『狂える椿』


byつう

二十
八の章

 広間でカカシを待っていたのは、よく見知った人物だった。
「あれえ、あんた……」
 その人物はカカシの姿を認めると、いつもの人懐っこい顔で笑った。
「はたけ上忍、お久しぶりです」
「なんで、あんたがここにいるのよ」
 カカシはまじまじと男を見た。男は、イルカの同僚だった。たしか名前は、空木(うつぎ)といったか。
「火影さまが、事情を知らない者を砦に遣るわけにはいかないとおっしゃいましてねえ」
 空木はやれやれといった調子で続けた。
「アスマ上忍が来れればよかったんですが、いま、十班と七班の指導を掛け持ちしてて時間が取れなくって。で、俺が拝命したんです」
「てことは、あんたは『事情』を知ってるわけ」
 ちろりと、カカシは空木をにらんだ。
 事情。時限印の一件や、さらには自分とイルカの関係などを、この男は知っているというのか。
「ええ、まあ。俺、ずーっとうみのを見張ってましたから」
 なるほどね。カカシは納得した。こいつは、火影の「手」だったのか。
 おそらく自分が里に呼び戻されたのと同じ時期に、この男はイルカの側に置かれたのだろう。雲忍がイルカに施した術がどんなものか、当時はまだ判然としていなかった。万一のときに備え、火影はこの男にイルカを監視させていたのだ。
 人のいい、茶目っけのある中忍だと思っていたが、それも「手」としての仮面だったのかもしれない。
「あー、もう、やっと時限印が消滅して、こっちも命拾いしたと思ってたのに、うみののやつ、今度はあなたとのことでヘンになっちまって。なかなかお役御免にならなくて、たいへんですよ。俺がハゲたら、はたけ上忍のせいですからね」
 前言撤回。これがこの男の地だ。
「ストレスによく効く薬草をプレゼントするよ」
「それはどうも。……で、うみのの様子はどうです」
「ふーん。それを探りに来たの」
「火影さまの勅命です」
「イルカが使い物にならないようなら、処分しろって?」
 藍色の目が、まっすぐ空木に向けられる。空木は口の端を歪めた。
「そんなこと、命令されてませんよ。だいたい、俺とうみのじゃ勝負はついてる」
 たしかに、イルカには上忍並みの実力がある。
「俺の仕事は、事実を見極めることだけです」
「事実、ねえ」
 カカシは苦笑した。どうりで、イルカを副官にしたいと上申したとき、あっさり受理されたわけだ。「写輪眼のカカシ」のもとで働かせ、それがうまくいけば火影は再び有能な配下を手に入れることができるし、不安定なまま潰れてしまうようなら、迷うことなく引導を渡せる。どっちに転んでも不利益はないと火影は考えたのだろう。
 時限印のときもそうだった。術の発動に備え、火影はカカシを里に置いた。イルカを滅するか、救うか、その究極の選択の中に。
 まったく、そういうことなら、はじめから言ってほしい。こちらにも、それなりに覚悟が必要なのだから。
 むろん、火影とてイルカを失うのは本意ではなかろう。九尾の件ののち、ずっと後見人として面倒を見てきたし、間者としても教師としても抜きんでた人材であるのだから。
「だいじょーぶだよ、あの人は」
 のほほんとした口調で、カカシは言った。
「森羅の直系に一目置かれたんだから。たいしたもんでしょ」
「そりゃまた、すごいですね」
「ま、ちっとばかり怪我しちゃったんで、近々、里に戻るつもりではいるけどね」
「怪我って……うみのがですか」
「そ。命に別状はないけどねー。とりあえず一段落したから、来週あたり一旦帰るよ」
「それを聞いて、安心しましたよ」
 心底ほっとしたように、空木は息をついた。
「うみのには、出産祝いをはりこんでもらう約束をしてあるんで」
 空木は、来月の末には父親になる予定だ。
「ちょっと計算が合わないんじゃないの」
 カカシは首をかしげた。たしか、この男が結婚したのは昨年の八月だった。
「いやあ、じつは、もう二年以上前から付き合ってたんですがね」
 頭をかきつつ、空木は言った。
「子供ができたみたいだって女房の親父さんに言ったら、物事には順番があるって、えらく怒られまして」
 それで、形だけ「見合い」「結納」「挙式」の段取りを踏んだらしい。見合いから挙式まで半月たらずのスピード結婚の実態はこういうことか。
 カカシがひとり納得していると、空木は作法通りにひざを折り、一礼した。
「されば」
 口調ががらりと変わる。
「火影さまには、その旨、しかとお伝え申し上げます」
 万事つつがなく進行していることを。
「頼むよー」
 手をひらひらさせながら、カカシは言った。空木は「承知」と答えて広間を辞した。
 これで三代目のじいさんも少しは安心するだろう。次の任務も、イルカを副官とすることを認めてくれるかどうかはわからないが。
「なにやら、喜ばしきお話で?」
 煉が、広間に入ってきた。
「へ? なんでよ」
「使者どののお顔が、おいでになったときとは別人のように晴れやかでしたので」
 さもありなん。うっかりしたら、イルカの最期を見届けねばならないと思っていただろうから。
「んー、まあね。あの人の努力が報われたってとこかな」
「それは、よろしゅうございました」
 にっこりと、煉は微笑んだ。
「あなたの苦労も、報われましたね」
 しみじみと、言を繋ぐ。カカシも笑みを返した。
「おかげをもちまして」
 定型のあいさつを返す。
 実際のところ、煉や理寧をはじめとする森羅の者たちの助力がなければ、イルカは任務をまっとうすることはおろか、命さえ危うかったのだ。決して言葉だけではなく、カカシは心から感謝した。
「ほーんと、おまえと組めてよかったよ」
 自分にとっても、イルカにとっても。
「それは、お互いさまということで」
「そうだな」
 藍色の隻眼がうっすらと細められた。そのとき。
「よろしいか」
 戸口に、赤毛の男が現れた。理寧である。
「そろそろ、軍議の刻限だが」
「ありゃ、もうそんな時間?」
「わかった。皆をこれへ」
 張りのある声で、煉が命じた。理寧は無言のまま、踵を返した。
「では、はたけ殿」
 翡翠色の瞳が、意図をもって向けられた。カカシはそれを受けて、
「はいはい。あとは反対派への牽制かー。飴とムチで、うまくやってよ」
「三代目に、飴の用意をよしなに、と」
「そうだねえ。歯茎が痙攣するぐらい甘いのを用意するよう言っとくよ」
 カカシの言葉に、煉はいかにも可笑しそうに笑った。





二十九の章へ続く

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