『寒椿』


byつう

十一の章

 体をくの字にして、イルカは夜具の上に横たわっていた。
 帰宅してすぐに、痙攣止めの薬を飲んだ。まもなく効いてくるはずだ。
 やはり、焼鳥がいけなかったか。ナルトに勧められるままに、つい一本食べてしまった。いつもなら、適当にごまかすのだが。
「イルカ先生も晩飯まだなんだろ? だったら、一緒に食べようってば」
 骨折した足を庇いながら、麦茶をいれてくれたナルト。思いのほか元気そうな様子に安心して、ちょっとぐらいならいいかと油断した。
 ナルトの家を出てすぐに、差し込みのような痛みが襲ってきた。常食を摂ったあとに、決まって起こる激痛。吐いてしまえば楽になるのだが、たいした量ではないので、それもままならない。
 なんとか家に帰り着いて、水屋から薬を取り出して飲んだ。胃痙攣の特効薬。栄養剤などとともに、シギが毎月、送ってくれる。
「服用の記録は、きっちりと付けてくださいね」
 それが、シギの出した条件だった。
 常食を受け付けなくなっていたイルカは、研究所にいるあいだ、ほとんどの食事を栄養剤や高カロリー流動食でまかなっていた。一度、常食に移行させるために粥や汁物が出されたことがあったが、すでに胃の機能が退化していて、無理に食べると激しい吐き気や痙攣性の腹痛に見舞われた。
 里に戻ることが決まった日、イルカはシギに、それらの特別食を自宅に配送してもらえないかと頼んだ。
「たぶん、もう普通の食事は摂れないと思いますから」
 まるで他人事のように、イルカは言った。
 あれから、五年。
 いまも、月初めには差出人のない荷物が届く。
 暗部の研究所は、存在自体が機密である。そこで働く者たちの名も、当然極秘にされていた。
 研究所に移送されたとき、イルカはただ呼吸をしているだけの状態だった。音にも光にも反応せず、自分の意志をまったく持たない。それこそひとりでは立つこともすわることも、指先ひとつ動かすこともできなかった。
 当時のことは、まったく覚えていない。ただ、長い夢を見ていたような気がする。大量に投与された薬物と、捕虜になっていたあいだの屈辱的な待遇がイルカの心を壊していた。
 アスマが砦を落とした際に入手した情報によれば、雲の国は撤退する直前に、イルカになんらかの処置を施したらしい。
 体内に仕掛けをしたか、あるいは術をかけて、なにかのきっかけで発動をするようにしたのか。それを調査するために、火影はイルカの身柄を研究所へ送ったのだ。
 本来なら、里に入るまでに処分されても仕方のない状況だった。が、雲の国がどんなトラップを仕掛けたかがわからぬうちは、安易に始末することもできなかったのだろう。たとえば、心臓が停止した途端に発動する術がかけられていたら、その場に居合わせた者たちまで巻き添えになる。
 自分が助かったとわかったのは、研究所に収容されて一カ月あまりたったころだった。ようやく自分の名前や生い立ちを思い出し、それと同時に思い出したくもない事実にも直面せざるをえなかった。
『俺は、おまえさんを捨ててくればよかったのか?』
 アスマの、苦しげな表情。
 捨て置かれて、そのまま朽ちてもよかった。でも永らえてしまったのだから、いまさら死ぬわけにもいかない。
 この身の内になにが潜んでいようと、狂いそうなほどの恐怖が頭に巣くっていようとも。
 研究所では、体中をくまなく調べられた。いや、体だけでなく、心理的な検査や実験も毎日のように行なわれ、最終的に、里に仇為す要因は見つけられないとして、ようやく解放されたのだ。
「体力的にも精神的にも、仕事に復帰して差し支えはありませんが、できれば配置転換をしてもらった方が望ましいです」
 シギが心理テストや脳波のデータを示しつつ、言った。
「同じような危機的状況に陥ったときに発動する術、ということも考えられますので。一応、火影さまにはその旨、上奏しておきます」
 淡々とした口調。感情の窺えぬ男だったが、こちらの質問には丁寧に答えるし、必要な情報は提供してくれる。下手な慰めや励ましを言わないところが、そのときのイルカにはありがたかった。
 そういえば、先月の記録をまだ送っていなかったな。
 翌月の末までに送付しないと、栄養剤や携帯食料を分けてもらえなくなる。常食を摂れなくなった身にとっては、あれが命綱だ。
 ようやく、胃のあたりの痛みが収まってきた。これでなんとか眠れそうだ。
 イルカはそろそろと起き上がった。
 帰宅してすぐに横になったので、まだ着替えもしていない。忍服を脱いで、衣桁に掛ける。
 夜着に袖を通したとき、玄関の戸を叩く音がした。もう、とっくに日付も変わっている。こんな時間に、だれだろう。
 帯を結んで、イルカは六畳間に出た。
「はい。どなたですか」
「俺です」
 しん、とした夜の空気の中、その声はイルカの耳に響いた。
 なぜだ。なぜ、いまごろ……。
 だいたい、あの男は謹慎中ではないか。火影の呼び出し以外で外に出ることは、認められていないのに。
「開けてください」
 ふたたび、声。なんの用だろう。ナルトのことか? さっきは元気そうだったが、またなにかあったのだろうか。
「……入りますよ」
 声が低くなった。と、思う間もなく、ドアがガチャリと開いた。
「お邪魔します」
 カカシは、針金のようなものを胸のポケットに仕舞いつつ、言った。
「鍵、壊しちゃったかもしれません」
 履物を脱いで板の間に上がる。
「あした、鍵屋さんに来てもらいますね。あ、もちろん、費用はこっち持ちで」
「……なにか、ご用ですか」
 常とは違うカカシの様子に、イルカは半歩ばかりあとずさった。
「ええ。ちょっと、ね」
 カカシは玄関に向けて、印を結んだ。結界だ。この男は、ここに結界を張っている。
「これでよし、と」
 振り向きざまに、額宛てを外す。銀色の髪がぱさりと揺れて、隠されていた左眼が現れた。
 噂には聞いていた。これが写輪眼。血のような、真紅の瞳。
 右の藍、左の紅。ふた色の瞳が、ゆっくりと近づいてくる。
 イルカは動けなかった。息をするのも忘れるほどに。
「じゃ、脱いでください」
「え?」
「あんただって、その気だったでしょ。この前」
「この前って……」
 一昨日のことか。
 たしかにあのときは、その覚悟をしていたが、それがどうして今日になるんだ。水だけ飲んで、早々に引き上げていったくせに。
 考えていることがわかったのか、カカシはにんまりと笑った。
「俺、焦らすのって、好きなんですよ」
 最低だ。
 イルカはカカシをにらんだ。こんなやつのために、いままで振り回されていたなんて。
「脱がせてあげましょうか?」
 カカシの手が、夜着の襟にかかった。イルカはその手をぴしゃりと払った。カカシの横を通り、奥の八畳に入る。
 夜具の上で、イルカは帯を解いた。
 結局は、これが目的だったのだ。夜着がするりと下に落ちる。傷だらけの体。こんな体が、ほしいのか。それなら好きにすればいい。
 明かりを消そうとした手を、カカシが止めた。
「あんたを、全部、見たいんです」
「悪趣味ですね」
 イルカは顔をそむけた。カカシの体が、重なってくる。
 これで終わりだ。もうなにも、考えなくて済む……。
 次々に与えられる快楽の波の中で、イルカは妙に胸が軽くなっていくのを感じていた。






十二の章へ続く

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