『狂える椿』


byつう

三の章

 七班が復命した。今朝早くだったという。
 思ったより早かったな。
 栄養剤の点滴を終え、イルカはベッドの上に起き上がった。本当は朝いちばんに帰りたかったのだが、医師はそれを認めなかった。どうやら、アスマから釘を差されているらしい。
「午後からの検査で異常がなければ、帰宅を許可します」
 初老の医師は、にこやかにそう言った。
 仕方がない。ここでごねても、どうなるものでもあるまい。きのう、同僚に頼まれた資料は、あのあとアスマが調達してくれたらしい。
 本当に、手回しがいい。今度のことだけではない。五年あまり前、国境の砦での一件以来、アスマは元上司という以上にいろいろと気遣いを示してくれる。
「よお。どうだい」
 戸口に、件の上忍の姿。
「昼から検査があるそうです」
「んー。ひと通り、調べてくれって言っといたからなあ」
 やはり、そうだったのか。イルカは苦笑した。
「隊長は心配症ですね」
「用心深いと言ってくれ」
 にんまりと、アスマは笑った。
「ガキどもが来てるが、いいか」
 廊下を指さして、言う。
「ナルトたちが?」
「事務局におまえさんがいなかったもんだから、うるさいのなんのって」
 なんとなく想像できる。子供たちの、三者三様の表情が。
「ふうん」
 アスマがにやにやしながら、イルカの顔を覗き込んだ。
「……なんですか?」
「いや、なに。あいかわらず、ガキどもの話になると、いい顔するなあと思ってさ」
 いい顔、か。そうかもしれない。子供たちのことを考えているときは、なんの計算も作為もないから。
 純粋に、彼らの可能性を信じることができる。それだけは、心を封じていたころも同じだった。きのうとは違う彼ら。きっと、明日はまた今日とは違うのだろう。そんな彼らに、凍ってしまった自分の希望を託していたのかもしれない。
「イルカ先生!」
 どたどたと、ナルトが病室に入ってきた。うしろには、心配そうな顔をしたサクラと、なにやら怒っているようなサスケ。
「こら、静かにしろ」
 アスマがじろりと、ナルトをにらんだ。
「面会謝絶のところを、この俺が特別に口利いてやったんだぜ」
 よく言う。入院する必要もなかっただろうに、わざわざ検査まで依頼したのはほかでもない、アスマなのに。
「えっ、そんなにひどいのか、イルカ先生!」
 火に油だ。ますます、ナルトは大声を出した。
「大丈夫だよ」
 イルカは微笑して、言った。
「アスマ先生が大袈裟なんだ」
「だよなっ。もーっ、おどかすんじゃねえってば」
 ナルトはアスマを見上げて、唇をとがらせた。サクラがほっとした様子で、
「先生、これ、お見舞いです」
 小さな籠に入った葡萄を差し出す。
「早く元気になってくださいね」
「ありがとう」
 イルカは籠を受け取った。ほのかな甘い香り。きっと、ここに来る途中の露店で買ったのだろう。子供たちの気持ちがうれしくて、イルカはその薄紫の粒を口に運んだ。
「おいしいよ」
「そうですか? よかったー」
 サクラがうれしそうに笑った。
「オレはリンゴにしようって言ったんだけど、サスケが葡萄がいいって……」
 自分の意見が通らなかったことに、ナルトは少し不本意らしい。
「葡萄の方がのどごしがいい。それに、ナイフがなくてもすぐに食べられる」
 淡々と、サスケは説明した。
 いい雰囲気だな。イルカは思った。最初はどうなることかと思ったが、三人がそれぞれの役割のようなものを、無意識のうちに分担しはじめている。
 これもカカシの力だろうか。苦しみも悲しみも、自らの血肉にしてきたあの男の。
「なあなあ、イルカ先生。いつ退院できる? カカシ先生が帰ってくるまで任務はないから、どっか遊びに連れてってくれってば」
「ナルト! 無茶なこと言っちゃ駄目よ」
 サクラがぴしゃりと言う。
 本当に、いいコンビネーションだ。と、そこまで考えたとき、イルカはある事実に気づいた。
「……カカシ先生は、一緒じゃないのか」
 なぜだ。仮にも指導教官が。なにか任務中にトラブルでもあったのだろうか。
「あ、カカシ先生は、天升のおっさんと遊んでくるって」
「天升?」
「花の国の茶商で、今度の仕事の依頼をした人です」
 サクラが補足する。
 その依頼人と、遊んでくる? イルカはそっと、葡萄の籠を側卓に置いた。
 どういうことだ。復命も果たさずに、他国で遊興にふけるとは。正規の報酬のほかに、依頼人からなにかしらの金品を受領することはままあるが、任務の途中で部下を帰して接待を受けるなど、上官としてあるまじきことだ。
 まさか。
 ふと、あることに思い至る。
 三月ばかり前、カカシは馴染みにしていた花街の楼と縁を切った。慣例に従って、最後の登楼の際には楼をすべて買い切って義理を果たした。そのあと、当然ながらカカシは花街へ足を向けていない。
 もしかしたら、名残惜しくなったのだろうか。洗練された、あの世界が。
 わからなくはない。一流の楼で働く者たちの才気と美しさは、眩しいばかりだったから。
 とはいえ、一度切った縁を戻すことはできない。だから、木の葉の里ではなく他国の廓へ……。
「おい、どうした。気分でも悪いのか」
 低い声とともに、肩を揺すられた。はっとして、視線を上げる。八つの瞳がこちらを見ていた。ナルトなどは、いまにも泣き出しそうな顔をしている。
「……」
 大丈夫だ、と言おうとした。が、声が出ない。
「もういい。寝てろ」
 アスマがそっと、イルカの上体を押した。
「面会時間は終わりだ」
 肩越しに告げる。
「えっ、でも……」
「行くぞ」
 サスケがあごをしゃくって、促した。
「長居をすると、治るものも治らなくなる」
 その言葉に、ナルトもしぶしぶ納得したらしい。頬をふくらませて、下を向く。
「それじゃ、失礼します。イルカ先生、お大事に」
 ベッドの足元で、サクラがぺこりと頭を下げた。三人が病室を出ていく。
 その足音を聞きながら、イルカはのどの奥に詰まったなにかを吐き出そうと必死になっていた。





四の章へ続く


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