『狂える椿』
byつう
十九の章
だれかに似ている。
雨の国の使者に化けて城に上がったイルカは、東雲卿を前にしてそう思った。
「大事ないと言うておるに。度を過ぎたる懸念は不快じゃ」
雨の国の国主からの文を投げ捨て、懸盤の上の杯に手をのばした。小姓がそれに酒を注ぐ。
「あきんどがなにほどのものか。これじゃから成り上がり者は困る」
雨の国は小国ではあるが、国主はもう十代ちかく続いた家柄である。決して成り上がりとは言えないが、いまの国主で二十七代目にあたる雲の国からしてみれは、まだまだひよっ子なのだろう。
「下々の顔色ばかり窺うておっては、いずれ国を傾けることとなろうな」
「お言葉、慎みまして」
イルカは着物の袖をさらりと捌いて拝礼した。
「わがあるじに、為すべき道を賜りますよう」
「まもなく雪も解けようほどに、宴の支度でもしやれ」
「御意」
雨の国の「座」を潰すつもりか。そんなことをすれば、雨の国の国力は大幅に減少する。そのあとを補うのは……。
そうか。東雲卿は水郷寺を取り込んだのだ。あの生臭坊主どもを。
イルカは納得した。東雲卿は、水郷寺の門主に似ている。自分がいちばん正しいと考えている種類の人間。ことさら力を誇示して、他を従わせようとする。
今回もそうするつもりなのだろう。まあ、雨の国の国主も商人の台頭には危惧をいだいているから、これは渡りに船かもしれない。
雲の国と水郷寺の密約の内容を、もう少し詳しく知りたいものだが、果たしてこの男が簡単に口を滑らしてくれるだろうか。
「おそれながら」
あくまでも控え目に、上申する。東雲卿は杯を置いた。
「なんじゃ」
「宴に添える花は、梅にございましょうや。それとも桃か、あるいは……」
「ほほ。御許(おもと)は気が早いのう。いくらなんでも、梅見の宴というわけにはいかぬわ。このあたりではまだ蕾じゃが、南方ではもう盛りであろうが」
「されば、桃の節句のころに?」
「無粋な者どもが邪魔をせねば、のう」
「お館さまに、神仏のご加護がございますように」
イルカはふたたび深々と頭を下げた。
控えの間で返書を待つあいだ、イルカは東雲卿から聞いた話を反芻していた。
雲の国は、あとひと月足らずのあいだに雨の国の「座」を潰すつもりでいる。とすれば、すでに下準備はできているはずだ。
できれば、いますぐこの場を辞して城を出たい。が、返書も持たずに退出しては疑われるし、煉の仕事にも差し支える。彼はもう、側近たちの動きを掴んだだろうか。
気を飛ばして探ってもいいが、仮にもここは雲の国。生半可な術では見破られてしまう。こんなことなら、あらかじめ遠話の波長を打ち合わせておけばよかった。
つらつらと考えていると、襖の向こうに人の気配がした。あわてて、居住まいを正す。
「お待たせした」
低い声とともに、襖が開いた。文筥を手にした大柄な男が座敷に足を踏み入れる。まるで武人のような足取りでずかずかと進み、イルカの前に立った。
「お館よりの返書を持参したが……必要か?」
「は?」
意味を量りかね、顔を上げる。
「さっさと逃げればよかったものを」
「……きさま!」
イルカは横に飛び退いた。畳に小柄が突き刺さる。
「よく生きていたな」
楽しげな顔。
「さすがに火影の子飼いだ。まったく、おまえは面白い。あのときも、楽しませてもらったが」
吐き気がした。目の奥がズキズキと痛む。
なぜだ。
心の中で、イルカは叫んだ。
なぜ、ここにいる。なぜ、いま、現れるのだ。
「いろいろと、訊きたいことがある」
手印。金縛りの術だ。
「どうやって、時限印の発動から逃れたのかもな」
男は、六年前にイルカに印を封じた国境の司令官であった。
また、同じことが繰り返されるのだろうか。
捕縛されて、籠められて、薬と拷問と辱しめと。
『覚悟はしといてくださいよ』
カカシはそう言った。自分とともにいるかぎり、つねに危険は付いて回るのだからと。
その覚悟がないのなら、要らないということか。自分は、あの男の側にいる価値のないものなのか。
あの男によって、自分は救われた。長い闇を抜けて、やっと日の光を浴びることができたのだ。
どうして、あのままでいられなかったのだろう。しあわせなままで、あの男を信じたままでいられたらよかったのに。
貪欲な自分が、その聖域を壊してしまったのかもしれない。
もう、だれも助けには来ない。あの男さえも。
要らない。それならば。
ちゃんと消してやろう。それぐらいはできる。
ねえ、カカシ先生。あなたの力を借りなくても、それぐらいはやってみせますから。
だから……。
ほめてください。よくやった、と。
結界の外に向けて術を放つのは、相当の力量と技術がいる。が、中に向けて発するのは、さほど難しいことではない。たとえ金縛りの術をかけられていても。
音にするまでもない口呪。気とチャクラを脳天に集めて。
道連れは、きさまだ。
イルカは微笑んだ。目の前にいる男が、異変に気づく。
遅い。もう間に合わない。結界を解いている暇などないよ。さあ。
閃光が走る。屋根を突き抜け、壁を破って。
轟音とともに柱が倒れ、数瞬ののち、対の屋は全壊した。
二十の章へ続く