『寒椿』


byつう

十六の章

 見つけた。
 白い肌を丹念にたどって、やっと。
 右腕の付け根。内側の小さなほくろに、その印は隠されていた。
 一刻の猶予もならぬ。イルカの腕がなにかを求めるように上がる。いまだ。
 カカシはクナイを取った。一気に印をえぐる。
 鮮血。強烈な気の放出。
 夜具を脇へ払って、飛び退く。印を封じた肉塊に向かって、爆砕の術を放つ。
『砕破、滅却!』
 正確に印を結んで、呪を唱える。欠片も残さぬ。この人に仇為すものは、すべて消す。
 チャクラを最大限に高めて、カカシはそれを滅した。





 夕刻。
 火影の館の奥殿に、カカシはいた。
「てなわけで、あの人、しばらく俺が預かるから」
 三代目火影はカカシの報告を聞いて、深いため息をついた。
「無茶をしたのう」
「無茶はどっちだよ。そーゆーことは、はじめっから教えといてくださいよ。俺があの人に惚れてるって知ってたくせに」
「だから、じゃよ」
「へ?」
「おぬしには、あれに深入りしてもらいたくはなかった」
 火影はかぶりを振って、茶を喫した。
 カカシは次の言葉を待った。事ここに至っては、火影はすべてを話すだろう。それがいかに、不本意なことであっても。
「あれが国境の砦でどういう目に遭ったかは、もう知っておるな」
「まあ、だいたいのところは」
「それが、五年前じゃ」
「そうですねー。正確には四年と十一カ月ぐらいですか」
 イルカがアスマに救出されたのは、啓蟄のころ。明日は節分。暦の上ではまもなく春だが、実際には一年でいちばん寒い時期だ。
「おぬしが里に戻ってきたのは、いつじゃ?」
「んー。ええと、たしか……」
 ぞくり、と、背中が震えた。
 四代目がいなくなって、暗部に行って、自分にできることはなんでもして。そうやって日々を過ごして、七年目。火影は自分を名指しで呼び戻した。
 あれは、五年前。
 清明節の祭りの日。桜の花が里を飾っていた。
 久しぶりの里で、市に行って、酒やら花饅頭やら山ほど買い込んで、昔馴染みの家に押しかけて騒いだ。そのせいで火影の館に挨拶に行くのが遅れて、たいそう怒られたっけ。
 あれは、たしかに五年前。
「三代目……」
 声が固くなる。
 なるほどね。俺は、刺客として呼ばれたのか。
 イルカを研究所に送った後。万一に備えて、火影はカカシを里に置いた。
 九尾を封じた四代目の直弟子。イルカに仕込まれた印が発動したときに、火影はカカシを対峙させるつもりだったに違いない。
 本当に、そんなことなら最初っから言ってほしい。カカシは暴走しそうになる「気」を散らすのに、全神経を傾けた。
「よう似ておるのう」
 火影は、しわだらけの顔をさらにしわくちゃにして、笑った。
「おぬしを見ていると、ときおりあやつがおるかと錯覚する」
 カカシの心から、一瞬、負の気が抜けた。
「……あたりまえでしょ。いるんだから」
 三代目火影が掌中の珠のように慈しんだ四代目。厳しさで律するよりも、まばゆいばかりの笑顔で人々の心をとらえた男。しかし。
 彼がただ一度、修羅となって戦ったことがある。それが、十二年前。
 大切なものを守るため、彼はおのれのすべてを賭した。
『オレはオレのできることをやるの。だから、おまえはおまえのできることをやんなよ』
 血に濡れた手を払って、彼は言った。
『よかったねえ、おまえ』
『え』
『泣けるようになって』
 そのときカカシは泣いていた。言われるまで、気づかなかったけれど。
『なんか……濡れてると思った』
『ふふーん。それが、涙っつーのよ。覚えときな』
 四代目の腕がカカシを抱いた。
『で、これが抱擁。野郎相手にやったって面白くないけどさあ。おまえだから、特別に許す!』
 ややあって、ふわりと温もりが離れた。それが、最後。
『じゃあ、またあとで』
 あとで。
 あとって、いつだよ。
 カカシの言葉は届くこともなく。
 彼は、「英雄」になった。
『オレはオレのできることをやるの』
 できることしか、やらないんじゃない。できることを探して、できないこともできるようにして。そうやって、彼は生きた。
「そうじゃな。あやつは、おる」
 火影は満足げに頷いた。
「此度のこと、祝着であった。今後もよしなに、取り計らうように」
「承知」
 作法通りに答えて、カカシは顔を上げた。
「で、三代目」
「なんじゃ」
「特別手当は?」
「ない」
 きっぱりと、言う。
「えーっ、どうしてよ。俺、里の危機を救ったでしょ」
「あの者に与えた損害も大きかろう」
「そりゃそうだけど……」
 たしかに、自分はイルカをぎりぎりまで追い詰めた。今日の様子を見ても、それは明らかだ。
 イルカの精神は均衡を欠いている。いつ狂うかもしれないという恐怖に耐えた五年間のぶり返しが来てもおかしくはない。
 カカシは十日間の休暇を願い出た。火影はしばらく考えたあと、それを受理した。

 十日でイルカの精神状態が落ち着くとは思えなかったが、それ以上はいくらなんでも無理だろう。
 カカシは奥殿を出て、裏庭に回った。四阿の横にある抜道から外に出た方が早い。これは四代目から教わった方法だった。
「やっぱり、こっちに来たか」
 四阿には、アスマがいた。三部咲きの梅の下をくぐって、庭に下りる。
「派手なこと、やってくれて」
「三代目には、無茶なことって言われたよ」
「だろうな。おまえ……あいつを助けるために、あんな真似を……」
「よしてくれ」
 カカシは手を振った。
「どんな理由があったって、やったことには変わりないしー。許してもらおうなんて、これっぽっちも思ってないよ」
 イルカが許すとも思わない。あの様子からして、ますます心を閉ざしたはずだ。が、それでもいい。
 あの人が生きているから。あの人を、殺さずに済んだから。
「まあ、傷が治るまではうちにいてもらうけど……」
 事情が事情だけに、医療棟に入れるわけにはいかない。カカシはちらりと、アスマを見た。
「それとも、おまえがあの人、引き取るかい」
「いや」
 アスマは苦笑した。
「おまえに任す」
「んじゃ、なんでこんなとこで待ち伏せしてたんだよ」
「確認だ」
「へ?」
「おまえが、本気かどうか」
 カカシは唇を結んだ。
 本気かって?
 ああ。本気だとも。だから、抱いた。抱き続けた。
 結果、あの人の命は失われなかった。それだけで十分だ。
 カカシは無言のまま、隧道に入った。アスマはそれを、身じろぎもせずに見送った。






十七の章へ続く

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