月の道標  by近衛 遼





 部屋に入ってすぐに、唇を奪われた。
 扉の前。きつく抱きしめられて、深く口付けられて。息が吸われる。舌が内部を貪る。記憶にあるのと同じ激しさで。
「……篝」
 長い口付けのあと、ほんのわずかに唇をはなして、与儀は囁いた。
「やっと、会えた」
「……ええ」
 その気持ちは、自分も同じ。
 いくらか背も伸びて、顔の輪郭も少年のそれから男のものになっている。三年という歳月が、この男を心身ともに成長させたのだろう。むろん、本人のたゆまぬ努力があってのことに違いないが。
「篝の匂いだ」
 首筋に顔を埋めて、大きく息を吸う。
「オレの、大好きな匂いだ」
 衣服の下に、手が入り込む。
「……与儀」
 いくらなんでも、ここではまずい。もちろん、自分も求めている。講堂脇にある食堂からここまでの道すがら、期待で体が熱くなっていたのも事実だ。でも、いや、だからこそ、ゆっくりと隅々まで確かめたい。
「五分、待ってください」
「待てないよ」
「三年、待ったじゃないですか」
「ちがーう」
 金色の瞳が、篝を見据える。
「二年と十一カ月と二十日」
 細かいな。しかし、それほどにこの男は待ち望んでいたのだろう。ふたたび出会える瞬間を。
「だったら、あと五分ぐらい、待てますよね」
「だってー」
「じゃあ、三分」
「……待つよ」
 子供のように頬をふくらませて、与儀は篝の体を解放した。
「夜具を整えてきますから」
「うん」
 なにやら、ばつが悪そうに横を向いている。篝は寝台に向かった。
 こんなことなら、先刻、荷物を置きに来たときに準備をしておけばよかった。御影長の燭から招集を受けていたため、急いで階下に降りたのだが。
 奥の棚から新しい敷布を出す。夜具にそれをかけていると、
「まだー?」
 ドアの横から、与儀の声。どう考えても、まだ一分ほどしかたっていないと思うのだが。
 本当は夜着に着替えたかったが、まあ、それはいい。どうせ、すぐに脱いでしまうのだから。
「いいですよ」
 灯りはつけずに答えた。与儀がゆっくりと近づいてくる。そして、ふたりは寝台に倒れ込んだ。


 辿っていく。ひとつひとつ、遠い記憶を拾うように。離れていた時間を埋めるように。
「ここ……いい?」
 首筋に沿って、与儀の舌がちろちろと動く。背中から腰へと、震えが走る。
「やっぱり」
 与儀は手を下へと滑らせた。
「直結してるよねー、こっちと」
 指がうごめく。奥まで入り込み、中に火をつける。ひざを上げて、篝は待ち受けた。与儀が身を進めてくるのを。
「ねえ」
 そのままの状態で、与儀が言った。
「いま、どんな感じ?」
「ど……んなって……」
 声がうわずる。
 口に出すのもはばかられるような体勢で絡み合っているのだ。そんなことを訊かれても、答えられるはずがない。
「言ってよ」
 一点を刺激される。哀願するような声とともに、腰が浮いた。
「すごいね。その声だけで、オレ、いっちゃえそう」
 うっとりとした表情。さらに奥をかき乱し、声を誘う。篝はかぶりを振った。
 どういうつもりなのだろう。この男は。
 さっきはドアの前で事を始めようとしたくせに。それほどに、欲していたくせに。なのになぜ、いまになってこんな真似をするんだ。
 中を探る指は、的確にこちらの弱点を突いてきている。意識しなくても、その動きに合わせて腰が揺れる。
 ほしかった。一刻も早く。この男を、全部。
「……」
 耳元で、要求を口にした。当然ながら、言葉を選んでいる余裕はない。
「やーっと、言ってくれた」
 与儀の唇が、きれいに笑みの形を作った。
「ほんとに?」
 さらに訊く。篝は頷いた。嘘なんか言わない。嘘や冗談で、こんなことが言えるものか。
 ほしい、と。早く来てくれ、と。
 頭も体も、変になりそうだった。こらえきれずに、その部分を捉える。それはとっくの昔に十分な状態になっていた。半ば強引に導く。
「なーんか、うれしいなー」
 声とともに、指が引き抜かれた。代わりにさらに熱いものが食い込んできて、一気に奥まで達した。
「んっ……ん……ああっ」
 血が逆流した。全身がビリビリと震える。繋がった場所から生まれる感覚が、三年という月日を消し去った。


「また一段と……よくなったねえ」
 篝の腰を掴んで身を揺らしながら、与儀は言った。掠れた、酔ったような声で。
「きれいだよー。篝の背中。……あ、この傷跡、見たことない」
 するりと指を滑らせる。篝は敷布に顔を埋めて喘いだ。
「新しい傷って、きれいだよね。とくに、いまみたいなときは」
 与儀の手が肩を抱く。上体が起こされた。内部の角度が変わり、交わりはさらに深くなる。刺激が前にまで伝わって、篝はふたたび艶めいた声を漏らした。
 下肢はすでに力を失い、体を支えることもできない。与儀に背を委ねて、その場所にかかる圧力をわずかでも少なくしようとしたが、結局は両脚を抱えられて、かえって反動を受けることになってしまった。
 いったい何度目になるだろう。痺れた頭で考える。
 さんざん焦らされた最初の交わりは、こちらの我慢がきかなくて流されてしまった。二度目は逆に焦らしてやろうと途中で動きをゆるめたものの、執拗にあちらこちらにしるしを付けられ、熱を呼び覚まされた。そして。
 三度目は、いろいろとねだられた。あのときにはもう、まともな思考力が残っていなかったのかもしれない。篝はなんの抵抗もなくそれらを受け入れた。
 ということは。
 少なくとも、四度目。体の自由が利かなくなっていても、不思議ではない。
 視覚も聴覚も、だんだん低下していく。逆にある一部の触覚だけが、五感のすべてを集めたかのように鋭利になっていく。


 待っていた。この男を。
 ずっと待っていた。こうして、ふたたび肌を合わす瞬間を。
 だから。
 会えなかった時間のすべてを埋めるまで、何度でも感じたい。
 この男の熱を。そして自分の熱を。


 春の夜。朧げな月がゆっくりと空を泳いでいく。
 明けを告げる鳥たちは、いまだ深い眠りの中にいた。


(了)