■『燃える椿の下で』ACT3 対応作品■


迷宮
byつう

 熱を持った肌が、すっと離れた。
「今日はやめておきましょう」
 やさしい声。カカシはついさっき脱いだばかりの夜着を手にとった。
「心ここにあらず、といった感じですし」
「そんな……」
 イルカはひじをついて、上体を起こした。
 ここは、里のはずれにあるカカシの家。ふたりは久しぶりに、ひとつ床に入ったところだった。
 たしかに、いろいろなことが脳裡をかすめていた。上忍試験を途中で放棄したサスケのことや、それに心を乱されていたナルトのこと。追い忍部隊はいまだサスケを発見できずにいる。砂の国で失踪したので、西方の国々を重点的に捜索しているが、このまま見つからないとなると、東方にも手をのばさねばなるまい。
 チャクラのかけらすら残さず、見事に姿を消したサスケ。彼になにが起こったのかはまだわからない。せんだっての雪の国での任務が関係しているのかもしれないが。
 うちはイタチ。一族を虐殺した男に関する特殊任務の……。
「打てる手は、すべて打ちました。あとは、待つしかありません」
 膳の上の杯を手にして、ぬるくなった酒を飲み干す。イルカは夜着の前を合わせて、きっちりと座した。
「そうでしょうか」
「どういう意味です」
「あなたもおれも、ここにいる。それでも、打てる手はすべて打ったと言うんですか」
「いま、われわれが里を離れることができるとでも?」
 ふた色の瞳がこちらを見据えている。イルカは唇を噛んだ。
 わかっている。そんなことはできない。カカシは次期火影候補として日々政務に追われているし、自分も側近として本殿に詰めている。そうでなくとも、「うちは」が失踪したのだ。なんらかの理由で里に仇なすことがないとも言えない。万一の場合、自分たちは里を守らねばならないのだから。
 かつて九尾の襲撃を受けたとき、四代目火影がその一命を賭して里を救ったように。
 それでも、考えずにはいられなかった。最初から自分かカカシが追い忍になっていれば、サスケの行方を掴めたかもしれない。とくに、カカシは写輪眼を持っている。サスケの写輪眼と同調できれば、ほんのわずかな「気」をキャッチできたのではないか。そう思わずにはいられなかった。
「あんたの気持ちはわかりますけどね」
 杯を戻して、続ける。
「俺たちは、もう『先生』じゃないんですよ。あいつらも、いつまでも『生徒』じゃない。子供はいつか大人になる。俺たちと同じように」
 正論だ。反論の余地はない。教え子だからといって、ずっとフォローしていくわけにはいかないのだ。それでも。
 自由に動けない自分がはがゆかった。上忍になって、奥殿のほとんどを任されているというのに、肝心なときになんの役にもたたないとは。
「まったく、あんたって人は……」
 カカシの手が頬にかかった。
「俺にも、たまにはそういう顔をしてくださいよ」
「え……」
「あんたの全部がもらえないことは、わかってますけどね」
 唇が近づいてくる。触れて、離れて。また触れて、離れて。何度かそれが繰り返されて。
 全部。おれの全部。
 それをこの男に預けたこともあった。でも。
 すべてを委ねてしまっては、生きていけないと知った。ともに生きるためには、この男を殺す覚悟でいなければならぬ、と。
 むろん、信じている。きっと自分は、命が終わるまでこの男とともにいるだろう。どちらが先に現し身を失ったとしても。
「ずるいですね」
 カカシの首に腕を回しながら、イルカは囁いた。
「ずるい? 俺がですか」
「ええ。あなたは、ずるい」
「どうして」
 会話のあいだにも、唇は互いを感じ続ける。
「あなたも……おれに全部をくれないくせに」
 きつく腕を絡める。深い口付け。言葉を飲み込んでしまうような。
 そうだ。あなたの全部はおれのものではない。でも、それでいい。
 全部なんて、要らない。必要ない。ただ、おれがほしいあなたがいれば。
 そのかわり、あなたのほしいおれも、あげよう。いつでも。いくらでも。ほしいだけ。
 ふたたび、夜具の上に倒される。夜着が左右に開かれた。熱い体が重なってくる。
「じゃ、お互いさまということで」
 下肢のあいだに、カカシが進んだ。
「……!」
 やめておこうと言ったくせに。
 どうやら、熱は冷めていなかったらしい。奥を目指すそれは、明確に意志を持っていた。
「んっ……あ……ああっ…」
 絶え間ない動きに誘導されて、声が漏れる。内部の刺激が這い上がる。背中が震える。
 広い座敷。精巧な欄間。床の間には、早咲きの彼岸桜。
 枕辺の淡い灯明に、ゆらゆらと影が揺れる。互いに、いちばんほしいものを探して。
 体だけではない。心だけではない。生きていくために、貪欲なまでに求める。たったひとつの真実を。





 満たされあったあと。
 余韻の漂う褥の中で、カカシは言った。
「待つしか、ないですよ」
 乱れた黒髪を撫でながら。
「つらいことですが、ね」
「……そうですね」
 それが見守る者のさだめ。理性と感情のあいだで、ずたずたになっても。
「あなたも……」
 待っていてくれたのだ。おれが、ひとりで歩くまで。
「え?」
「……いいえ。なんでもありません」
 微笑む。懐かしい痛みを胸にいだいて。



 わからない。これから、どうなるのか。底知れぬ不安だけが、ひたひたと忍び寄っている。
 だめだ。こんなことでは。いざというときに、足手まといになってしまう。
 イルカはきつく目をつむった。
「眠りましょう」
 頭上で、声。
「俺も、眠ります」
 眠りの向こうに、今日とは違う明日があることを信じて。
 少しだけ昔に戻って、イルカはカカシの胸に自らを預けた。

 眠りましょう。いまは、ただ。



(了)



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