焼け焦げた瓦礫の中に、暁がいた。
「いー感じに、見やすくなったじゃない」
 辺りを見渡しながら、暁は言う。上機嫌な口調。オレは遮蔽された空間の中で、唇を引き結んだ。まずい。あの様子では、ひと悶着あるかもしれない。
「焔!もう戻れ!莫は退いた!」
 御影の一人が叫んだ。現在、御影本部で暁は「焔」と言う名で呼ばれている。
「冗ー談!」
 きらりと光る、黄金の瞳。
「これからだよ!」
 暁が駆け出す。オレは小さく舌打して、その後を追った。 




昏一族はぐれ人物語(青年編)番外
祝う日     by (宰相 連改め)みなひ




 疲れた。
 眩しい朝の光の中、オレは煤だらけの手を扉にかけた。扉が黒く汚れる。あーあ、後で拭かなきゃと思いながら、自分の家に入った。
「ただいま」
 扉を閉めながら言う。返事は返ってこなかった。静まり返った玄関。廊下に台所。人の気配さえ、ない。
 いないか。
 当り前だよな。夏芽は仕事だ。
 苦笑いしながら、オレは奥へと進んだ。洗面所で手を洗ってから、居間へと入る。
「・・・・あ」
 入ってすぐ目に映ったものに、思わず声が出た。食卓にネットをかけて置いてある。握り飯だ。
『おかえり。ほら、これ食べろよ』
 夏芽の声が聞こえた気がして、オレは鼻の奥がツンと痛くなった。もう歪み始めている視界で、食卓の前に座る。そろそろとネットをはずし、握り飯を一つ取った。
 わあ。まだ温かいや。
 手の中の握り飯は、まだほんのりと熱を持っていた。人肌ほどの熱。掌から伝わり、じんわりと身体中に広がってゆく。やっと肩の力が抜けた。
 ありがとう夏芽。
 いただきます。
 捧げるように目の前に握り飯を持ち、オレは頭を垂れた。感謝の気持ちいっぱいにかぶりつく。噛みしめるごとに広がる、米の味。
 ああ、おいしい。
 脳に染み渡るようなそれを味わいながら、オレは目を閉じた。幸せだ。もう、なにもいらない。
 ・・・・あれ?なんか、眠くなってきちゃったな。
 あくびを一つして、大きく息を吐き出す。皿に握り飯を戻した途端、オレの意識は闇に落ちた。


 ぐつぐつと聞こえていた音が止まった。煮物のにおいに目を覚ます。温かく湿った空気。
 ちょっと辛そうなにおいだな。醤油、入れすぎみたいだ。
 まだよく動いていない頭で、ぼんやりと思った。そういえば護国寺で食事当番をするとき、上の人から口をすっぱくして言われた。調味料は素材の味を引き出すくらいでよい。決して、味の主になってはならぬと。
 今日の食事当番、誰かな。誰か新参の人だろうか。あ、そうだ。扉を拭かなくちゃ。家に入る時汚しちゃったんだ。って、そうか!
 気づいてがばりと起き上がった。そうなのだ。ここは護国寺じゃない。オレと夏芽の家だ。夏芽が帰ってきてるんだ!
「嵯峨弥ー、起きたか?」
 驚くオレに、台所から夏芽が声を掛けた。辺りを見回し、オレは動揺する。どうしよう。もう夕方じゃないか。オレ、寝ちゃったんだ。
『任務に出てる時できない分、家にいる時はオレがごはん作るよ』
 一緒に暮らし始めた当初、自分は夏芽にそう言った。夏芽は家事は適当にどっちかがやればいいって言ってたけど、オレはできるだけのことをするつもりだった。
「手伝うよ」
「いいって。もう少しでできるから、そこで待っとけよ」
 立ち上がるオレに夏芽は言った。それでもオレは身の置場がなくて、台所へと歩いていった。
「なんだ、待っとけって言ったのに」
「うん。でも、なんかじっとしてられなくて・・・・」
「おまえ、ホント貧乏性だな」
 台所では夏芽が、豆腐を皿に移していた。生姜を擦っている。冷奴にするらしい。
「何かすることない?」
「んじゃ、ネギ切ってくれよ」
「わかった」
 オレは手早く髪を結わえ、手を洗って包丁を手に持った。トントンとネギを小口切りにする。
「やっぱ嵯峨弥がやると細かいなー。おれがやったら小口じゃないもんな」
 手元を覗き込みながら、夏芽が言った。
「そんなに近付いたら、危ないよ」
「はいはい。心配性だな。子供じゃないって」
「それは、わかってるけど・・・・」
「小鉢出すぞ」
「あ、うん」
 オレは刻んだネギを、小鉢に移した。
「この豆腐、ひょっとして例のやつ?」
「そう!」
 ふと思い出して尋ねるオレに、夏芽は嬉しそうに言った。そうか、これがあの豆腐なんだ。
「白くてスベスベだろー?『豆の屋』の絹ごし豆腐!」
「ほんと、そうだね」
「これがうまいんだよー。さ、食べよう」
 にっかりと夏芽が笑った。オレもつられて微笑み、こくりと頷いた。
「わあ、すごいね」
 食卓に並んだおかず達を見て、オレは目を見張った。煮物に和え物、焼き魚に冷奴にみそ汁。ごちそうだ。
「そんな大したことないよ。大げさに驚くなって」
「大げさじゃないよ。本当に驚いてるんだ」
 照れ臭そうな夏芽に、オレは返した。嘘じゃないよ。とても嬉しいんだ。
「もー嵯峨弥にゃ敵わないよ。いいや、食べよう。いただきまーす」
 ぴらぴらと右手を振った後、夏芽は茶碗を手に取った。ごはんをぱくりと食べる。  
「うまい。嵯峨弥も食べよ。ほら」
「いただきます」
 オレも手を合わせた。箸を持ち、ごはんを一口食べる。少し固めのごはん。噛みしめるとほのかに甘い。
「おいしいね」
「だろー?やっぱ、もの食ってる時って幸せだよなー。やるぞーって気になる」
「ほんとだね」
 夏芽の言葉に、オレはしみじみと頷いた。二人だけの時間。
「飯、いっぱい炊いたんだ。しっかり食べてくれよな」
「うん」
 オレの宝物の時間は、ゆっくりと過ぎていった。
 

「夏芽、今日はごめんね」
 夕食を食べ終えひと息ついた時、オレは夏芽に詫びた。
「なにが?」
「オレ寝ちゃって。夕食作れなくって」
「なんだ。そんなことか」
 オレの言葉に、少し呆れた風に夏芽は言った。
「いいんだよ。嵯峨弥、任務明けだもの」
「夏芽だって、仕事で疲れてるのに・・・」
「おれの仕事デスクワークだもん。あとは、春日様のイヤミターゲット!」
 幾分面白そうに、夏芽は断言した。オレは苦笑いする。実は夏芽は上司である事務局長に、意地悪されているらしい。夏芽自身にはそんなに、堪えてないみたいだけど。
「春日様のイヤミさ、あの日以来みょーに遠回しになってさ。でもおれ、半分くらいわかんないんだ」
 あの日とは二人が暮らし始めて一週間経った頃、おれが夏芽の欠勤届けを出しに行った日のことだ。その日の前夜、オレは夏芽と身体を繋いだ。最初の時以来の交わり。オレは夏芽の身体が一日で回復しなかったらと思い、総務部で夏芽の翌日分の有給届けも書いた。
『あああなたがっ、漆原くんと!な、なんと!』
 夏芽の上司である春日是時という人は、オレを見て全く動転した状態になっていた。個人的にはそんなに驚かなくてもと思うんだけど、そのことが多少、今に響いているらしい。
「夏芽、大丈夫?」
「うん、全然平気。というか、気にならない」
「そう」
 あんまり目に余るようだったら、こちらから手を回してもと思うんだけど、今のところそれは必要ないらしい。
「そうだ。嵯峨弥、はい」
 ふと何かを思い出したように夏芽は鞄を探り、食卓に何かを置いた。細長い箱。なんだろう。
「開けてよ」
「いいの?」
「もちろん」
 箱の中からは、細い組紐が一本出てきた。群青色の紐。これ絹だ。
「何にしようか最後まで迷ってたんだけど、帰りにそれを見つけたんだ」
 幾分赤く見える顔で、夏芽が言った。オレは組紐を見つめる。
「そういうの、嵯峨弥の髪に似合いそうじゃん。その色、きれいだし」
「・・・・夏芽」
 髪を結わえる紐。また涙腺が緩みそうになってきた。
「前ン時はそれどころじゃなかったし、今度は何かって思ってたんだ」
「え・・・何が?」
「忘れてるな?今日、何の日か知ってるか?」
 いたずらっぽく聞かれて思い出す。そうか、今日は・・・・。
「おめでと。今日から同い年だな」
 この何年も、日々に流され忘れ去っていた。自分の生まれた日。
「ありがとう。ごめんね、これ高かったんじゃない?」
「たまにはいいだろ?おまえと暮らしてからおれ、結構金浮くようになったんだ。家賃、払わなくてよくなったし」
 嬉しさがこみ上げる。あの時祝う暇などなかったこの日を今、また二人で過ごせるなんて。
「お返し、奮発しなきゃね」
「もっちろん。四月になったら頼むな」
「了解」
 こみ上げた嬉しさが、更に別の衝動を呼び起こした。夏芽の傍に行く。抱きしめたい。
「夏芽」
「ん?」
「もう一つ、もらっていい?」
 押し倒してしまいたい気持ちを必死で抑えて、夏芽にねだった。目の前の顔が、仕方ないという表情になる。
「あー、やっぱそれもくるかー。ま、誕生日だもんな」
「いいの?」
「だめって言ったら泣くだろ?おまえ」
「うん!」
 もう我慢は利かなかった。愛しい人を畳に沈める。温かい身体を抱きしめて。
「こら嵯峨弥!ちょっと待て!」
「待てないよ」
「蒲団敷けって!」
「後で敷く」
「おい!」
 ばたばたと夏芽が暴れる。オレは三年間でばっちり育ってしまった自分の身体に感謝しながら、抗議の口を塞いだ。

 祝おう。
 互いが生まれた日を。
 感謝しよう。
 互いが生まれたことを。
 大切にしよう。
 互いが一緒にいられる時間を。
 心から、二人で。


おわり