『寒椿』
byつう
十五の章
里のはずれにあるその古い木造家屋は、かつてこのあたりを治めていた庄屋の別宅だった。庄屋が老年に入ってから囲った妾のために、雲の国や森の国から職人を集めて作らせたという。生け垣も庭石も、瓦や柱や壁なども最高級の材料が使われていた。
カカシがその家を買ったのは、五年前。暗部を抜けて里に戻った直後だった。
二十歳で家を持つ。それも、庶民には到底、手の届かぬような値段の物件である。さらに驚いたことに、カカシはそれを即金で買ったというのだ。しばらくのあいだ、事務局はその噂で持ち切りだった。
当時、事務局に配属されたばかりのイルカは、そんな話を別世界のこととして聞き流していた。
これが、そうか。
イルカは黒光りする屋根を見上げた。決して華美ではないが、素人目で見ても質のいい材料で丁寧に作られた家だとわかる。この男は、ここにひとりで住んでいるのか。
ぐい、と腕を引っ張られる。イルカはカカシとともに玄関に入った。
いったい、どういうつもりなのだろう。勤務中にいきなり、拉致されるようにしてここまで連れてこられた。こんなことは、はじめてだ。体の関係を持つようになってから、仕事を邪魔されるようなことは一度もなかったのに。
長い廊下をずんずん進み、奥の座敷に入る。床の間や違い棚には、香炉や大皿などが飾ってあった。
カカシが、やっと手をはなした。おもむろに押し入れを開けて、夜具を出す。イルカがあっけにとられていると、カカシは上衣を投げ捨てた。
「脱いでください」
「え?」
「なにをぼんやりしてるんです。はじめてでもあるまいし」
イルカはじろりと、カカシをにらみつけた。
「あなたは、こんなことのためにおれを事務局から連れ出したんですか」
「そうですよ。早くしてください」
「お断わりします。そういうことなら、業務が終了してからにしてください」
「待てません」
カカシはふたたびイルカの腕を掴んで、引き倒した。
「いますぐ、したいんです」
「……新しい遊びですか」
「そう思ってもらっても、いいですよ」
カカシの手が、着衣の下に滑り込んだ。先日の跡が残る場所をたどりながら、衣服を剥ぎ取る。
一昨日の夜も抱かれた。跡はまだ紅い。イルカは顔をそむけた。
どうせ、なにを言っても無駄だろう。この男は、やりたいようにやる。
組み敷いて、追い上げて、焦らして、まともな思考などできなくなるまで許してはくれない。この男以外なにも見えなくなって、この男の声以外なにも聞こえなくなって、体はこの男に同化する。吸収される。
食われる、と、いつも思う。体中に口付けられ、刺激される。この男が通った場所は、もう自分のものではない。指や唇や舌の感触が、皮膚の内側にまで浸透していく。
いつもと微妙に違う愛撫。背中に這い上がる感覚が、イルカのわずかに残った理性を砕いた。
熱い。体の中が、異様に熱かった。
熱はさらなる熱によってしか鎮まらない。イルカはそれを求めて、カカシの腕に手をのばした。
「カ……」
名前を呼ぼうとした、そのとき。
目の前に、鈍い光。
「……っ!」
右腕の付け根あたりに、激痛が走った。
直後、カカシの体が夜具を払って横に跳ぶ。
真っ赤な瞳が、さらに輝きを増した。写輪眼が開く。強烈な気が、壁や天井を揺らす。
カカシは複雑な印を次々と結んで、口呪を唱えた。
『砕破、滅却!』
赤黒い塊が、一瞬生き物のようにうごめいたかと思うと、キィン、と高い音を出して消滅した。
ぱらぱらと、天井から細かい木屑や埃が落ちてくる。床の間にあった大皿や香炉は、見事に粉砕していた。
なにが起こったのか、まったくわからなかった。
自分はカカシに抱かれていた。いつものように、眩しいほどに明るい部屋の中で。そして……。
右腕から、血が滴っている。カカシがイルカの二の腕の内側を、クナイでえぐり取ったのだ。
痺れるような痛み。血を吸った夜具。
どうして、こんなことになったのだろう。
「すみません」
カカシがイルカの側に戻ってきた。手早く止血をして、患部に術を施す。
「完璧に排除しようと思って、少し深く切ってしまいました」
「排除って……」
「雲の国の忍があんたに封じた印です。なかなか見つからなくて、だいぶ焦ってたんですが」
印のことは、シギから説明を受けていた。
いまのところ、発現は見られない。もしかしたら定着しなかったのかもしれない。しかし、未知の術であればそれを追跡するのはむずかしい、と。
「見つけたんですか。あなたが」
信じられなかった。研究所にいたとき、あんなに何度も調べられたのに。それでも、わからなかったのに。
「時限印というものだったみたいですね。発動が近くなると、見えやすくなる性質があるようで」
カカシはシギから聞いた話をかいつまんで伝えた。
「あんたには、ひどいことをしました。こんな方法を使うべきじゃなかったかもしれないけど、時間がなかったから」
方法?
イルカはぼんやりとカカシを見つめた。
いままでのことは、印を見つけるための手段にすぎなかったのか。おれに近づいて、いろいろと干渉して、体の関係を結んで。
もっとも、それはこの男にとって、役得だったのかもしれない。
以前からこの男の視線には気づいていた。目をつけていた中忍に、大っぴらに手を出す名目ができたわけだ。
印を探すという、大義名分。
なんだか、ばかばかしくなってきた。体が目的なのはわかっていたけれど、それさえも本当の理由ではなかったなんて。
喉の奥が震える。くつくつと、ひきつるように。
「イルカ先生?」
カカシが夜着を着せかけながら、問うた。イルカは緩慢な動作でその手を払い、血で汚れた夜具にくるまった。
おかしい。笑いが止まらない。過呼吸の発作でも起こしそうなほど、息がひゅうひゅうと気管を通っていく。
苦しかった。でも、笑うことはやめられなくて。
イルカは天井を見上げた。明るい光が反射して、天板の木目まではっきりと見える。
つ、となにかがこめかみを伝った。視界がわずかにぼやける。
これは、涙だ。
やっとそう認識したとき、カカシのふた色の瞳が眼前に現れた。
『……』
何事か呟く声が聞こえ、そしてイルカは意識を失った。
十六の章へ続く