『狂える椿』
byつう
十七の章
森羅の忍たちは、総じて明るかった。
かつて城攻めの根回しをするために森羅の砦に赴いたときも、彼らは暇さえあれば賭け事に興じていた。緊張感がないことこのうえない。これが諸国に一目置かれている森羅の実態かと思うと、違和感すら覚えた。もっとも、あとになって、それは極度の緊張を要する仕事の合間に許された、休息の時間ゆえのことだと知ったのだが。
「うみの殿」
うしろから、声がした。肩や頭にかかった雪を払いつつ、煉が窟に入ってきた。
「たんぱく質を獲ってきましたよ」
手には、野ウサギが一羽。イルカはわずかに眉をひそめた。
「あれ、ウサギはお嫌いですか」
「いえ。そうではなくて……携帯食料があるのに、なにもわざわざ狩りをしなくても」
「だからこそ、ですよ」
煉は手際よく、ウサギをさばいていく。
「現場で食料が調達できるうちは、そうした方がいい。携帯食は非常用です」
千本に肉を刺して、焼く。しばらくして、肉の焦げるいい匂いがしてきた。
「塩と胡椒と……ああ、山椒もありますよ。どれでもどうぞ」
小さな缶が差し出された。イルカは塩をひとつまみ取って、肉に振りかけた。
食べられるだろうか。カカシと一緒にいるときは、なんとか常食を摂っていたが。
ひとくち、かじる。肉汁が口の中に広がる。胃液がどっと出た。ねじれたような痛みを感じる。それに耐えつつ、イルカは肉を飲み込んだ。
「なんだか、悲壮な顔ですねえ」
煉が青墨色の髪を揺らして、笑った。
「生じゃないだけ、ましだと思ってください」
軽くそう言って、自分も肉を口に運んだ。ぱくぱくと、じつに旨そうに食べていく。イルカはぼんやりと、それを見つめた。
くっきりとした彫りの深い顔立ち。男の自分が見ても、美しいと思う。雨の国の任務で、カカシはこの男と二十日ちかくともにいた。邪推だとわかってはいるが、どうしても、ある方向へと考えが傾いてしまう。
カカシの態度が変わったのは、この男のせいかもしれない、と。
森羅の直系。現在の長とは従兄弟にあたると聞いた。以前に森羅の忍と関わったときには、姿を見なかったが。
「ずいぶん長いあいだ、外の仕事をしてないそうですが?」
早々に食べ終わった煉が、湯を沸かしながら訊いた。
「ええ、まあ」
「それでも『写輪眼のカカシ』の副官に任じられた。……ということは、それなりに実力があるんでしょうね」
探るような眼差し。イルカは思わず目を伏せた。
「おや、ないんですか」
畳み込むように、煉は言った。しばらく考えたのち、口を開く。
「最善を尽くします」
「面白くないですねえ。『試してみろ』ぐらい、言えないんですか」
「そこまで自分を過信してませんから」
「過信するのは馬鹿ですけどね。卑下するのは愚かですよ」
煉は小さな鍋で薬草を煎じた。強烈な匂いが窟に満ちる。
「これは……」
覚えがある。カカシが作る薬草粥の匂い。
「疲労回復、食欲増進、保温作用、その他もろもろに効く万能薬です」
杯に注いで、差し出す。
「神経性胃炎にも、よく効きますよ」
「……いただきます」
自分について、カカシからなにか聞いているのだろうか。聞いていないにしても、ウサギの肉も満足に食せないようでは困ると思ったのかもしれない。
イルカは薬湯を飲んだ。いつもながら、すさまじい味だ。が、たしかに、胃のあたりが楽になってきた。これなら、どうにか食べられるだろう。
「ごちそうさまでした」
薬湯と肉を腹に納めて、イルカは頭を下げた。そこで、ふと思いついた疑問を口にする。
「カカシ……いえ、はたけ上忍に、薬草を入れた粥の作り方を伝授したというのは、あなたですか」
うっかり、呼称を間違えるところだった。自分はカカシの副官なのだ。里にいるときのように、気安く名前を呼ぶことはできない。
「ああ、それは、私の父です」
「お父上?」
「ええ。もう、亡くなりましたが」
「そうですか」
自分たちは、つねに死と対峙している。忍であるかぎり、天寿をまっとうできる者の方が少ない。
カカシはその最前線にいる。そしていま、自分も。この任務を成し遂げて里に帰るとき、自分はどうなっているのだろう。あの男の「副官」という立場を、受容できているだろうか。
辞令を受けてから、イルカはずっとカカシと一緒にいた。里の家にいるときはもちろんのこと、森の国に入ってからも同じ房に寝泊まりしている。
最初のうちは、わずかながらも期待していた。カカシの望む通りに修錬して任務の遂行に励めば、以前のようにやさしい言葉をかけてくれるのではないか。少しでも、自分を見てくれるのではないか。
たったひとことでいい。あたたかな言葉がほしかった。しかし。
カカシの口から出てくるのは、刃物のような台詞ばかり。ことさらにイルカを傷つけ、かさぶたを剥ぐような。
今回のこともそうだ。イルカがかつて雲の国の砦でどんな目に遭ったか、カカシは十分すぎるほど知っている。あの折の司令官がいまだに国境地帯にいるとは限らないが、ふたたび同じような事態に陥ったとき、果たして自分は生きて木の葉に帰れるだろうか。
『覚悟はしといてくださいよ』
突き放すような言葉。
万一の場合は、切る。あの男はそう言ったのだ。二度、同じ過ちを犯すような者は要らぬということか。
生きたくなどなかった。死ねないから生きていただけ。あのころの自分はそうだった。だからこそ、生き残れたのかもしれない。あの最悪の状況で。
「明日の昼には、東雲の荘に入れそうですね」
火の横で地形図を見ていた煉が言った。
東雲の荘は雲の国と森の国の国境地帯にある荘園のひとつで、中央の有力な公卿が治めている。煉は行李の中から袿(うちぎ)のような重ねの着物を出した。
「ちょっと立ってください」
「え?」
「裾の調節をしますから」
「あの、それは……」
「東雲の城に上がりますからね。これぐらいは着ていただかないと」
「……おれが、これを?」
「雲の国は礼儀作法や装束にうるさいんですよ。文官は小袖に袴に上衣を五枚重ねるのが登城の際のしきたりで」
それぐらいは知っている。しかし、自分たちは忍ではないか。忍がこんな格好をしていては、満足に動けない。
そう言うと、煉はいかにもといった様子で頷いた。
「それはそうなんですけどね。今回は『忍』としてではなく、文官に化けて城に入ることにしたもので」
なるほど。イルカは納得した。
「ちょうど、雨の国から東雲の荘に向かう使者を捕縛できましたからね。雨の国の国主は、もう一度、雲と誼みを通じたいようでしたが」
その文を奪い、偽の使者を仕立てて城に上がろうという計画か。
「うみの殿の役目は、東雲卿に親書を渡し、その反応を見ること。身元がばれた場合の退路は、複数確保しておいてください。これが城内の見取り図です」
イルカは頷いた。
「それで、あなたは?」
「私は、『雨の国からの使者』が来たと知った側近たちがどう動くか、探ります。それで、だいたいの勢力分布はわかりますから」
「ということは、おれは、なるべく時間を稼いだ方がいいんですね」
「お願いします」
煉は翡翠色の目を細めて、軽く会釈した。
久しぶりの潜入任務。文官の作法を頭の中で復習しながら、イルカは城の見取り図を見据えた。
十八の章へ続く