『狂える椿』
byつう
二十三の章
桃の節句までに、雨の国の「座」を潰す。
東雲卿はそう言った。イルカはそのことを、煉に告げた。
「なるほど」
粥を食べ終えて、煉は頷いた。
「それで合点がいきます。東雲の城には、水郷寺の僧侶がいました」
「やはり、雲は水郷寺を抱き込んだんですか」
「でしょうね。水郷寺は『座』の勢力をよく思っていませんから」
食い合いをさせて、最終的には雨の国の国力そのものを弱めるつもりなのかもしれない。
「いま、はたけ殿が水郷寺に向かっています」
煉はイルカが意識を失っていたあいだの経緯を簡潔に述べた。
「これで門主が手を引いてくれればいいんですがね」
「『風見鶏』ですから、おのれの身はかわいいと思いますよ」
ただ、あからさまに脅すのは逆効果だ。自分が第一の存在だと思っている輩には、その自尊心をくすぐる方法を取る方がいい。
「水郷寺には、門主の覚えがめでたくない者がいたはずですね」
「ああ、たしか、曹丙と言いましたか」
十年ばかり前に、現在の門主と後継を争った人物だ。
「ええ。『掃除』をするのなら、その一派を片付けるのがいいでしょう」
煉は目を見開いた。
「そんなことをしたら、門主が調子づいてしまいますよ。目の上のたんこぶが取れるわけですから」
「恩を売るのもひとつの策です。それに、たんこぶを取るにも、痛みは伴いますから」
いわば政敵の屍をさらして、いざとなったらいつでも、そちらの首も獲れるのだと知らしめておけばいい。「風見鶏」にはそれで十分だろう。
「なるほど。あなたも、意外と恐ろしい人なんですね」
くすりと、煉が笑った。
「残念ながら、いまからでは、はたけ殿にその策をお伝えすることはできませんが」
カカシが砦を出たのは昨日の朝だという。とすれば、もう水郷寺に入っているだろう。
「そうですね。でも……」
カカシなら、やるだろう。自分が持っている情報ぐらい、とっくにあの男も入手しているはずだ。
元暗部。木の葉の里屈指の上忍なのだから。
「不思議ですね」
しみじみと、煉が言った。
「なにがです」
粥の椀を盆に戻して、イルカは訊いた。
「それほどにわかりあっているのに、どうしてわざわざ離れようとするのか」
わかりあって?
そう。たしかに、あの男の行動は手にとるようにわかる。つねに自分の立ち位置を見据え、次になにを為すべきかを的確に判断する。忍としての「はたけカカシ」のことならば。
おかしなものだ。逆に、あの男の腕の中にいたときはそれが見えなかった。イルカにとって、里にいるときのカカシがすべてだったから。
ただ、自分を包んでくれるあたたかな腕があれば、ほかのことはどうでもよかった。いや、あえて考えないようにしていたのかもしれない。
カカシがどんなに過酷な状況で戦っているのか。それぐらい容易に想像できたはずなのに。
失いたくないと、そればかり考えていた。失ったあとのことを考えるのが恐くて。カカシを失うぐらいなら、自分が消えた方がいいとさえ思ってしまった。
東雲の城で。はじめて、死のうと思った。あのときは本気で。
でも、それはなんと浅はかな考えだったのだろう。生きる努力もせずに、安易に流れてしまった。それであの男にほめてもらおうだなんて。
甘えていたのだ。結局は。生きることに対しても、死ぬことに対しても。
生と死は両極だが、その意味するところは同義だ。生を知らぬ者は死を知ることはできないし、死と真っ向から対峙できぬ者は生をまっとうできない。
忍という、つねに生死のはざまを行き来する場所にいながら、そんなことさえわからずにいた。わかろうとしなかった。
『生きろ』
父の、最後の希望。
『生きていてほしい』
あの男の、切なる願い。
それらをこの身の内に受けとめたはずなのに。
「離れません」
意識するより前に、言葉が出ていた。言葉が、さらに意志を形作る。
「決めました」
自分でも信じられないほど、胸が軽くなった。心の底に巣くっていた毒々しいものが、嘘のように消えていく。
煉は微笑した。少し、困ったような顔で。
「はたけ殿は、果報者ですね」
言いながら、卓の上を片付ける。鍋や椀を盆に乗せたところで、房の戸を叩く音がした。
「入るぞ」
返事も待たずに扉を開けたのは、幹だった。紙縒りを差し出して、用件を告げる。
「東雲の間者を捕まえた。どうする? 始末しちまうか」
「ちょっと待ってください」
せっつく幹を押し止め、煉は紙縒りを開いた。おそらく、東雲卿から雨の国の国主への密書であろう。
「これは面白い」
くすくすと、煉は笑った。
「うみの殿。もしかしたら、天はわれわれに味方したかもしれませんよ」
「どういうことですか」
「東雲卿は、雨の国の使者が森羅に拉致されたと思っているようです」
「まさか。では……」
正体を見破ったのは、イルカに術を施した忍だけだったのか。
「使者が捕縛されたので、『座』に関する工作を急ぐようにという書状です」
「使えますね。その間者」
「そうですねえ。まあ、一旦、捕まえた者を簡単に逃がすわけにもいかないんですが……」
森羅の砦がどれほど強固であるかは、周辺諸国に知れ渡っている。そこから脱出したとなると、意図的に見逃されたと思われても仕方ない。
「手引きする者がいればいいでしょう」
イルカは提案した。
「幸い、『雨の国の使者』は森羅に捕まったことになっているようですし」
先に捕縛されていた使者が、隙を見て東雲の間者を逃がす。それなら筋は通るだろう。
「しかし、それではあなたの負担が……」
「かまいません」
間者を信用させるためだ。ひとつやふたつ、傷が増えたところでどうということはない。すでに、全身に打撲や火傷の跡が残っているのだから。
「おれを、獄に繋いでください」
時間がたってからでは、まずい。できるだけ早くその間者と接触し、偽の情報を持って帰ってもらわねば。
「やってもらおうや。カカシ先生には、ひとつ借りだな。こないだの賭け札のレート、俺のぶんを倍にしてもいいぜ」
要するに、自腹を切ってもいいということらしい。煉はため息をついた。
「背に腹は変えられませんか」
「そうそう。副官さんには、ギャラを上乗せってことで。いいよな、それで」
冗談まじりに、言う。
イルカは苦笑しつつ、頷いた。
二十四の章へ続く