『狂える椿』


byつう

二十
五の章

 夜着を脱いで、萌葱と黄蘗色の重ねの小袖を着た。半幅帯をきりりと締める。
「獄中の装束としては、それぐらいでいいでしょう」
 煉が言った。イルカは鏡の中の自分を検分し、
「捕虜になって三日目にしては、小綺麗な感じですが」
「ああ、それなら大丈夫ですよ。あとで理寧が細工してくれます」
 くすくすと笑いながら、続ける。
「なにしろ、あの男は七化けですから」
「七化け?」
「ええ。老若男女を問わず、化けるのが上手いんです。もちろん、死人でもね」
「縁起でもない」
 むっつりとした声がして、当の本人が房に入ってきた。
「わしは死人に化けたことなどないぞ」
「だよなあ。モノホンの仏さんに間違われて、埋められちまったらアウトだもんな」
 長椅子に腰掛けて茶を飲んでいた幹が、冗談とも本気ともつかぬ口調で言った。それをちろりとにらみ、理寧は卓の上に化粧箱を置いた。
「ひと揃い用意してきたが、どれぐらい傷を作る」
 なるほど。細工とはこのことか。イルカは色粉や化粧用の筆などが入った箱を覗き込んだ。
「二日、尋問をしたあとですからねえ。結構、ひどいことになってると思いますが……どうしますか、うみの殿」
 煉に問われて、イルカは眉を寄せた。
 果たして、作り物の傷で騙せるだろうか。理寧の腕を疑うわけではないが、相手は雲の国の忍である。遠目ならなんとかなるかもしれないが、今回は相当接近しなければならない。
 自分としては、この策を提案したとき、そんなごまかしを使う気はなかった。すでにかなり負傷しているし、これにあと二つ三つ新しい打撲の跡を加え、どこか差し障りのないところの傷を開いておけばいい。そう考えていた。
「せっかくですが」
 イルカは自分の意見を述べた。
「それは……」
 煉が口ごもった。幹は茶を吹き出し、
「ひやあー。おっそろしいこと言うねえ」
「ならば、これは要らぬな」
 理寧は無表情のまま、化粧道具を片付けはじめた。
「待て、理寧。……うみの殿、いくらなんでも、そこまでするのは無茶です。間者に接触して、砦の外まで誘導するだけでも大変なのに」
 外回りの忍には、この計画は知らせていない。したがって、砦を抜けようとする者に対しては容赦しないだろう。その追手を振り切って間者を逃がすのは、一歩間違ったら命にかかわる。
「わかっています」
 覚悟はできている。そして、もちろん勝算もある。自分を過信してはいないが、短時間であれば持ちこたえられるはずだ。
「仕方ねえな」
 幹が白旗を上げた。
「賭け札のレート、三倍にするか。もちろん、副官さんのギャラもな」
 理寧は無言である。煉は小さくため息をついた。
「じゃあ……下に降りましょうか」
 捕虜を収容する獄は砦の地下にある。一同は、揃って房を出た。





 使えるものは、なんでも使う。
 イルカはいままで、そうやって任務を遂行してきた。しばらく現場を離れていたとはいえ、自分は木の葉の里の忍である。もっとも効果的な方法で、為すべきことを為す。それが基本だ。
 手枷をはめられ、さるぐつわを噛まされた状態で、イルカは地下に降りた。間者が籠められている獄の横を通り、鉄格子をくぐる。幹がことさら乱暴に、イルカを奥の獄へと突き飛ばした。
「しぶといやつだ」
 台本通りの捨て台詞を吐いて、引き返していく。階段の上の鉄扉が閉まる音を聞いてから、イルカはごそごそと起き上がった。
 うしろを向いてはいたが、となりの獄の雲忍はこちらの様子を窺っていた。この装束から、件の使者だと気づいただろうか。まずは、相手の出方を見る。
 半時ばかりして、壁を叩く音がした。こちらも同じようにして叩く。すぐに、なにやら不規則なリズムで音が返ってきた。
 暗号だ。おそらく、遠話の波長を合わすための。
 懸命に記憶を辿る。雲忍の遠話。波長は三種類。これは、そのうちのどれだろう。
 かつて城攻めの折りに雲忍が使っていたのは、これとは違っていたような気がする。残りは二つ。迷っている暇はない。よしんば間違えても、自分は「雨の国の使者」なのだ。それほど疑念をいだかれることはあるまい。
『何用か』
 遠話で、問いかけた。「気」がわずかに乱れる。しばらくの沈黙ののち。
『お前は、雨の民か』
 かかった。
 ゆっくりと、鉄格子の側ににじり寄る。向こうも前の方に出てきているようだ。
 血で汚れた手で格子を掴み、イルカはよろよろと立ち上がった。



 夜半。
 見回りの交代の隙をついて、雲の国の間者と雨の国の使者は獄を抜け出した。龍尾の砦は騒然となり、二人を捕獲するために森羅の忍が四方八方へと散っていった。そして。



 なんとか、うまくいった。
 東雲の間者を崖下に逃がし、イルカは追手をまいて滝の裏に隠れた。ここでしばらく休もう。さすがに、もう限界だ。
 事情を知らぬ森羅の者たちを傷つけるわけにはいかない。イルカはぎりぎりの線で攻撃をかわし、ここまでやってきた。
 そろそろ、煉が追尾をやめるよう命令を出しているはず。あと少ししたら、砦に戻ろう。煉の私室に通じている抜道を通って。
 寒い。水に濡れたのがまずかったか。体温が急激に奪われていく。暦の上ではすでに春だが、実際には一年の中で最も気温の低い時期である。
 少々早いが、動けるうちに砦に向かった方がいいかもしれない。イルカはそう判断して、滝の洞穴を出た。
 木の上を移動する体力は残っていなかった。なるべく音を立てぬように、斜面を上っていく。
 半刻ばかり行くと、木々の向こうに砦の城壁が見えた。もうすぐだ。そう思って足を早めようとしたとき、いきなり上から何者かが飛び降りてきた。
 殺気。森羅の物見だ。かわせない。瞬時にクナイを構えたが、間に合わないことは自分でもわかった。
 なんて未熟なのだろう。一瞬の気のゆるみが死に直結するのだと、重々承知していたはずなのに。
 でも、これはおれの責任。おれが負わねばならぬ結末なのだ。
「待てい!」
 物見の忍のクナイが振り下ろされる直前。
 真横から突風が吹いて、木々を薙ぎ倒した。当然ながら、イルカの体も数間ばかり吹っ飛んだ。
「大丈夫か、副官さん!」
 濁声が響く。イルカは顔を上げた。
「……幹どの」
「生きてるよな? あー、よかった。立てるかい」
「はい。……っ…!」
 勢いよく飛ばされたせいか、上体が起こせない。
「ありゃりゃー。やりすぎたかな。腕の傷も開いちまったみたいだし……ちょっと待ってな。おい、おまえ、戸板持ってこい!」
 幹は、物見の忍に大声でそう命じた。





二十六の章へ続く

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