『寒椿』


byつう

四の章

 見事としか言い様がなかった。
 イルカに平手打ちを食らった翌日。カカシが予定表を受け取りに事務局へ行くと、局長以下事務局の職員が総立ちで最敬礼をした。どうやら、事前に局長が訓辞を与えていたらしい。
 ところが平手打ちをした当の本人は、そ知らぬ顔で予定表を抜き出して、それをカカシに差し出した。
「森の国の国境までの任務ですので、復命は明日でもよいとのことです」
 まったく見事だ。まるで、何事もなかったかのような対応。虚勢をはっているわけではない。書類を扱う手つきや、任務の説明をするときの丁寧な物言いからして、彼の中では昨日のことは、記憶に留める価値のないものとして処理されてしまったのだろう。
 処理済みの判を押されて、ファイルに放り込まれた報告書のようなものだ。イルカにとっての「はたけカカシ」は。
「んー。べつに、今日中に帰ってこられますよー」
 予定表をぴらりとつまんで、カカシは言った。
「だって、Dランクでしょ。あいつら連れていくんだから」
「表向きはそうですが、実質はCマイナス。途中で妨害される危険もありますので、その排除のための時間も計算に入っています」
「妨害ったって、つわものや忍が出てくるわけじゃなし。下町のゴロツキぐらい、三秒もあれば俺がやっつけちゃいますよ」
「やっつけるのは結構ですが、殺さないでくださいね」
 イルカは念を押した。一般人を手にかけてはならない。それが木の葉の里の掟だ。
「はいはい。俺だって、ムダな体力は使いたくないですよ。帰ってきたら、イルカ先生とデートしようと思ってるんですから」
 ぎこちなく、しかしことさら何気ないふうを装いながら、それぞれの仕事をしていた事務局の職員が一斉に固まった。例によって、局長は卒倒せんばかりの形相だ。
「とゆーわけで、あしたの夜は空けといてくださいねー」
 カカシは片手を机について、イルカの顔を覗き込んだ。イルカはうっすらと笑って、カカシの手の甲に分厚い辞書をどん、と置いた。
「ったー、……痛いじゃないですか」
 手を引っこめて、ひらひらと振る。
「ああ、失礼しました。言葉を正確に理解しておられないようにお見受けいたしましたので、ご確認いただこうかと」
「へ?」
 カカシは首をかしげた。イルカはぱらりと辞書を開き、「デート」の項目を指さした。
「ごらんの通り、『デート』とは通常、異性間で使用される語句です。したがって、さきほどの使い方は不適切だと思いますが」
「辞書引くの、速いんですねえ、イルカ先生」
 イルカの言葉をまるっきり無視して、カカシは感嘆のため息をついた。
「どこになにが載ってるか、もう指が覚えてるって感じですよね。ていうか、指先に目がついてるみたいな」
 実際は、辞書など引く必要もないだろう。「生き字引」というのは、決して大袈裟ではないのだから。
「ほかに、ご用は?」
 イルカは辞書を元の位置に戻して、言った。
 タイムアウトってことだね。わかったよ。カカシは予定表をポケットに突っ込んだ。
「ありませーん。じゃ、またあした」
「お気をつけて。無事のご帰還をお祈りしています」
 完璧な挨拶をして、イルカは視線をカカシのうしろにいた若い忍に移した。
「ああ、お待たせ。ちゃんと直してきたか?」
 その忍は、昨日イルカに報告書を添削されていた新米の中忍だった。カカシの横を、迂回するようにして受付に近づく。
 そんなに恐がらなくてもいいのに。心の中で苦笑する。
 暗部上がりという経歴と写輪眼のせいで、以前から明確な理由もなく自分を敬遠する人間がいるのは知っていた。べつに、それはそれで一向にかまわないのだが、昨日の一件でますます、その傾向が強くなったような気がする。
 事務局の連中がその筆頭で、局長などはまだ肘掛けを掴んだまま硬直している。あれでよく管理職が勤まるものだ。たぶん事務畑一筋で、実戦の「じ」も知らないままに役職に就いてしまったのだろう。イルカとは正反対だ。
 イルカは中忍になってから二年、間者として他国に赴いていた。その間、雲の国の属国での戦や北部内乱に深く関わり、それぞれ木の葉の利となる重要な働きをしている。
 そのイルカを、火影は里に呼び戻した。東の国境を巡る攻防の直後。
 あのときの戦役は攻撃の時期を逸して、木の葉の大敗だった。医療棟の記録によれば、イルカはそのとき全治三カ月の重傷を負っている。
 表の記録は、そこまでだった。大怪我をして、里に戻る。どこといって不思議はない。だが。
 それを見たとき、なにか作られたもののような気がした。イルカ本人と同じく、巧妙に組み立てられた精密機械のような。
 カカシは、昨日見たイルカの顔を思い出していた。
 クナイを喉元に突きつけた瞬間。イルカはそれまでの仮面をすべて捨て去った。あれはまぎれもなく「人」の顔だったと思う。穏やかで、やさしくて、安心しきった表情。
 あーんなときに、あんな顔されてもねえ。
 建物の外に出て、カカシは大きく背伸びをした。
 おかげで、ますます本気になってしまった。本気で、あの人のことを知りたくなってしまった。どんなに邪険にされてもかまわない。あの人が俺を見てくれるなら。
 それにしても、まるでガキだな。好きなやつに意地悪するってやつ。まあ、ほんとにガキのころは、そんなことやってる余裕もなかったけど。
 ものごころついたころから、カカシは忍として学び舎で生活していた。まともな会話もできないくせに、術の呪文はすでに中忍並みで、幼児なら警戒されまいと暗部の道具のように使われていた。
 そんなカカシを暗部から引き離し、手元で養育すると強硬に主張したのがいまは亡き四代目だった。
 太陽のような金髪と、澄んだ空色の瞳。明るくて華やかな顔立ちは、まだほんの子供だったカカシが見て、素直に「きれい」と表現できるものだった。
『なーんだ、おまえ、言葉しゃべれるの』
 きれいな人は、きれいな声でそう言った。
『なんか、もっとしゃべってよ』
 しゃべれと言われても、いままでまともに他人と関わったことはない。カカシは同じ言葉しか、口にできなかった。
 おねえちゃん、きれい、と。
 自分の誤解に気づいたのは、その日の晩。件の「おねえちゃん」と風呂に入ったときだった。
 だまされた。純粋にそう思った。おねえちゃんだばかりと思っていた「にいちゃん」は、それを聞くとけたけたと笑いだし、
『そうなのよねえ。オレ、変化の術使うより、まんまの方が色仕掛けの成功率が高いのよ。もう、困っちゃう』
 「色仕掛け」って、新しい忍術か?
 そう思ったことは、結局最後まで秘密にしていたが。
 四代目が「英雄」になってから、カカシはふたたび暗部に身を置いた。上層部からの要請もあったが、里にいる必要がなくなったから。
 四代目のいない里に用はない。彼の側にいられないのなら、どこにいても同じ。ただ、自分が必要とされる場所へ行くだけだ。彼が教えてくれたものを、最大限生かせるところへ。
 辛いことも、苦しいことも、悲しいことも、一生分ぐらい経験したかもしれない。でも、彼を失ったことより辛いことなんかない。
『おまえ、いままでめいっぱいツイてなかったからさ、これからはツキまくりよ』
 あの日、風呂でカカシの背中をごしごしこすりながら、四代目は言った。
『なんたって、オレんとこに来たんだもん。めっちゃツイてるって』
 「にいちゃんショック」でただでさえ不信感を募らせていたカカシには、とても「ツイている」とは思えなかったのだが。
 でも、ついてたよな。カカシは演習場に向かいながら、思った。
 なにはともあれ、自分は生きてるし、上忍になったし、家も買ったし、うまい酒も飲んでる。その他の方面でも、まあ、そこそこ楽しんでいるし。
 カカシの脳裡に、命の終わりを最上の幸せと思っているようなイルカの顔が浮かんだ。
 あんないい顔ができるのに。
 あれが「最後の顔」になるんじゃ、つくづく、もったいない。
 あの顔を何度も見たい。なにか方法はあるはずだ。あの人の心を呼び起こす方法が。
 つらつら考えながら歩いていたら、またぞろしっかり遅刻してしまった。
 ナルトがなにかがなっている。サスケが冷たい視線を送っている。サクラは小刻みに拳を震わせつつ、「怒」マークの爆発を抑えているようだ。
 楽しいねえ。コドモって。
 カカシはくしゃくしゃになった予定表を振りつつ、部下である下忍たちに近づいていった。





五の章へ続く

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