『狂える椿』


byつう

二十
四の章

 水郷寺の門主は、今年還暦を迎える。父親は現在の国主の従兄弟にあたるらしいが、生母の身分が低く、五歳で出家させられたという。
 その後、異母兄たちが続けて没し、結局、生家は断絶した。自分が出家しなければ、封土は安泰であったのにという思いが強いのだろう。僧職にありながら、なにかといっては中央のまつりごとに介入している。
 まあ、べつに、坊主だからって野心を持つなとは言わないけどね。
 カカシは水郷寺の唐門の上から様子を窺いつつ、思った。おいしいとこ取りはよくないよ。それなりに、苦労してもらわなくっちゃ。
 泥をかぶって、腕の一本もなくして、それでも手に入れたけりゃそうすればいい。「権力」ってやつは魔物だ。下手をすると、最終的に自分が喰われる。
「んじゃ、ま、泥をかぶってもらうかな」
 カカシは僧房の屋根から屋根へと移り、目指す棟に侵入した。





 首級をひとつ。
 これで十分だろう。もっとも、警護の僧兵は何人か始末したが。
 カカシは門主の枕元に、その首級を置いた。さすがに気配に気づいたのか、門主は蒲団を蹴って横に転がり出た。
「朝っぱらから、騒がしくして悪いねえ」
 のほほんとした口調で、カカシは言った。わざと左眼をさらして。
「し……写輪眼!」
 門主の顔から色が消える。
「そーゆーこと。はい、これ、お土産ね」
 首級を投げる。門主は無言のまま、あとずさった。
「曹丙とかいったっけ? その坊さん。あんた、そいつのこと邪魔に思ってたんだろ。心配事をひとつ減らしてあげたんだから、感謝してほしいなー」
「だれが感謝などするか!」
「あーら、そう? でも、やっちゃったもんは仕方ないから」
 門主は、畳の上の首級とカカシを見比べた。必死になにごとか考えている。それはそうだろう。うがった見方をすれば、門主が対抗勢力を粛清したともとれるのだから。
「それとも、あんたもこうなってみる?」
 クナイをもてあそびながら、言う。門主の口元がぴくぴくと痙攣した。もうひと押しってとこだな。
「七人目の顔が見られなくて、残念だけどねー」
 門主が外に幾人もの側女を囲っているのは、公然の秘密である。そのうちのひとりは、門主の七人目の子供を懐妊中だった。
「……目的は、なんじゃ」
 やっとのことで、門主は言った。がらがらとした、潰れた声で。
「やーっと、まっとうな会話になったね」
 カカシはにんまりと笑った。
「難しいことじゃない。あんたが、もうちょっとおとなしくしててくれたらいいんだよ。そうしたら、九人でも十人でもコドモ作れるし、もしかしたら、どっかの羽振りのいいあきんどから喜捨があるかもよ」
 雲との関係を断てば、「座」も水郷寺を無下にはできまい。商売人は商売人らしく、それなりに見返りを提供するはずだ。
「喜捨、のう。……まことに?」
「俺が出すわけじゃないから、約束はできないけどさー。そんなのは、あんた次第なんじゃないの」
 ずい、と前に出て、クナイの切っ先を門主の喉元にあてる。
「……!」
「動いたら、死ぬよ」
 ふた色の瞳で、ぎろりとにらみつける。
「人間、生きていくのは大変だけど、死ぬのは簡単なんだよ。ま、そんなことはあんたもよーく知ってるだろうけど」
 わずかに血がにじむ。これぐらいで、いいかな。
「じゃ、よろしくねー」
 素早くクナイを引く。一瞬ののち、カカシの姿は門主の前から消えていた。





 妙に悟りを開いたやつでなくてよかった。もっとも、水郷寺にそんな廉潔の士はいないが。
 俗にまみれた者というのは、それなりに駆け引きが効く。その点においては、水郷寺は工作しやすい相手と言えた。
 とりあえず、これでしばらくは静かにしているだろう。いかに「風見鶏」とはいえ、吹く風が弱まっては動けまい。あとは、「座」の内部に入り込んでいる雲の国の間者の始末だが、そっちは煉がうまくやるはず。
 カカシは龍尾の砦に向かい、ひたすらに走った。





 翌未明。
 龍尾の砦に銀髪の上忍が帰還した。
「なんだよ、これは」
 篝火が、異様に多い。森羅の忍が、交代要員も入れてほぼ総動員されているようだ。門衛に事情を訊くと、なんでも捕縛した雲忍が脱走したらしい。カカシは足早に、砦の奥へと向かった。
「ご無事でなによりです」
 いくらか疲労の色を浮かべた煉が、カカシを出迎えた。
「して、首尾は」
「んー、上々だよ。曹丙っていう坊さんの首を獲って、門主にプレゼントしてきた」
「曹丙、ですか」
 煉はまじまじと、カカシを見た。
「それは……おつかれさまでした」
 なにか思うところがあったらしいが、いまはそれを云々するつもりはない。カカシは言を繋いだ。
「外で聞いたんだけどさ。雲忍に逃げられたって?」
「え? ああ、はい。逃げられたというより、逃がしたんですが」
 微妙な言い回し。カカシは自分が不在のあいだに、なにか新しい展開があったことを察した。
「そいつって、東雲の荘の忍か」
「ええ。雨の国への工作に使えると思って、泳がせることにしたんです」
 なるほど。それで「逃がした」わけ。
「向こうさんが、それを鵜呑みにしてくれるといいんだけどねえ」
「たぶん、大丈夫だと思いますよ。うみの殿が……」
 その名を聞いて、カカシは眉をひそめた。
「イルカが?」
 瞬時に、声音が変わった。
「あの人に、なにをさせた」
「……うみの殿から提案があって、間者を逃がす手引きをする、と……」
 ばかな。
 カカシは踵を返した。無言のまま、房に向かう。
 自分が水郷寺に向かうときは、まだ意識を取り戻していなかった。それなのに、衰弱した体でそんなことを……。
「はたけ殿、待ってください!」
 煉が追ってきた。うしろでなにか言っていたが、無視して戸を開ける。つかつかと中に入り、牀の幕を横に払った。
「イルカ……」
 牀の上には、だれもいなかった。きっちりと整えられた夜具には、ぬくもりのかけらもない。
 まだ、戻っていないのか。
 それはそうだろう。砦の中はあちこちで篝火が焚かれている。忍の配備も尋常ではない。これは表向き、まだ脱走者の捜索をしているとアピールするためだ。
「はたけ殿」
「……なぜだ」
「申し訳ありません。でも……」
「言い訳は、いい」
 藍色の隻眼が、煉を見据えた。
「頼むと言ったはずだ」
 イルカのことを。そして、おまえはそれを引き受けたのに。
 その場の空気が凍る。煉はぐっと唇を結んだ。
「あの人は、どこにいる」
「それは……」
 煉が口を開いたとき、房の外が急に騒がしくなった。大勢の足音と、喧嘩でもしているかのような怒鳴り声。
「煉、どこだ?」
 ひときわ大きな、幹の声が聞こえた。煉はしばし迷ったのち、廊下に出た。不本意ながら、カカシもそれに続く。
「おう、そこか。いやあ、大変だったぜ。なんとかうまくいったけどよ。……ああ、カカシ先生、帰ってたのか。ちっ、今回は理寧の勝ちだな。早くても昼は過ぎると思ってたのに」
 どうやら、カカシの帰還を賭けの対象にしていたらしい。
「幹、うみの殿は……」
「悪い。ちょっくら、やりすぎた」
 幹があごで、うしろを指した。くすんだ戸板の上に、小袖姿の若い男が横たわっている。
「……イルカ!」
 カカシは目を疑った。いくつかの新しい傷。欝血。ところどころ破れた着物。手首には枷をはめられていた跡まで付いている。
「カカシ先生、勝手しちまって……」
 皆まで言う間もなく、カカシの手刀が幹の額を直撃した。大きな体が派手な音をたてて倒れる。何人かがその巻き添えになって、床に転がった。
「煉……」
 ゆらり。カカシの上体が傾いだ。右手がかすかに放電しはじめる。
 額宛てが、音もなく床に落ちた。




二十五の章へ続く

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