愛?のアンブレラ    
by近衛 遼






「藍さんっ、俺からの愛のプレゼントです。受け取ってください!」
 場所は旧独身寮の集会室。いまは特務三課のオフィスになっている部屋で、特務三課課長、社銀生は滔々(とうとう)と述べた。それに対し、特務三課主任である桐野藍は氷点下の視線を向けて、
「なんですか、それは」
「なにって、見てわかりません? 傘ですよ、傘。これは雨の日も晴れの日も使える両用タイプで、ぜーんぶ手作りの一点物なんですよ〜」
 どうやら、かなり値の張るものらしい。が、藍の視線は変わらなかった。
「そうですか。で?」
「で、って……せっかく藍さんのために買ってきたんですから、もっとうれしそうな顔をしてくださいよー」
 馬鹿馬鹿しい。こんなものを買いに行く暇があるなら、報告書の一枚でも書けと言うんだ。デスクワークが苦手なのはわかっているが、詰めてやればそれなりにできるものを、いつもだらだらとしてるから……。
 藍が頭の中で常日頃の不満を羅列していると、銀生がずずっ、と至近距離に迫ってきた。
「もしかして、色とか柄が気に入らないんですか? カラフルでいいと思ったんだけどなー」
 そういう問題じゃない。いや、たしかにこの色にはかなり抵抗があるが。
 その傘はベビーピンクの地に色とりどりの花が散っていて、どう見ても男が持つものではない。知り合いの中でいうと、春日伯爵家の令嬢、ほのかが持てばよく似合うと思われた。そのお嬢さま仕様の傘を、どうして自分が受け取らねばならないんだ。
「色や形状はともかく、それを受け取る気はありません。返品してください」
「えーっ、これって予約待ちの人気商品なんですよ。キャンセルなんかしたらもったいないですって」
「だったら、課長が使えばいいでしょう」
 ヤケになってそう言うと、銀生はポンと手を打った。
「ああ、その手がありましたか。さすが藍さん、『桐野の神童』と呼ばれただけのことはありますねえ」
 妙に上機嫌になって、銀生はデスクに戻った。なにやら鼻唄を歌いながら、何枚かの資料を調べている。
 こちらがなにも言わないうちに仕事を始めるとは、この男にしてはめずらしい。もしかしたら、あしたは雨かも。藍はなかば本気でそう考えていた。


 そして、翌日。
「うっわー、なんだよ、これ。滝ん中にいるみたいじゃん」
 終業時間になって、碧が窓の外を見て叫んだ。
「さっきまで、あんなにいい天気だったのになー。なあなあ、昏。カサ持ってきた?」
 横で帰り支度をしている黒髪の相棒に訊く。
「ああ。持ってる」
「やったー。んじゃ、こないだみたいに一緒に帰ろうぜ」
「かまわないが、次からは置き傘ぐらいしておけ」
「えー、カサもう一本買うの? そんなのムダじゃんか」
 わやわやと言いながら、碧は昏とともにオフィスを出ていった。
 まさか、本当に雨が降るとは。藍は書き終わった書類をファイルに入れながら、ため息をついた。じつは今日は傘を持ってきていない。先日まで置き傘をしていたのだが、そのあと、オフィスに戻しておくのを忘れていたのだ。
 朝は文句なしの快晴だった。雲の様子も雨を予想させるものではなく、しばらくは晴天が続くと思っていたのに。
 総務部のだれかに傘を借りるかな。そんなことを思っていると、オフィスのドアが勢いよく開いて銀生が入ってきた。
「藍さーんっ、お待たせしました〜」
 日中どこかで油を売っていたくせに、いまごろなんの用だ。藍はちろりと銀生をにらんだ。
「だれも待ってなどいません。それより、もう終業時間ですよ。本日の職務放棄は日誌に付けておきましたから、月末にそれなりのペナルティを覚悟しておいてくださいね」
「えーっ、そんなイジワル言わないでくださいよ。せっかく一緒に帰ろうと思ってたのに」
「どうぞお先に。おれはいまから総務部に用事が……」
「総務の連中なら、みーんな出払ってますよ」
「え?」
「さっき、大きな雷が鳴ってたでしょ。あれが城の都東門に落ちて、本殿の方もだーいぶ被害が出たみたいで」
 城内で落雷だと? そんな話は聞いていないぞ。藍は慌てた。
「そっ……それで、九代さまは……」
「さあねー。『冠』のおやじさんとこに情報が入ってないとこ見ると、無事なんじゃないかな」
「そんな悠長なことを……」
 言ってる場合かと怒鳴りかけて、ふとあることに気づく。
「いままで冠さまの公邸にいらしたんですか」
「ええ、まあ。これでもイロイロ忙しくてね」
 どこまでが本当かわからないが、この際、細かいことは気にしないことにした。が、いずれにしても、城内を調べる必要はある。藍は戸口に向かった。
「あ、やっぱり帰るんですか?」
「帰りませんよ。城の様子を見に行くんです」
「そんなの、伊能や鬼塚にまかしときゃいいじゃないですか」
「そういうわけにもいません」
「もー、藍さんたら律儀なんだから」
 銀生はため息をついた。
「仕方ないですねえ。じゃ、俺も行きますよ。一応、登城には各部の長の上申が要りますからね」
 この男でも、そんな決まり事を覚えていたのか。ふだんは儀礼や軍規など屁とも思っていないようだが。
「急ぎましょう」
 常とは違う口調。厳しい横顔が藍の前を通り過ぎる。
 腐っても鯛。性格破綻者で非常識の塊で、遅刻常習犯で始末書の山に埋もれているような男でも、いざとなればトップクラスの「御影」である。藍がおのれの「対」をそう判定しようとしたとき。
「ささ、藍さんっ。濡れないように、ぴーったりくっついてくださいよ」
 旧独身寮の外に出た途端、銀生の目尻が下がった。土砂降りの雨の中、ひときわ映えるベビーピンクの花柄のアンブレラ。
「こっ……こここ、これは……………っっ」
 あまりのことに、まともに声が出ない。銀生はさらに相好を崩して、
「ほらほら、そんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃないですか〜。心配しなくても、だーれも見てませんて」
「そういう問題ではありませんっっ!!!」
 先刻、城門に落ちた雷にも負けないほどの怒号が響いた。冗談じゃない。こんな傘をさして(しかも相合い傘だ)城に上がれるか。
 藍はピンクの傘を中庭に投げ捨てた。
「ああーーーーーっ、『洒落留』の新作の傘が〜」
 どこかで見た銘が入っていると思ったら、「洒落留」だったのか。ちなみに「洒落留」とは都人に人気の高級ブランド品店である。
 銀生が傘を追いかけているのを後目に、藍は低く口呪を唱えた。自分は九代目御門の「手」だ。この男の「対」となったいまでも、それは変わらない。いざとなれば、じかに王の御前に伺候することもできる。
 すばやく移動の術の印を組む。数瞬ののち、中庭から藍の姿は消えていた。

 後日。都の郊外にある社邸の軒先に、逆さに吊るされた照る照る坊主があったとかなかったとか……。
 真相は闇の中である。

  おしまい。

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