『狂える椿』


byつう

十八
の章

 イルカが煉とともに雲の国に潜入して、五日目の朝。房の扉を叩く大きな音で、カカシは目を覚ました。
「はいはい。なに?」
 クナイを構えつつ、扉の向こうに声をかける。
「雨からの物資がぶんどられたってよ」
 がらがらとした濁声。幹だ。
「へえ。やっとこさ、動き出したってわけ」
 カカシは扉を開けた。クナイを仕舞いつつ、歩を進める。幹はそれ従った。
「で、煉は」
「まだ帰ってこねえ」
「まさか、取っ捕まってないだろうね」
「うーん。煉のやつだけなら、心配はねえんだが」
 冗談にまじえて、なかなか手厳しいことを言う。イルカが足を引っ張っていると思っているのか。
「うちの副官だって、そんじょそこらの中忍とは違うよ」
「そりゃ結構なことで」
 こいつにしろ理寧にしろ、まったく食えない男だ。まあ、それぐらいでなければ、煉の片腕など勤まるまいが。
「被害は荷物だけ?」
「いーや。人足も護衛の忍もやられたよ」
「うわー。派手にやってくれたね。宣戦布告ってとこかな」
「だろうな」
 砦の広間には、森羅の忍たちが集まっていた。すでに、理寧がなにごとか指示を出している。
「木の葉の『草』と繋ぎを取れ。あとは、雨の国の『座』の者どもに……ああ、はたけ殿。だいたいの話は聞いてもらえたかな」
 理寧はまっすぐに、カカシの前にやってきた。
「ドカンとやられたって?」
「は。われわれにとって、こたびの荷がいちばん重要だったというに」
「静かすぎて気味が悪いと思ってたけどねえ」
「いかにも。こんなことなら、たびたびルートを変えておけばよかったのだが」
 理寧は小さくため息をついた。
「で、とりあえずの手当ては?」
「木の葉に入り込んでる雲の間者を押さえることと、雨の連中の洗い直しを命じた。『座』の中に、雲と通じている者がおるやもしれぬでな」
「うーん。それより、やっぱり国主の近辺じゃないの」
「あの昼行灯の?」
「昼行灯でもねー。雨戸締め切った部屋ん中でなら、役に立つでしょうが」
 ろくでもない密談の席では、あの国主は相当に発言権があるはずだ。
「よかろう。では、そちらにも探りを入れてみるとして……幹」
「へいへい」
 あくびをしつつ、幹は答えた。
「木の葉から、新しい荷を送ってもらえるよう手配した。おぬし、それの護衛に当たってくれ」
「へっ……この俺が、荷物番かよ」
「またぞろ横奪されては困るだろう」
「けどよー」
「それが不服なら、蠅退治だと思えばよい」
「ハエ?」
 幹が首をかしげた。理寧は硬質の声で、真意を告げた。
「荷は囮だ。二匹目のドジョウを狙って群がってくる輩を捕縛する」
 ようやく、幹も納得したらしい。早速、仲間の何人かとともに広間を出ていった。
「あんた、頭いいんだねー」
 カカシがしみじみと言った。
 煉もなかなかの策士だが、この男はその上を行く。能面のように表情に乏しい顔。短い赤茶色の髪。若いのか年を取っているのか、外見だけではいまひとつ判然としないが、つれづれの話の内容から、カカシとそう違わないだろうと思われた。
「目がいいだけだ」
 ぼそり、と理寧。
「目?」
「よく見ていれば、おのずと解る。それだけだ」
 それだけのことが、凡人にはなかなかできないんだけどね。
 心の中で苦笑する。理寧には右眼の視力がない。角膜と虹彩は白く淀み、白目の部分は充血したままだ。左眼の視力は相当あるらしいが、むろん、そのことを言っているのではあるまい。「目」とはすなわち、大局を見る目のことだ。
 カカシは理寧に、自分も雲の国に入ると告げた。
「雨方面で動きがあったからね。あっちでも、ひと騒ぎ起きるかもしれない」
 煉は情報収集の目的で東雲の荘に向かった。むろん、不測の事態に備えてはいるだろうが、フォローがあった方がいいはずだ。
「それほどに、ご心配か」
 理寧が、わずかに口の端を上げた。
「は?」
「さればなにゆえ、御身はあの者を煉に委ねた。心にもない物言いまでして」
 やっぱり、食えないよな。
 カカシは頭をかいた。「写輪眼のカカシ」も、ここではまるでアカデミー生のようだ。
 かつて、玄に助けられたときの「気」が残っているのかもしれない。だから、必要以上に警戒もしないし、言葉を取り繕うこともしないのだろう。そんな自分に対し、森羅の忍たちも誠意をもって接してくれる。玄がそうであったように。
『いずれまた、あいまみえることもあろう』
 別れ際、玄が言った。
『そのときも、そなたはそなたのままでおれ。さすれば、われわれはそなたを信じよう』
 まるで、あの人のようだった。黄金の髪をきらめかせ、あざやかに笑っていた。自分にとって、たったひとりの師。
『おまえは、この世にひとりしかいないのよ』
 任務で無理をして、あわや命を落としかけたとき。
『だから、安売りしちゃ駄目だよ。こーんなに上玉なんだからさあ』
 ジョウダマって、なんだよ。そんな疑問に答えてくれるはずもなく。
『もう、オレ、がんばって磨いちゃうからねー』
 ぐしゃぐしゃと頭を撫でられた。痛いぐらいに。
 しあわせだと思う。自分には、こんなにもたくさんの思い出があるから。そしてそれが、間違いなくいまも生きているから。
 でも、イルカにはそれがない。いや、まったくないわけではないが、きわめて少ない。
 彼の心の中には、おそらく自分との思い出しかない。九尾の一件と、時限印の呪縛から逃れたあとの記憶が、大半を占めているだろう。むろん、両親との思い出はあるにしても、それはごく限られたものでしかあるまい。
 九尾が里を襲う前の、穏やかな日々の記憶。やさしい、あたたかな記憶。イルカはそれに飢えている。一旦は自分のすべてに向かい合おうとしたはずなのに。
 俺のせいだ。
 カカシは思った。あの人の求めるものを、深く考えもせずに与えてしまったから。だから、あの人はその安寧に浸ってしまったのだ。永遠などあるはずもないのに。
 否。もし永遠があるとすれば、それは互いが互いの屍を越えて歩くことができたときだろう。現し身が失われたとしても、その心を抱いて。
「はたけ殿?」
 理寧が訝しげにこちらを見ている。カカシは思考を中断した。
「んー、まあ、イロイロあってね」
 言を濁して、苦笑する。
「とにかく、俺も行ってくるから」
「……ご武運を」
 やや不本意そうに、それでも礼にのっとって、理寧は言った。そのとき。
 窓の外が騒がしくなった。なにやら、叫び声も聞こえる。
 こんなときに、だれか喧嘩でも始めたかな。そう思いつつ、出窓の側に寄る。
「理寧!」
 青墨色の髪を振り乱した煉の姿が見えた。
 帰ってきたのか。よかった。イルカは……。
 カカシは目を見開いた。
「……どうして」
 呟きとともに、カカシ踵を返した。扉を壊さんばかりにして、外に飛び出す。
「煉! これは……」
「どいてください、はたけ殿。一刻を争うんです」
 煉はカカシの前を横切った。
「理寧、護摩壇に火を入れろ!」
 そう言う煉の肩には、手足を縛られ、さるぐつわを噛まされたイルカが人事不詳で担がれていた。







十九の章へ続く

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