『狂える椿』


byつう

二十
一の章

 熱い。
 地獄にいるのだろうか。自分は。
 それも仕方がない。おのが生をまっとうできなかったのだから。
 生きたいと思わなかった。それが自分の罪。授かったいのちを軽んじた、この世で最も重い罪。
 苦しい。なにかが頭の中で暴れている。のどを突き破っていく。どろどろとした卑しい念が、体中を駆け巡る。
 ザン、と、真一文字に斬られた気がした。
 ああ、もう、終わりだ。
 イルカは、妙に安らかな気持ちのままで、その刃を受けた。





 遠くで、鳥の声。牀の幕の隙間から、細く光が差し込んでいる。
 朝だ。
 ぼんやりと、イルカは思った。夜が明けたのだ。
 息を吸う。息を吐く。生きている。自分は、まだ生きている。
 あれからいったいなにがあったのだろう。東雲の城で、正体を見破られてから。
 ふと、ある考えが浮かぶ。助けにきてくれたのだろうか。あの男が。
 まさか、な。自嘲の笑みが漏れる。
 そんなことはありえない。覚悟しておけとカカシは言った。自分はアスマとは違う。任務に失敗した部下を救ったりはしない、と。
 だから、自分の始末は自分でつけようと思った。せめて、それぐらいのことはしなければ、あの男の副官としての面目を保てないと。
「お、気がついたか」
 手水鉢を手にした幹が、幕をかきわけて入ってきた。
「俺のこと、わかるかい」
「……はい、幹どの」
 なんとか、声が出た。
「上等だ。おつむの方も無事だったみたいだな」
 幹は手拭いをしぼって、差し出した。
「目が覚めたんなら、自分で拭いてくれ」
「はい。すみません」
 起き上がろうとして、全身の痛みに顔をしかめた。どこがどうなっているのかすら、よくわからない。体中が悲鳴を上げている。
「あー、まだムリかな。打撲に裂傷に擦傷に火傷に、内蔵も相当ダメージ受けてるらしいし。骨折がなかったのが奇跡みたいなもんだからなー」
 あっさりと、恐ろしいことを言う。
「動けないんなら、寝てな」
 幹は掛け布を剥いだ。夜着の帯に手をのばす。
「いいです。自分で……」
「遠慮すんな。きのうも、やってやったんだぜ」
「え?」
「あんた、二日も意識がなかったんだから」
 幹は、イルカが雲忍の禁術を受けたあとの顛末を、かいつまんで話した。
「それは……ご迷惑をおかけしました」
 最悪だ。自分がへまをしたために、森羅の砦を危険にさらしたのだから。
 それにしても、どうして煉は自分を連れて帰ってきたのだろう。厄災の種でしかないのに。そう。カカシさえも見捨てた自分なのに。
「で、どうするよ。自分でできんのか? だったら俺は、朝飯、取ってきてやるけど」
 手拭いを持ったまま、幹が言った。
「あ、はい。できます」
 痛みをこらえて、起き上がる。幹はひょいと肩をすくめて、手拭いを投げた。
「んじゃ、頼むわ。着替えはここに置いとくからな」
 ばさっと幕を払って出ていく。イルカは手拭いを拾って、体を拭き始めた。ざっと汗をぬぐって、着替える。乱れた髪をかきあげつつ、牀から降りたとき、房の扉が開く音がした。
 覚えのある薬草の匂い。どうやら、今日の朝餉は薬草粥らしい。
 幕を開けると、そこには煉がいた。
「ごきげんよう」
 穏やかな笑みを浮かべて、煉は言った。
「起きても大丈夫ですか。なんなら、牀に卓をしつらえますが」
「いいえ。ご配慮、いたみいります」
「なにを水臭い。死地をともにした間柄ではありませんか」
 椀に粥をよそう。
「たくさん作りましたから、私もいただきますね」
 煉は卓に着いた。イルカもそれに倣って、匙を取った。
 毎度のことながら、強烈な匂いである。が、今日はなぜか、それほど抵抗なくのどを過ぎていく。配合が違うのだろうか。こころなしか、色も薄い。
 それを言うと、煉は翡翠色の目を見開いた。
「よくわかりましたね。循環器系に作用する薬草を中心に作ってみたのですが、食べやすいですか」
「はい」
「それはよかった」
 うれしそうに、匙を運ぶ。イルカは先刻から気になっていたことを訊いてみた。なにゆえ自分を助けたのか。
 かちゃり。
 煉は匙を置いた。
「助けたわけではありませんよ」
 くっきりとした二重の目に、冷ややかな光が宿る。
「結果として、そうなっただけです」
 そっと立ち上がり、卓に沿ってイルカに近づく。
「術者に取り憑かれた忍をそのままにしておいて、今後の障りとなっては困ります。覚醒する前に捕縛して、処理する。そのために、東雲の城からここまで運んできたのです」
 淡々と、煉は語を繋いだ。
「解術ができなければ、処分するつもりでした。はたけ殿も、同意してくださいましたし」
「そう……ですか」
 賢明な選択であろう。砦の中で術を発動させるわけにはいかない。時限印のときと同じように。
 結果としてそうなっただけだと、煉は言った。が、自分は同じようにして、幾度となく命を拾ってきた。
 また死ねなかったのかと、愚かなことばかり考えていた。「生きろ」と願った父の心をわかろうともせず。
「ありがとうございます」
 すんなりと、言葉が出た。煉は目を丸くしている。
「なにを言ってるんです。助けたわけではないと言ったでしょう」
「ええ。でも、あなたは可能性を残してくれました」
「可能性?」
「解術できなければ、処分する。それは当然です。でも、いま、おれは生きている」
 生きている。呼吸をして、話をして、ものを食べて。
「術を解いてくださって、感謝しています」
 消してしまおうと思った。自分など、もう要らないものなのだから、と。でも、それでも、こうして生きている。
 忍の世界は厳しい。日々、いたるところで命が失われていく。その中にあって、自分はなんと恵まれていることか。
「変わりましたね」
 しみじみと、煉が言った。
「え?」
「さすがに、はたけ殿が選んだ人だ」
「それは……」
 知っているのか。自分とあの男の関係を。
 イルカは苦笑した。
「誤解ですよ」
「なにが」
「はたけ上忍は……おれなど眼中にありません」
「だったら、ここまであなたを連れてこないでしょう」
 煉はイルカの首に手をのばした。反射的にそれを払い、防御の態勢を取る。足元がぐらついたが、なんとか倒れずにすんだ。
「ほら、ね」
 翡翠色の目が細められる。
「先日までのあなたなら、縊るのは簡単でしたよ」
 たとえば、雲の国へ向かう窟の中。たしかに、あのときはこの男の一挙一動を気にしている余裕はなかったかもしれない。
「われわれは、自らが認めた者しか受け入れません」
 作法通りに、優雅に一礼する。
「ようこそ。うみの殿」
 そう言ってこちらを一瞥した面には、いたずらっ子のような笑みが浮かんでいた。





二十二の章へ続く

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