『狂える椿』


byつう

四の章

 謀られた。
 森羅の忍の姿を認めた瞬間、カカシは畳を蹴った。
 どこから出る? 瞬時に計算する。ななめうしろの障子を突き破るか。天升の体を盾にして。……否。
 天升は忍ではない。「草」でもない。それぐらいはわかる。一般人を害してはならぬ。とすれば。
 天井を抜いて、上へ。チャクラを練る時間があるかどうか。きわどいところだが……。
「ようこそ、おいでくださいました」
 青墨色の髪の男が宮女のような物言いでそう言って、再度、頭を垂れた。うしろで束ねた長い髪がさらりと揺れる。
煉ちゃんです。皆様よろしく〜「どうぞ、御座におましあそばして」
 穏やかな笑み。カカシは防御の構えをとったまま、茶人姿の男を見据えた。
 殺気はない。が、一部の隙もない。実際は相手も、かなり神経を張りつめているのだろう。
 ゆっくりと、カカシは動いた。もといた場所に戻り、ひざを折る。
 男は菓子鉢を手に、座敷の中へと進んだ。正客の席にいるカカシの前に鉢を置く。
 紅葉の形をした美しい菓子。カカシは懐紙の上に菓子を乗せ、鉢をとなりにすわる天升に譲った。
「ほう。これはまた鮮やかな」
 天升が菓子をしげしげと見て、言った。
「お口汚しでございますが」
 男が翡翠色の目を細める。
「なんの。卒爾ながら、菊寿堂の品とお見受けする」
 菊寿堂は葛菓子で有名な店である。森の国の山岳地帯で採れる龍野葛と呼ばれる最上級の品のみを使用しているため、生産量が限られていて、市井の者の口に入ることは、まずない。
 舌が腫れるねえ。
 不遜なことを思いつつ、カカシはその菓子を口にした。
 細工は、ない。まあ、ここまで周到にお膳立てしておいて、菓子に毒を仕込むなどという低俗な真似をするはずもないが。
 第一、カカシには薬物に対する耐性がある。森羅の忍なら、それぐらいはすでに知っていよう。
 カカシは菓子を味わった。上忍になってから、いろいろな贈答品をもらったが、さすがに菊寿堂の葛菓子だけはまだ食べたことがなかったから。
 旨い。この緊迫した状況で食してもこんなに旨く感じられるのだから、たいしたものだ。
 炉の前では、男が台天目の点前を行なっていた。
 無駄のない、流れるような動き。風ひとつ乱さず、塵ひとつ落とさず。静寂と悠久を凝縮したような、見事な点前であった。
 天目茶碗に、濃い緑色の茶が点てられた。
 もしかして、これが「羅刹」だろうか。赤みがかった、つやのある茶色。カカシはそれを手にして、たったいま点てられた茶を飲み干した。
「結構なお点前でした」
 作法通りに言うと、男は丁寧に礼を返した。茶碗が引かれるのを待って、ふたたび口を開く。
「そろそろ、本題に入ってくれないかな」
 男の手が止まった。茶碗を脇へ遣り、顔を上げる。
「まずは……ご無事でなによりです、はたけ殿」
 わずかに表情が変わった。茶人から、忍へ。過日、刃を交わしたときの空気がかすかに甦る。
「おかげさまで。ぎりぎりセーフって感じだったけどね」
「なにをおっしゃいますやら。それを言うなら、私も同じです」
 男はにんまりと笑った。
「ふたたびお目にかかれて、よかったですよ」
「へえ。ほんとに?」
「本当ですとも」
「んじゃ、あんたら、雲とは別れるの」
 ずばりと訊いた。言葉を飾っても仕方ない。
 これまで、いわゆる影の存在だった森羅が、こんな方法をとってまで自分と接触を図ったのは、雲の国と袂を分かって木の葉に接近するためであろう。
「われわれは、そのように考えています」
 われわれ、ね。ということは、森羅の一族は森の国の中央とは方針を異にするつもりなのだ。
「で、俺にどうしろっていうわけ」
「木の葉の里の三代目との橋渡しを」
 カカシは片方の眉を上げた。
「俺は忍だよ。まつりごとに口を出す気はないねー。だいたい、じいさんが俺の言うことなんか聞くわけないでしょ。夏のボーナスだって出してくれなかったんだから」
「木の葉の里の今後に関わることでも?」
 万一、森の国と木の葉が総力を上げて戦うことになったら共倒れは必至だろう。そして、雲の国が漁夫の利を得る。
「上の者には現場のことなどわかりませんからね」
 雲の国に与して、甘い汁を吸おうとしている輩には。
「それじゃ、あんたの『上』のヒトはわかってんの? 現場ってやつをさ」
 わざと、挑発的な言い方をしてみる。
 これでカッとなって言い返してきたり、態度を変えたりするようなら、もうこの男の話を聞く必要はない。狂信的に支持されている指導者にロクなやつはいないから。
 これまで、カカシはそういう類の人間をたくさん見てきた。自分の欲望のために人心を操り、最後には自分を信じて従ってきた者たちを切り捨てるか、道連れにするような。
 愚者は愚者のままでいるがいい。なまじな知恵は、おのれのみならず罪なき人々を狂わせる。
「われわれは、忍ですよ。あなたと同じように」
 静かに、男は言った。
「われわれの長も、そうです」
 男は懐から、螺鈿の香合を取り出した。
「長より、はたけ殿へ」
「俺に?」
「お近づきのしるしに」
「賂(まいない)ってわけ」
「そう言っては、身も蓋もありませんね」
「どーんな言い方したって、おんなじでしょーが。ねえ、天升さん」
 カカシはとなりで涼しい顔をしている商人に声をかけた。
 さすがに、森羅と誼みを通じているだけのことはある。肝のすわった男だ。まあ、そうでなければ、一代で財を成すことなどできまいが。
「『あいさつ』は大事ですよ。子供でも、大人でも。最近はそれを忘れて、いきなり切り込んでくるようなうつけ者が多うございますな」
 小振りの扇子でぱたぱたと顔をあおぎつつ、言う。
 「あいさつ」ねえ。天升にしろ、この森羅の忍にしろ、ずいぶんとご大層な「あいさつ」をしてくれるものだ。
 七星窯の天目茶碗に、見事な塗りの香合。これを売れば、一年ぐらい遊んで暮らせるかもしれない。
 カカシはそっと、香合を手に取った。蓋を開ける。中には、沈香。これも最上級の品であろう。
「うん?」
 香木の片とともに、紙縒りが入っている。森羅の忍は、無言のまま頷いた。
 なるほど。密書か。
 素早く紙を広げて、あらためる。流麗な文字。韻を踏んだ古歌に隠されたその暗号は……。
 カカシは顔を上げた。翡翠の瞳が、また違った表情を持ってこちらを見つめている。
「おまえ……もしかして、煉(れん)か?」
 カカシは、約十年ぶりにその名を呼んだ。





五の章へ続く

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