カッ、カカッ、カカカッ。
 しんと静まりかえったオフィスに、文字書く音だけが響き渡る。
 特務三課主任(予定)桐野藍はその日、怒りのブリザードの中にいた。




 
鉾先 「呼ばない海」番外編2藍さんバージョン           by(宰相 連改め)みなひ




「ほう。結構、まともなのがきたな」
 その書類を眺めながら、桐野藍は呟いた。彼が見ているのは先日、情報部に依頼した特務三課の事務員追加募集によって集まった、希望者の書類である。
「『学び舎』の卒業成績、その後の『御影』に入ってからの任務達成率と内容、どれをとっても水準以上だ。それに、この同封した企画書類。これは少し手直ししただけで、即実行できる完成度だ。申し分ない」
 書類の作成主は現在、御影本部に勤務している渚海瑠という者だった。役割は「水鏡」。御影本部での勤務は五年と少し。この者なら事務以外の任務についても、十分期待できる。 
「これ程のキャリアを持つ者が、何故今頃御影本部を離れようとするのかは疑問だが・・・まあ、どこにでも部下の能力を生かしきれない上司というものは存在するからな。案外、この者もそういう苦労をしてきたのかもしれない」
 深く溜息をつきながら、桐野藍は書類を机の上に置いた。そして隣を見やる。彼の隣のデスクには、あと数ヶ月で桐野藍の上司予定となる男、社銀生がむにゃむにゃとしあわせそうに居眠りをしていた。
 全く、課の長ともあろう人が。やはり、早めに人員確保に乗り出しておいて正解だったな。
 おそらくデスクワークの方面においては、ものの役に立たないだろう自らの上司を横目に、桐野藍は思った。とにかく現構成員四名のうち、事務方の業務経験者は藍一人。あとは隣の銀生と、学び舎を出たばかりの書式さえわからない新人二人だ。
 いくら碧と同じ部署に配属されるためとはいえ、これではこちらに負担が掛かりすぎる。裏業務があるからと言って、表の事務方業務が免除されるわけではないんだぞ。
 先を見越した藍は自らの事務的業務の補助にと、特務三課増員の許可と人員募集を上層部に掛け合った。結果、一名の増員が特務三課に認められたのだ。
「たっだいまー!あれ?藍兄ちゃん、何読んでるの?」
 がちゃりとドアが開いて、金髪碧眼の少年が中に入っていた。昼食から帰ってきた彼の義弟、桐野碧である。隣には碧を護るように、黒髪黒眼の少年が付き従っている。
「なんでもない。追加募集の資料に目を通しているだけだ」
「追加?誰か、新しいヒトがここに入んの?おんもしれーやつだといいなっ」
「面白いかどうかはわからないが、少なくともそいつよりは有能らしいぞ」
 ちらりと剣呑な視線を投げると、それを受けた黒髪の昏は、極寒の無表情で応える。藍は内心、ちっと舌打ちした。
「いつから来るの?」
「まだ確定しているわけではない。とりあえずは面接、だな。会って、この目で確かめた方が確実だ」
「ふーん。兄ちゃんらしいね」
「まあな。三日後、面接に御影本部に行ってくる。留守番、頼むな」
「オッケー」
 桐野藍の言葉に、義弟碧はにっこりと笑った。彼にとってはそれこそ、生きる活力とも言える微笑みだった。


『後半時ほどでそちらに着きます』
『うむ。準備して待つ』
『よろしくお願いします』
 その日の桐野藍は、期待に胸をふくらませて御影本部への道を急いでいた。今日は待ちに待った面接の日だ。面接する相手、渚海瑠の身上書類は完璧に記憶した。もうすぐそちらに着くという遠話も送った。後は、実物が己の眼鏡にかなう人物か、確認するだけだ。
 それにしても御影長、えらく渋い声だったな。余程、手放したくない人物らしい。
 不謹慎であるが、顔が笑ってくる。そういう優秀な人物こそ、こちらに頂くのがはっきり言って嬉しい。
 会って、手応えのある相手だったら即時に採用を決めてしまおう。社課長には、後で承諾をとればいい。なに、あの昼行灯の上司だ。自分に振られる事務仕事が減ると知って、大喜びするだろう。
 桐野藍は思った。振られる事務仕事が減るのは、何も銀生だけではない。一番の恩恵を被るのはたぶん、面接する当人、桐野藍だ。
 急ごう。まさかないとは思うが、心変わりされたら厄介だからな。
 たとえ相手がそう言う状態になったとしても、なんとかこちらに懐柔してみせるという自信を胸に、桐野藍は旅路を急いだ。


「お初にお目に掛かります。特務三課主任予定、桐野藍と申します」
 到着した御影本部は、なにやらバタバタと慌ただしい状態になっていた。それでも係員に案内され、御影長室横の予備室へと通された。促され、椅子へと座る。
「只今急なトラブルにて取り込み中ではありますが、解決次第御影長が参ります。申し訳ありませんが、お待ち頂けますよう・・・」
「面接予定の者は?渚くんは・・・」
「とにかくは、御影長がお会いになります」
 「別に御影長は後でも」という言葉を、桐野藍は飲み込んだ。ここは現在取り込んでるようだし、今はおとなしく待っていよう。あまり当事者を出せ出せと言うのは、かえってこっちががっついているように見えてしまう。あくまで大人の対応だ。
 桐野藍は待った。前半部分は大人でおとなしく、後半部分は怒りのオーラ全開で。待って待って。時々来る係の者に二、三個嫌みを投げて。結局桐野藍の待ち人は、面接の場に現れなかった。代わりに明らかに事務方であろう男が、御影本部を襲ったトラブルの悪化と、面接の中止を告げに来ただけで。
 トラブルの内容は知らされなかった。当たり前だ。御影は、その殆どが極秘任務を扱っている。それでも。
 これは、ないだろう-----------っ!


 カッ、カカッ、カカカッ。
 しんと静まりかえったオフィスに、文字書く音だけが響き渡る。特務三課主任(予定)桐野藍の後ろに、怒りのブリザードが荒れ狂っていた。
「兄ちゃん、どうしちゃったのかな。すっげぇ怒ってるよ」
 特務三課新人(予定)の桐野碧は、不安な表情で隣の少年を見やった。見られた昏は、書類を書く手を止め、隣の恋人に口元だけで微笑む。
「わからない。ただ、怒りの鉾先は、こっちの方に向いているのではないらしい」
 普段勤務中に昏と碧が私語の一つでもすると、注意せずにはいられない藍である。それが今日は、二人に構わず一心不乱に書き物をしている。
「すごいなぁ。あんな兄ちゃん初めて見たよ。よっぽど、やなメに遭ったんだな」
「誰かは知らないが、賞賛に値するな」
 藍が気づかないのをいいことに、ここぞとばかりに昏は言ってのける。碧と公私ともに「対」を組んで以来、彼は毎日藍の嫌み総攻撃に遭っているのだ。これくらいは、いいかもしれない。
「そうそう、銀生さんどこ行ったの?」
「さあな。追加募集の書類を見た途端、どこかへ消えてしまった。きっと何か探られたくないモノが、腹にあったんだろう」
 十分含みを持つ言葉を吐く昏は、その何かを知っているかもしれない。なんせ同じ昏一族だ。
「できた!」
 ぱたりとペンを置いて、桐野藍は呟いた。不敵に笑う顔。実に嬉しそうだ。
「兄ちゃん、できたの?」
「ああ!御影本部への意見書だ。質問事項が三十箇条。これで、キリキリ返答してもらうぞ!」
 桐野藍は書類の束を手に取り、ホレボレと見とれながら言った。その顔にみなぎる充実感。至極、満足らしい。
「・・・・よかったね」
「ああ、今から上層部に提出してくる。こういうことは、早いほうがいいからな」
「う、うん。いってらっしゃい」
「行ってくる」
 ばたん。扉が閉まる。桐野藍はさっそうと出ていった。さわやかだった表情。目の下の隈もなんのその。きっと、意見書の構成を考えるのに徹夜したのだろう。そして、眠ってない頭で三十箇条もの項目からなる意見書を書き上げた。
「昏」
「なんだ?」
「今日の夕飯、なに食べよっか?」
「そうだな。ラーメン以外なら、なんでもいい」
「えーっ!おれ、今日ラーメン食いたいのにー」
 そんなこんなで書き上げた意見書ではあるが、当事者以外にはなんら関係はない代物だ。若者達にとっては、夕食のメニューにも及ばない。
「あー、早く終わんないかなーっ。ラーメン食べたいー」
「終業まであと十五分だ。我慢しろ」
「ラーメン〜〜」
 碧の情けない声が響き渡る。特務三課のオフィス(予定)は、今日も平和な一日?だった。


おわり