『寒椿』


byつう

十二の章

 唇。頬。のけぞった顎。喉から肩にかけて舌を這わせていく。
 見逃さない。どこも。
 ふと気がついて、耳のうしろにも唇を寄せた。身じろぎするのを押さえ込み、肌の色が変わっていくのを丹念に目で追った。
 カカシの愛撫にイルカの体が応えはじめるまで、それほど長い時間はかからなかった。
「彼は、体と心を完璧に分けられる人間ですよ」
 心理テストの結果を見ながら、シギは言った。
「訓練によるものなのか、生まれついてのものなのか。あるいは、なんらかの後天的な要因なのかはわかりませんが」
 だから、東部国境の砦で命を落とさずにすんだのだ。心を放棄したから。
「たいていの人間は、心が壊れた時点で生命を維持する機能も失われるんですけどねえ」
 正気を失い、筆舌に尽くしがたい状況にありながらも、イルカはおのれの「器」を守るために最善の方法をとっていた。それはもう理性の範疇ではない。彼にはすでに、自分の意志というものがなかったから。
 それでも生き長らえた。雲の国がイルカを利用しようとしたのも、わかる。
 この男なら生きて木の葉に帰るだろう。この男なら、火影が見殺しにすることはあるまい。
 東部国境の司令官は、そう判断したに違いない。だからイルカを生かしたまま放置したのだ。
 実際、火影はイルカを殺さなかった。イルカに仕掛けられたものの正体がわからなかったとはいえ、いざとなればいくらでも方法はあったはずだ。たとえば結界に閉じ込めてから爆砕する、とか。
 火影にそれができぬはずはない。やらなかっただけだ。この人を惜しむあまりに。
 イルカが中忍になったばかりのころ、火影が自ら陣頭指揮をとる城攻めが決行されたことがある。たいして大きな城ではない。が、雲の国との国境の布陣を左右する、重要な城だった。
 その城攻めのお膳立てをしたのが、イルカだった。
 あとから聞いた話だと、中忍になってはじめての任務だったという。むろん、火影とて最初からそんな重要な仕事を新米の中忍に任せたわけではない。が、単なる「つなぎ」であったはずが、結果として城ひとつ落としたのだ。
 そんな働きをした人が。
 いまは里にいる。その理由は……。
「は……あ…」
 吐息が漏れる。敷布を掴んで、イルカは唇を震わせた。
 上気してくるにつれて、傷跡が紅く色づく。カカシはそれらのひとつひとつに口付けながら、イルカの体の上を移動していった。
 どこかに、あるはずだ。隠された「印」が。
「最近になって、わかったことなのですが」
 シギは言った。
「時限印というものがあるようです」
「時限印?」
「一定の期間、術を封印しておくものらしいですね。体のどこかに印を施して、あらかじめ決められた時が過ぎれば発現する。森の国の忍で、それを使われた者がいます」
「それで、その忍はどうなった」
「術を施した者と同化して、仲間を次々と殺していきました。当然、本人も始末されましたが」
 イルカも、その術を使われたのだろうか。もしそうなら、いつかイルカはイルカではなくなってしまう。
「森の国の忍の場合、その期間は五年でした」
 いつものごとく、淡々と事実を告げる。
「うみの中忍が里に帰還して、まもなく五年。火影さまも、それを案じておられます」
 もう、時間がないということか。
 シギは時限印の性質や威力について、詳細に語った。印を消滅させるには、それが施された「器」ごと潰すしかない。
「要するに、殺すしかないってこと?」
「そうですね」
 あっさりと、肯定する。
『いつか、だれかがあいつを殺さにゃならん』
 アスマの言葉が思い出された。彼は知っていたのだ。イルカの背負っているものの正体を。
「ああ、でも……」
 なにか思いついたように、シギは言った。
「なんだ?」
 一縷の望みを繋ぐ。
「印を施した場所を特定できれば、そこだけ排除することも可能かもしれません」
 印は、ごく小さなものだ。森の忍の場合は、足の裏にあったという。
「最初からわかっていれば、印を切り取るだけで済んだんですけどねえ」
「……わかった」
「え?」
「印を探せばいいんだな」
「それはそうですが……」
 シギは眉をひそめた。
「どこにあるかもわからないし、とても小さなものですよ。もしかしたら、白粉彫りのようにふだんは見えないかもしれないし。実際、われわれがうみの中忍を調べたときには、そのようなものは見つかりませんでした」
 それは五年前の話だ。時限印の性質からして、発動時期が迫ると見えやすくなっているかもしれない。
「やってみるよ」
 カカシは断言した。
 ふだんは見えない印ならば、常とは違う状況に置けばいい。熱く息づく体を組み敷いて、カカシは必死にその印を探した。
 イルカの息が荒くなる。体はもう限界に近い。カカシはイルカの中に入り、その行為を終わらせた。





 乱れた夜具の上に、イルカはぐったりと身を投げ出していた。
 少し無理をさせたか。カカシは練り布を濡らして、イルカの体を拭いた。
「……やめてください」
 イルカが小さな声で抗議した。
「どうしてです」
 手を止めずに、カカシは訊いた。
「もう……気は済んだでしょう」
「まだですよ」
 わざと意地悪く、言う。
「俺のやりたいようにして楽しむって言ったでしょ」
 誤解は最大限に利用しよう。それで、この人が体を預けてくれるなら。
「これで終わりだなんて、言わせませんよ」
 イルカの顔が、ぴくりと動いた。
「まあ、今日はもう許してあげますけどね。でも……」
 内股をするりと拭き上げて、続ける。
「俺、ますますあんたのこと、気にいりましたから」
「やっぱり、悪趣味ですね」
 固い声。そうそう。そのままでいて。
 あんたは質の悪い上忍に目をつけられた、可哀想な中忍。それで少しは、安心するでしょう?
 あんたは俺を拒まない。俺が誘えば、いつでも体を開くだろう。
 そんなのは嫌だと思っていた。が、もう手段を選んでいられない。あんたの命がかかっているんだから。
 生きてほしい。あんたに、生きていてほしい。そのためなら、俺は鬼にでも獣にでもなる。
 イルカは人形のように、されるがままになっている。カカシは夜具を直して立ち上がった。
「おやすみなさい。鍵を壊してしまったんで、結界は朝までこのままにしておきますね」
 応えはなかった。カカシは薄く笑って、その場から消えた。





十三の章へ続く

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