いちばん切実に、純粋に思っているナルトを。
『誠心誠意、アタシに仕えなさい』
なにがあろうとも。なにをされようとも。
『朝になったらこの子を迎えに来なさい』
それまでは、好きにさせてもらう。
言外の意味は、そういうことだ。
ふいに、明かりが消えた。一瞬の闇。
動くか。イルカ。
このままの「気」で少しでも動いたら、俺はあんたを封じる。俺の結界の中に、永遠に閉じ込める。あんたの心を、あるいは体を、ずたずたに引き裂いても。
静寂。
薄い月明りが座敷をおぼろげに浮かび上がらせる。風が戸を揺らす音だけが、断続的に流れて。
イルカは動かなかった。まるで自分自身に封印結界を張っているかのように。
朝までは、なんとか大丈夫か。
カカシは目を閉じた。
鳥の声が聞こえる。縁から白々とした光が差し込んできた。
目を開ける。すぐそばに、イルカがいた。
充血した両眼。青い顔。目の下にはアザのような隈。たったひと晩で、別人のようにやつれてしまった。
それにしても、いつのまに動いたのだろう。いつから、こうしていたのだろう。体を休めてはいたが、「気」は張り巡らせていたはずなのに。
「朝です」
固い声。感情を押し殺した、機械的な。
ああ。そうか。
カカシは合点した。気がつかなかったということは、とりあえずはこの人が自分の中の鬼を抑えたということ。
もっとも、これから先の展開によっては、どうなるかわからないが。
「そうですね」
カカシは立ち上がった。
「行きましょうか」
「はい」
色がなくなるほどに、唇を噛み締めている。カカシは、幾重にも張っていた結界を解いた。
イルカが勢いよく障子を開け、玄関へ向かう。そのあとを追いながら、カカシは頭の中で今後の策を練っていた。
(了)
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