青の証明  by近衛 遼





 与儀と篝は「御影」と「水鏡」として、着実に任務を重ねていった。
 現場での与儀は、以前とは別人だった。時と場合に応じて状況を俯瞰する力は、三年前の彼にはまったくなかったものだったから。
 どれほどの修錬を積んだのだろう。体だけではなく、心の。
 あの男の心はほとんどゼロの状態だった。人というものを、その人が集まって作る世の中というものを、なにひとつ知らない男。たったひとつ知っていたのは、人を殺す方法だけ。
 人を殺したときだけ、あの男は人と接点を持つことができた。命じられるままに人を殺め、「ご褒美」をもらう。そのときだけ。
 あのころの与儀を思い出すたびに胸が痛む。まかりまちがえば、自分もあの男をただの道具として扱うところだったのだ。
 もし、御門の下命に忠実に従っていたら。
 自分は御影の内情を探るために送り込まれた「手」だった。与儀に近づいたのも、内偵をスムーズに運ぶための一手段にすぎなかった。それが。
 次々と予想外のことが起こり、結局、自分は封じていた過去の感情を解放してしまった。「人」としての感情を。
 一度は、滅してもかまわないと思った。自らの意志で愛した者と一緒なら、と。
 なんの作為も打算もない、湧き出る感情のままに愛した相手だから。
「あっれー、どうしたの?」
 間延びした声が、戸口から聞こえた。はっとして顔を上げる。
「いっくらヒマだからって、昼間っからなにトリップしてんの。あ、さては、ゆうべのこと思い出してたりして……」
「してません」
 きっぱりと言う。
「あーっ、冷たい! ちょっといつもとちがうコトしたからって……」
 ごん。
 たまたま手元にあった本で、目の前の男の頭を叩いた。
「……ったー。もう、なにすんんだよー」
「公の場で、不用意なことを言わないでください」
 ちなみにここは食堂だ。いくら食事の時間ではないといっても、いつだれが入ってくるかわからない。
 たしかに、ここの連中のほとんどは自分たちの関係を知っているが、わざわざいま、この場所でそんなことを口にしなくてもいいではないか。
「……怒った?」
 ぼそり、と与儀。
「ねえ……」
「怒ってませんよ」
 ため息まじりに、言う。
「ただ、ちょっと気をつけてほしいだけです」
「うん。気をつける」
 殊勝な態度で、銀髪の「御影」は頷いた。
「では、おれは報告書のつづきを作成してきますから」
 先日、与儀が陣頭指揮をとっておこなった工作の報告書が、まだできていないのだ。与儀はあいかわらず事務処理だけは進歩がなく、報告書や上申書といった類はすべて、篝が代筆していた。
「……わかった」
 与儀は多少不本意そうな顔をしたが、それでもおとなしく自分の「水鏡」を見送った。
 かたん。食堂の扉が、静かに閉まった。


 ぼんやりとした月明りの中。
 敷布はもう意味を為さないほどに乱れていた。動きに合わせて、波立つように。
「ほーんと、さっきは心配しちゃったよ」
 強く腰を打ち付けながら、与儀は恨み言を言った。
「もしかして、まじで嫌われたのかなーって」
 項を噛む。舐める。もう一度歯を立てる。
「だから……安心させてよ」
 甘えるような声。上体をねじられた。脇から下腹へと手が滑る。ぞわぞわとした感覚が沸き起こる。ふたつの場所で、違う刺激が与えられる。複合した、時間差のある快感に、どちらに身を任せたらいいのかもわからない。
「はっ……あ……あん……っ」
 より強い嵐を。息が上がる。体がふたつに裂かれそうだ。
「もっと……」
 与儀が囁く。耳元で、証しを求める。
 どこまで行けばいい。どこまで壊れればいい。全部やるよ。最後のかけらまで。おまえと一緒なら、砂のひと粒になったっていい。
 首に片手を回す。さらに内部がねじれる。与儀が呻いた。これぐらいは、いいだろう? もっと、って言ったんだから。
「……なーんか、やっぱ……篝って、怒るとコワイ」
 そうだよ。おれはこわいんだ。本気だから。
 体も心も命も、全部、賭けてるんだから。あんなことぐらいで、不安になったりするな。
「ごめん」
 とうとう、与儀は言った。
「わかったよ。もう……ほんとに、わかったから……」
 口付け。震える唇で。
「いい?」
 窺うように、与儀が訊いた。篝は腕をするりと下ろし、微笑んだ。
 いいですよ。もちろん。
 動きがなめらかになる。ひとつのものを目指して。
 声が出る。動きに合わせて、とめどなく。何度目かの波のあと、篝は声を失った。


 安心、したのだろうか。
 与儀は眠っている。子供のように、無邪気な顔をして。
 わかっただろう? おれが、おまえの証しだよ。おれの全部が。
 それでも、きっとまたおまえは確かめたくなるのだろう。自分が、おれの中に居るかどうかを。
 短い夜の真ん中で、篝はじっと与儀の寝顔を見つめていた。


(了)