浄罪 byつう ACT1 ほかに道はなかった。 いや、もしかしたらあったのかもしれないが、そのとき、自分にできることはそれしかなかった。 『断!』 横一文字の攻撃結界。すべての術を、すべての技を断ずる。もちろん、その命までも。 これを教えてくれたのは、玄だった。 ……わかっていたんですね。いつか、こういう日が来ると。 父上。私はあなたに感謝しなくてはいけないのでしょうか。あなたを滅する術を授けていただいたことを。 目の前が紅くなった。玄の血が視界に散る。 幽鬼のようだった玄の顔に、ほんの一瞬、安堵の色が浮かんだ。口元には、笑み。 『煉……』 最期のとき、玄は間違いなく息子の名を呼んだ。 それが時限印というものだと判明したのは、玄が絶命して丸一日たったころだった。森羅の直系である玄が他国の術に侵されて乱心し、仲間を次々と虐殺したのである。まさに一族の存亡に関わる出来事だった。 その玄を、ひとり息子の煉が討った。 むろん、だからといって死んだ者は戻らない。肉親を、友人を、恋人を失った者たちの無念はいかばかりであろう。父が手にかけた命をわが身ひとつで償えるとは思えないが、煉はそのすべての思いを引き受けるつもりだった。 玄の屍をさらし、時限印の詳細を述べ、煉は森羅の一族に自らの処分を委ねた。その結果。 龍尾の砦に残った者たちは、煉を新たな頭に選んだ。 宴は続いていた。 龍尾の砦は新しい長を歓迎した。久しぶりの酒に皆それぞれ思い入れがあるのか、夜半を過ぎても引き上げようとする者はいない。 その中から、煉はそっと抜け出した。賑やかな広間から離れ、外廊下を回って高殿に登る。月明りの差し込む窓辺に座し、煉は深くため息をついた。 どうして、こんなことになってしまったんだろう。まさか自分がこの砦を任されるなんて。 ここにいる者のほとんどは、身内や知人を玄によって殺されている。その息子である自分の下で働くなど、不本意なことこのうえないだろうに。 それなのに、なぜ彼らは酒を酌み交わし、自分に杯を勧めるのだろう。だれも玄のことを口にしない。ただ、砦と森羅の今後のことを語るのみで。 つらかった。やさしい言葉も微笑みも、すべてが刃のようだった。いっそのこと、玄を手にかけたとき、一緒に死んでいれば……。 「煉」 夜陰に溶けるような、ひっそりとした声。 「理寧……」 ぼさぼさの赤茶色の髪の男が、高殿に上がってきた。 「皆がおまえを探している」 なにも言わずに抜けてきたからか。煉は苦笑した。 「……戻る」 短く答えて立ち上がる。一歩を踏み出そうとしたとき、視界がふらりと傾いた。 「あ……」 しまった。足が前に出ない。そんなに飲んでいないのに、もう酔いが回ったのだろうか。 倒れ込みそうになるところを、理寧の両の腕ががっしりと支えた。 「酔ったか」 「たぶん」 「では、もう寝ろ」 「みんなが待っているのだろう」 「かまわぬ」 煉の肩を抱きながら、急な階段を一段ずつ降りていく。 まただ。煉は思った。こうした気遣いを、皆がしてくれる。その思いが、つらかった。 そっと理寧の横顔を見上げる。自分より拳ふたつぶん高い位置にあるその目は、白く淀んでいる。玄の時限印が発動したとき、彼は右眼の視力を失ったのだ。 「なんだ」 下まで降りて、理寧は足を止めた。 「いや、べつに……」 失明したために、理寧は戦闘任務から外された。すぐれた術者であるのに、いまはもっぱら砦の中で情報の整理や分析にあたっている。もとからかなりの策士ではあったが、こんなことで現場を退きたくはなかっただろう。 「やはり、広間に戻る」 そう言って、外廊下の方へ向かおうとしたとき。理寧の手が煉のあごをとらえた。 一重の黒い瞳と、白濁した瞳が近づいてくる。ふたりの唇が重なり、すぐに離れた。 なにが起こったのか、一瞬わからなかった。唇に残る感触が、それが事実であると告げている。 「余計なことを考えるな」 「理寧……」 「今日はもう休め。皆には、わしが適当に言っておく」 すっと手を引き、踵を返す。廊下の角を曲がるまで、理寧は一度も振り向かなかった。 なんだったのだろう。あれは。 寝床の中で、煉は考えた。理寧の真意がわからない。自分を止めるためだけなら、なにもあんなことをしなくてもいいだろうし、なにかしらの思惑があるのならあれだけで終わるのは解せない。経験はないが、男同士の行為が成立することは煉も知っていた。 それでもよかったが。 自分の思考に、自分で驚いた。いままでそんなことを考えたこともなかったというのに。 責められたいと思っているのかもしれない。やさしく、いたわられるのではなく。 目をきつくつむって、寝返りをうつ。床に入って一刻ちかく。明日は龍央の砦まで行くことになっている。少しでも早く休まねば。 思いとはうらはらに、眠りはなかなか訪れなかった。 ACT2へ |