特訓の夜  
by(宰相 連改め)みなひ




 その夜、御影宿舎は騒然としていた。
 ひそひそ、ひそひそ。食堂で廊下の隅ではたまた厠で、男たちは喋る。話題はもちろん、たったひとつの出来事だった。
「おい、見たか?」
「ああ、見た。ありゃ、行き着くとこまで行ったよな」
「まさに、河を越えましたって感じだね。でも、意外だったよ」
「うん、そうだよな。だってあの、水木だものな」
 水木とは如月水木(きさらぎ みずき)と言い、それまで御影内で名実共に最高位の実力をもっていた手練れである。長年、「御影」と「水鏡」を一人でこなし、それでいて任務成功率ナンバー1を誇っていた。その水木が突如、外見「イっちゃったおねぇサン」に変身してしまったのである。
 もともと西方の血が混じっていた水木は、和の国には珍しい蜂蜜色の髪と薄茶色の瞳をしていた。それだけでも目立つのに、彼(彼女と呼ぶべきなのかもしれないが、本人曰く、「アタシはオトコよ!」ということなので、敢えて彼と呼ぶことにした)は本日、更に色彩豊かな容貌になったのだ。そして一番問題なことに、そのなりは非常に彼に似合っていた。
「しかし、相手はアレだろ?あの大人しそうな、黒髪の坊や」
「そうなんだよー!まったくとんでもねぇよな。あの従順そうな顔で、水木をヤッちゃったんだから」
「ホントだよっ。おれ、水木が坊やを食っちまう方に賭けてたのによう。丸損だったぜ」
 男の一人が悔しがる。賭けとは御影宿舎内の水鏡の一人、桧垣閃(ひがき せん)の主催していた賭けである。この賭けにほとんどの男たちが参加していたのだが、結果は閃のひとり勝ちだったと言う。ちなみに坊やとは、桐野斎(きりの さい)といい、ほんの半月ほど前、西亢の砦から御影本部に帰ってきた若造である。
「でもよう、三日前、坊やが水木担いでここに帰ってきたときゃあ背筋が寒くなったぜ。水木、明らかにボコボコにヤられちゃいましたって感じだったものな」
 男の一人が神妙に言う。きっとその時の状況を思いだしたのだろう。もう一人の男も目を閉じ、うんうんと頷いた。
「思えばさ、水木もやってられないよな。あーんな大人しそうなの押しつけられちゃって、いざ食べようとしたら『西亢の砕』だぜ。おまえ、知ってたか?」
「知るわけねぇじゃん〜。『砕』は作戦時しか出てこねぇしよ。いつも最前列だから、顔なんか見えねぇよ!」
 「砕」とは斎の別名であり、西亢の砦の者は好んでこの名前を使っていた。砕はその名の通り、西亢の砦では手のつけられない危険人物だったらしい。
「そうだよな。で、食べるどころかそいつに散々喰われちまってよ。御影ナンバー1のプライドもズッタズタ。ああなるのも無理ないよな」
「うわー不憫。今までかわいいの選り取りみどりで、あっちこっちつまみ食いしてたのによ。あの年で一転、受けますってか」
「人生、変わっちまったよな」
 男の一人がしみじみと言う。もう一人の男も深々と頷いた。



『さあ、もうすぐ始まるぜ。整理券持ってる奴は、全員集合!』
 夕餉の時間が終わってひと息ついた頃、ある二人を除いた不特定多数に、特殊な遠話が投げられた。この波長は即ち、御影宿舎の賭け事主任、桧垣閃の博打専用ホットラインである。聞きつけた男たちがある場所へと向かう。ぞろぞろ、ぞろぞろ。結構な人数にしては、彼らは細心の注意を払って移動しているようだった。
「何が起こるんだ?」
 比較的博打に縁のない男が二人、その行列を見て訊き合った。しかし、お互い答えを知ってはいない。疑問に思い、彼らはその行列の後に続いた。
「どこに行くのかな」
 一人の男がもう一人に訊く。訊かれた男は、見当もつかないと答えた。仕方なく、前の男に訊いてみる。
「何って、坊やの部屋だよ」
 前の男は言った。二人は更に首を傾げる。坊やとはあの斎とか言う奴だろ?ひどく危険な奴だということは知った。なのに、どうしてわざわざそんな奴の部屋に行くのか?君子危うきに近寄らずというのに、まったく理由がわからない。
「お前ら、夕食時に食堂にいなかっただろう?」
 見かねた前の男は、呆れたように言った。二人は頷く。それは、明白な事実だった。
「あんとき、水木がギャーギャー喚いてたんだよ。夕食終ったら特訓だってな」
「特訓?」
 二人はハモりながら訊いた。特訓。何故だか体育会系の言葉。この御影内で。なんだろう。
「特訓と言えば決まってるじゃないか。アレだよ、アレ」
 ますます首を傾げる二人を覗きこみ、一人の男がそう言った。場所は丁度、斎の隣の部屋の前。男は何やら、せっせと券をもぎり取っている。きらきらと悪戯そうに光る目。今回のイベントの主催者、桧垣閃だ。
「いらっしゃーい。水木の奴、みっちり仕込むって言ってたよ。一から十まで、聞き応えあるぜえ」
「アレってアレか!そりゃ、オイシイよな」
「ちょっとまて。でも、坊やが水木攻めんだろう?役不足じゃないのか?」
 心配そうに男の一人が言う。もう一人も不安な表情になった。二人の男が閃を窺う。その時。
「甘いな」
 後ろで野太い声がした。男たちは振り向く。そこには、御影内でも古参の「御影」、榊剛(さかき ごう)が立っていた。
「お前ら、ここ来てそう経ってないだろう。水木のあれを知らないとはな」
「へ?」
 男達は目を丸くする。にやりと笑いながら、剛は語を継いだ。
「ここ数年は頂く方だったみたいだが、水木の奴、もともとは結構な売れっ子だったんだ。あいつのアノ声、一回聞きゃあクセんなるぜぇ。おい、特等席だ」
 ウキウキと閃に金を渡しながら、剛が言う。
「まいど。んじゃあそこね」
 閃が部屋の片隅を指差した。ちょうどそこが斎の寝台のある位置の隣の壁らしい。ばっちりクセになってるだろう男は、足取りも軽く部屋の中に入っていった。
「どうする?」
 閃が二人を伺った。二人は顔を見合わせる。
「あと二人で部屋はいっぱいだよ。それ以上は、結界が持ち堪えられないからねぇ」
 押しの言葉に二人は懐を探り、金を支払ったのだった。



 隣室に息を潜めたギャラリーを待機させ、その部屋ではある出来事が開始されようとしていた。即ち、水木言う所の「特訓」である。
 「特訓」は最初、拘束されていた斎が部屋を出てすぐ行われる予定だった。しかし、三日間の拘束中、斎は自ら食事を断っていた。その為、急遽夕食と入浴の後となったのだ。
「さあて。予定より遅くなっちゃったけど、特訓開始よ」
 金髪に色とりどりのメッシュの男が、びしりと指差し宣言した。妙に気合が入っている。これが噂の人1、水木だ。
「よ、よろしくお願いします」
 水木の腰かけるベッドの下で、正座した黒髪の青年が頭を下げる。こちらが噂の人2、斎。
 二人は今まさに、特訓を開始するところだった。水木が大きく息を吸いこみ、口を開く。
「まず最初に訊いておくわ。いいこと?正直に答えるのよ」
「はい」
 水木の偉そうな問いに、斎は殊勝に答えた。すこぶる真面目な顔である。
「アンタ、アタシが初めてだったの?」
 ずばりと核心をついた。斎の顔がみるみる真っ赤になってゆく。ちなみにギャラリー達は、耳をダンボにしていた。
「あの、おれ、その・・・・」
「どうなの?答えなさい」
 しどろもどろになる斎に、水木が命じた。斎が俯く。ちらりと上目づかいでベッド上を見上げた。
「・・・・実は、学び舎時代にいろいろ世話を焼いてくれる女性がいて、いいところまでいったんですが・・・・・・やれその時になった途端・・・・・・」
「不発だったわけね」
 誤魔化した部分をずばりと言われた。斎が「うっ」と言葉に詰まる。一分程固まり、諦めたように頷いた。ちなみにギャラリー達の幾人かも、うっと胸を押えた。
「そのことがあってから、その、意識してしまって・・・・・どんどんそっちの方面から、自分を遠ざけるようになりました」
「馬鹿ねー、おねぇサン達に教えてもらったらよかったのに。アンタなら、大抵みんな喜んだわよ」
「はあ。でもおれ、金なかったから。『御影』になってからは、そんな状況じゃなかったし・・・・」
 遊郭にいったらもてるだろうねぇ、それも、年のいったねぇサン達にさ。そんなことを思う水木に、斎はぼそりと返した。ちなみに胸を押えたギャラリー達は、うんうんと同情的に頷いた。
「それだけ?」
「いえ、あの、もう一つ。西亢の砦で、おれを犯そうとした奴がいて・・・・・」
「アンタ!ヤられちゃったんじゃないでしょうねっ!」
「や、やられてませんっ!」
 身を乗り出す水木に、斎はプルプルと首を振った。水木はホッとする。自分でさえ頂くことが出来なかったのに、他の奴が食べてたなんて。そんなの、洒落にならない。
 ちなみに隣のギャラリー達は、「ヤられてないのか・・・・」と、がっかりした。
「で?どうなったのよ」
 細目で水木が尋ねた。斎が口を開く。
「おれ、水木さんが『後で』って言ってくれてたから、必死で抵抗しました。そしたら・・・・」
「そしたら?」
「暴走しちゃって・・・・。殺しはしなかったんですけど、その時は長く拘束されました。それ以来、おれをそういう対象にする奴はいなかったです」
 少し照れながら斎が言う。水木は細目のままだった。かろうじて、「そう」とだけ返事する。ちなみに隣のギャラリーたちは「西亢の砕」の噂を思い返し、背筋を寒くさせた。取り分け、半ば本気で斎を狙っていた剛は、「命拾いだよな」と呟いた。
「そうねぇ、憐れと言えば憐れよね。でも、だからって、あんなことやられちゃたまらないわ」
 淡々と水木。斎は更に小さくなった。心なしか、ギャラリーの数人は心配する。がんばれ、斎!
「ま、アンタらしいと言えばそうか。いいわ、いらっしゃい」
 ため息一つつきながら、ちょいちょいと水木が手招きした。斎がそろそろと近づく。そっとベッドにあがった。ぎしりと、音。ちなみに隣室のギャラリー達は、ごくりと息を呑みこんだ。
「ともかく。イロイロあったけど、初モノは初モノね。これからしっかり、勉強してもらうわよ」
 斎の首に両手を回し、鼻先を舐めるように水木は囁く。斎はドキドキしながら頷いた。
「じゃ、レッスン1」
 小さな囁きと共に、その部屋は静かになった。ギャラリー達は壁に耳を押し当てる。もちろんコップは必需品だ。
「・・・・・・・」
 程なく、甘い囁きと、艶っぽい声が聞こえてくる。少し高めの鼻にかかった声。それが誰のものか、ギャラリー達には明白だった。
「やっぱ、イイよな」
 ぼそりと剛が呟いた。彼は、本当は自らの手で(しかも縛って)この声をあげさせたいのだろう。でも、今後それは出来そうにない。
 だんだんと大きく、艶やかになる声。激しくなってくる行為の様子。それは、隣室の男達を夢中にさせた。第一回目のコトが終わった時、ギャラリー達が次々とそういう界隈に脱出したらしい。(しかし、剛は最後まで聞いていたようだ)

 結局、その夜の「特訓」は無事に?終了した。数日後、斎が嫉妬で暴走することになるのだが、不思議と犠牲者は一名だったらしい。
 そしてまったくの余談ではあるが、その夜、閃が「特訓」で稼いだ収益の半分は、主演女優?水木の手に渡ったということである。



終わり