『狂える椿』
byつう
十の章
雨の国の商人たちに対する工作は、思いのほかうまく進んだ。
森羅の「草」が何人か「座」と呼ばれる商業組合に入り込んでいたことも、情報を仕入れる上ではこちらに有利に働いた。
「とりあえず、餌は蒔きましたね」
ここ二日ばかり、不眠不休で「座」の有力者たちに接触していた煉が、ほっと息をついた。
「まあねー。城ん中でも、叩けば埃のいっぱい出そうなやつを見つけたし、細工は流流ってとこだね」
「たしかに、まっとうな方法ではありませんが」
「忍が坊主みたいに真っ正直なことやってちゃ話にならないでしょ。このごろは、その坊主だって垢まみれなのに」
「水郷寺のように、ですか?」
「そうそう。いまんとこ、国主がうまくあしらってるみたいだけど。あそこの門主に隠し子が何人いるか、知ってるか?」
「五人までは知ってますが、なにぶん古い情報ですので」
「去年まではねー。今年の夏にまたひとり生まれたから、六人」
「なるほど。うちの記録を訂正しておきます」
真面目な顔でそう言ってから、くすりと笑う。
「やはり、木の葉の情報網はたいしたものですね」
「それほどでもないよ」
やるせない気持ちで、呟く。
「玄のこと、おまえに聞くまで知らなかったんだから」
「あれは……トップシークレットでしたから」
翡翠の瞳がわずかに翳る。
「でも、時限印のことはご存じだったのでしょう? それだけでも、たいしたものですよ」
「ああ、あれは……」
カカシは言葉を濁した。ここで、イルカのことを話してもいいものか。
「……木の葉でも?」
さすがに察しが早い。カカシは素直に頷いた。
「それで、里の被害は」
「なかったよ」
「え?」
カカシはごく簡単に、経緯を説明した。隠された印を探したこと。それを見つけてえぐり取り、滅したこと。
「そうですか。助かったんですか」
煉は目を閉じた。握り締めた拳は、ひざの上に置かれたままだ。
余計なことを言っただろうか。煉は時限印ゆえに、実の父親をその手にかけたのだ。もしかしたら殺さずにすんだかもしれないという、自責の念を植えつけてしまったかもしれない。
「よかった」
小さな声。煉は目を開けた。カカシをまっすぐに見据えて、言葉を繋ぐ。
「あんな思いは、私だけでたくさんです」
「煉……」
やはり、この男は強い。だれも替わることのできない痛みを、苦しみを、ひとりで耐えてきたからこそ。いま、他者を思い遣れるのだ。こんなにも深い心で。
「そんな顔をしないでくださいよ」
困ったように、煉は言った。
「え、俺、どんな顔してた?」
「私が女だったら、操を捧げたくなるような顔でしたよ」
「へえ、そりゃいい。忘れないように、写輪眼でコピーしとくかな」
「自分の顔を?」
「んー。いま鏡持ってないなあ。仕方がない。あきらめるか」
「そんなことを言ってると、恋人に怒られますよ」
「そうだねー。あの人、俺にベタ惚れだから」
冗談めかして言って、ふと窓の外に目をやった。安宿の狭い窓の向こうに、冬のどんよりとした空が見える。
木の葉の里では、そろそろ雪が降っているかもしれない。雨の国とくらべると、五、六度は気温が低いから。
「しばらくは大きな動きはないでしょうから……」
煉がなにやら考えつつ、言った。
「私は国に戻ります」
「森羅の里に?」
「はい。蒼糸(そうし)さまの決裁を仰ぎたいこともありますし」
蒼糸というのは、現在の森羅の長である。
「じゃ、俺も一旦、帰るかな」
「そうですね。本格的な活動は、年明けになると思います。その旨、三代目によしなに」
「わかった」
その日のうちに、ふたりは雨の国を出た。
復命を果たしたのは、翌日の昼だった。
火影の館の奥殿にこっそり入り、雨の国での子細を報告する。
「そーゆーことで、年明けには雨の国のルートが確保できると思いますよ」
「大儀であった」
「それから、毎度のことで、いまさら言うのもどうかと思うんですが」
「手当のことか?」
「はいー。今回も、やっぱりナシ?」
「休みをやろう」
「はいはい、ないんですね……って、え? 休み?」
カカシは耳を疑った。
「ええと、三代目、それってなにか、すっごいヤバい任務ですか」
火影が自分から休みを与えるなど、めったにない。さんざん請求して、やっと一日か二日というのが通例だ。
「休みじゃと言うておろうが。疑り深いやつじゃな」
「そりゃ、いままでがいままでですからねえ」
「おぬしには言われたくないのう」
「はあ、すみません。で、ほんとに休んでいいんですか?」
「うむ」
「ちなみに、子供たちの引率は」
「あの者たちは、先日からC級任務で地方に行っておる」
へえ。C級ねえ。あいつらだけでも、まっとうな仕事が回ってくるようになったんだ。
「んじゃ、百パーセント休みなわけですね」
「くどい」
「で、いつまで」
「七班が復命するまでじゃ。あと四、五日はあろう」
「うわ。そんなに長いこと休んだのなんて、何か月ぶりかな」
この前、長期の休みを取ったのは、イルカの印を滅した直後。たしか十二日間休んで、ずっとイルカの看護をしていた。かたくなだったあの人に、元気になってもらいたくて。
いま、どうしているだろう。帰りに事務局に寄ってみよう。今回の仕事は、結局、予定の倍ちかくも時間がかかってしまった。またこのあいだのように、離れていた時間のぶんを取り戻そうとするだろうか。
「あの、三代目」
「なんじゃ」
「ひとつ、お願いしたいことがあるんですけど」
「休暇の延長は認めぬぞ」
「そんなこと言いませんってば。そうじゃなくて、次の森羅との仕事のときに……」
一蹴されるかもしれない。おそらく火影は、それを認めないだろう。やっと助かった命を、ふたたび危険にさらすようなものだから。それでも、ほかにあの人を目覚めさせる方法が見つからない。あの人に、自分が何者なのかを自覚させるには、これしか……。
イルカを、連れていく。里の外へ。死と隣り合わせのいくさばへ。
火影は口を真一文字に結んで、その上奏を聞いた。
事務局に、イルカはいなかった。受付にすわっていた、顔馴染みの中忍に訊ねる。
「ああ、うみのね。きのうは有給だったんだけど、今日は病欠ですね。ここんとこ、オーバーワークぎみだったから」
有給というのも、局長が半ば強制的に休ませたのだと、こっそり教えてくれた。
やはり、また弱っているのだろうか。その足でイルカの家に向かう。うっすらと積もった雪を踏み締めて。
川縁の小さな貸家。カカシが声をかけようとしたとき、ふいに中から戸が開いた。
「おまえ……」
「よお。おつかれさん。いつ帰ってきた」
髭面の同僚が、低い声で言った。
「一刻ばかり前だけど……イルカ先生は?」
「ここには、いねえよ」
「いない?」
病欠していて、不在とはどういうことだ。入院したという話は聞いていないが。
「いま、俺んとこにいる。俺の服じゃでかすぎるんで、着替えを取りに来たんだ」
アスマは、風呂敷包みを抱えていた。
「なにかあったのか」
「ああ」
煙草を取り出して、火を点ける。紫煙を吐き出し、アスマは言った。
「寝たよ」
薄い色の目でちろりとカカシを見下ろし、さらに語を重ねる。
「あいつと、寝た」
十一の章へ続く