愛?の炬燵  by近衛 遼




ACT2

 翌朝。
 朝食の席には、いつも通り元気な碧とやたら機嫌のいい銀生と、どんよりと目の下に隈を作った藍がいた。
「へーっ、これが『豆の屋』のきぬこし豆腐? みんなが騒いでるわりには、たいしたことねえじゃん」
 碧はほとんどイッキ飲みのようにして冷や奴を食べて、そう言った。
 たしかゆうべ、「厳選・濃厚焼き豆腐」を食べたときも似たよなことを言っていたな。もそもそと里芋を咀嚼しながら、藍は思った。
「おまえ、そんな食べ方じゃ味もなにもわかんないでしょーが。こーゆーもんは、ちょっとずつゆーっくり味わって食べなきゃ」
 銀生が講釈を垂れる。そんなこと、豆腐が真っ茶色に染まるほど醤油をかける人間に言う資格はないぞ。
「この卵焼きも味ないじゃんかー。銀生さん、砂糖忘れたの?」
「ばーか。忘れたんじゃなくて、入れなかったの。藍さんはだし巻きの方が好きだからねえ。モンク言うんなら、食わなくていいよー」
「えーっ、食べるよ食べるっ。味噌汁はすっげえおいしいもん」
「味噌汁『は』ってなによ、『は』って。それじゃまるで、ほかはみーんな不味いみたいじゃない」
 上司と部下とはとても思えない会話は続く。
「マズくはないけどさー。藤おばちゃんだったらもっと……」
「プロとくらべないでよね。俺は愛する藍さんに『美味しい』って言ってもらえたらいいんだから。ね、藍さーん」
 いきなり話を振られても困る。藍は一瞥でそれをやり過ごし、自分の好みに合わせたという卵焼きを口に運んだ。
 なんとなく食欲がない。味もよくわからない。藍は昨夜、ほとんど一睡もしていなかった。それというのも、両隣の二人が気になって眠れなかったのだ。
 碧はあいかわらず寝相が悪く、ときおり蒲団からはみ出してごろごろと壁際まで転がっていくし、一方の銀生は、寝惚けて(寝惚けたフリをしていただけかもしれないが)蒲団の中に手を伸ばしてきたり、きわどい寝言を発して藍をぎょっとさせたりした。
 明け方、ほんの少しだけうとうとしたが、食事当番の銀生が「豆の屋」の豆腐を買うため異様に早起きしたため、それにつられて藍も目を覚ましてしまった。いったん起きると二度寝ができない性質(たち)である。結局、睡眠時間は一時間弱といったところだ。
「あー、どうやら、昏が戻ってきたみたいだねえ」
 食後。ほうじ茶をすすりながら、銀生が言った。
「え、ほんと?」
 みかん食べていた碧が、ぱっと顔を上げた。
「ほんとほんと。そろそろ、都に入るんじゃないかな」
 銀生も何分の一か「昏」の血を引いている。そのため、遠話や遠見の術などを使わなくても互いの様子がわかるらしい。
「じゃ、おれも帰んなきゃ。藍にーちゃん、ここのみかんとせんべい、もらってもいい?」
 すでにいくつかのみかんとせんべいを手にして、碧。
「ああ、かまわないが」
「ありがとっ」
 言うが早いか、ぴょんと立ち上がって玄関に向かう。
「おい、碧。ちょっと待て……」
 義兄の声など、碧にはもう聞こえていないらしい。がたん。ぴしゃん。玄関の戸が閉まる大きな音がした。
 ゆうべの肉の残りや野菜などを持たせようと思っていたのに。藍はため息をついて、再び炬燵にすわった。
 なにもあんなに慌てて帰る必要はないだろうに。昏のやつ、碧の行動をこと細かに干渉しているんじゃないだろうな。それこそ逐一「視て」いるとか。
 もしそうなら、上層部にリークしてやる。任務時以外に「昏」の力を使うのは重大な軍規違反だ。うまくすれば停職処分ぐらいに持っていけるかも。
 ほとんど八つ当たり状態でそんなことを考えていると、
「やだなー、藍さん。恐いカオしちゃって〜」
 瓦せんべいの入った菓子鉢に手をのばしながら、銀生が言った。
「やーっとふたりきりになれたんですから、もっとうれしそうな顔してくださいよ。ね?」
 馬鹿馬鹿しい。「うれしそうな顔」なんて、だれがするか。藍は菓子鉢を引いた。
「いつまでもダラダラと食べてないで、さっさと洗い物をしてきてください。終わったら、洗濯と蒲団干しもお願いします」
「えー、そんなに急がなくても、今日はお休みですし……」
「次の休みには網戸の修理をすると言ってらしたのは、どこのだれです」
「俺ですけど、あれは……」
「あれは……なんです?」
「え、いえ、べつに……」
 ごにょごにょと口ごもる。やっぱり、その場のでまかせだったのか。
 銀生が窓掃除をしたときに破いてしまった網戸は、この一カ月ちかくそのまま放置されていた。先日、ついに業を煮やした藍が張り替えようとしたところ、「そんなの、今度の休みんときに俺がしますから」と言ったのだが、銀生としては網戸よりも自分の欲望を先に片付けたかっただけだったらしい。
 ともあれ、でまかせだろうがなんだろうが、修理すると言ったのは事実。それをなかったことにする気はさらさらない。
「では、よろしくお願いします」
 ぴしりと会話を切って、藍は茶箪笥の引き出しに入れてあった出納帳を取り出した。きのうはだいぶ予算をオーバーしてしまった。月末まで、少しシメなければ。
「えーと、それじゃ、とりあえず食器洗ってきます〜」
 真剣な表情で出納帳をにらんでいる藍を後目に、銀生はすごすごと台所へ向かった。


 障子ごしに外の陽射しが部屋に差し込む。ほんわりと温かい室内。冬であることを忘れてしまいそうなほどに。
 かたん、と、鉛筆が手から落ちたことに藍は気づかなかった。それほど眠りは自然に訪れていて、夢と現(うつつ)は藍の中で同一線上にあった。
 炬燵の向こうに碧がいる。楽しそうになにかしゃべりながら、みかんをむいている。ぱくりとひと口食べて、
『うわー、これ、すっげえ甘い。藍にーちゃんも食べてみる?』
 そうだな。もらおうか。
 そっと手をのばす。もう少しで届くというところで、
「風邪ひきますよ〜。こんなとこで寝てちゃ」
 いやになるほど聞き覚えのある声がして、がっしりと手首を掴まれた。瞬時に碧の姿が消える。
「え……」
 急激に気温が下がったような気がした。目の前には、これまたいやになるほど見慣れた顔。
「まだ奥に蒲団敷いたまんまですから、寝直します?」
 しっかりと藍の腰を抱いて、銀生は言った。
「なっ……なに言ってんですか。洗い物は……」
「終わりましたよ〜。食器洗いも洗濯も。で、蒲団干そうと思って来たら、藍さん、すっごいシアワセそーな顔してうたた寝してんですもん」
 不覚だった。ゆうべ眠れなかったから、つい……。
「どんな夢、見てたんです?」
 耳元で訊かれた。
「べっ……べつになにも……」
「あれえ、ヘンだなー。だれかさんの名前を呼んでたと思ったんですけど」
 腰を抱いていた手が炬燵蒲団の中に移動する。するりとその場所に滑り込み、能動的な意志を持って動き始めた。
「ちょっ……やめてください。いま何時だと……」
「愛に時間はカンケイないです」
「ふざけないでくださいっ。だれか来たらどうするんです」
「だれも来ませんってー」
 そう言うあいだも、炬燵の中では不埒な手が愛の在処を探して蠢いている。
「まあ、だれか来たとしても、俺たちのことはわかんないと思いますよ」
 にんまりと、銀生は笑った。
「防御結界と遮蔽結界、ばっちり二重に張っときましたから」
 カッ、と藍の頭に血が上った。この確信犯!!
「碧も帰りましたし、今度こそオトナの時間、しましょうね〜」
 どうやら、ゆうべのことを根に持っているらしい。
 畜生。錦織課長のところの門弟が事故に遭いさえしなければ……。


 明るい部屋の中、「大人の時間」は進行していく。
 炬燵の上にあったみかんが、いくつか転がり落ちていった。


  おしまい。

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