「今から俺は、本来の姿に戻る」
 昏が印を組み出した。湧き起こる、すさまじい気。
「昏っ!」
「問題ない。この人は、俺を恐れたりしない」
 昏の静かな瞳。戸惑うおれに、あいつの声が響いた。
「碧、結界を」




再会byみなひ




 青白く光った結界が、幾重にもおれ達を取り巻く。封印結界。遮蔽結界。防御結界。
「どう?」
「ああ、安定している。波長も強度も申し分ない」
「ホント?じゃあ、もうおれ一人で大丈夫かな?」
「たぶんな。俺自身が自分の能力をコントロール出来ている間は、差し支えないだろう」
「やったー!」
 組んだ印はそのままに叫んだ。嬉しい。やっと、課題を達成した!
「おっと」
「気を緩めるな。喜ぶのは、結界を解除してからにしろ」
 不安定になった結界に、昏が言った。おれはペロリと舌を出す。
「あ、そっか。んと、解!」
 解除印を組んで叫ぶと、青白い結界達が消えていった。おれはそれを見届けて、ぐっとガッツポーズをとる。
「ついにやった!」
「まだ持続時間に問題はある。が、とりあえずは成功だな」
「うん!」
「この方法で多重結界を張る手間がかなり省かれる。より敏速に、強固な結界が張れるだろう」
「よーし!これでおれも独り立ちだっ!いつ昏がホントの姿になっても、どんとこいだな!」
 胸を張って答えた。今までのおれは、昏が本来の姿になった時、それに持ちこたえられる結界を張るのに時間が掛かっていた。それでは実戦には向かない(初任務の時は条件がよかったのだ)。だから、任務で昏が「昏」の姿になるとき、おれは大抵藍兄ちゃんや銀生さん、そして何より昏自身の補助を受けることが多かった。それがいつも、おれはとても悔しかったのだ。
「なあ昏、いつ術解いてもいいからな。おれ、ばーんって結界張るっ」
「そういうわけにもいかない。が、安定した結界は必要だ」
 昏は困った表情を浮かべながらも、口元は僅かに微笑んでいた。おれは更にうれしくなる。よかった、結界修行頑張って。
「おれ、もっと頑張る。持続時間だって、もっとのばしてやる。一日中だって、昏が本来の姿でいられるようにするよ!」
「それはどうかと思うがな。しかし、銀生の家の地下に籠もらなくていいのは、助かる」
 昏の気持ち。今度はひしひしと伝わった。やっぱり、よその家より自分の家がいいもんな。
「さあ、もうお昼にしよっか。腹減ったー」
「少し早い気が、するが?」
「いいじゃん!早めに食ってさ、早めに練習開始!」
「それは困る」
元気よく宣言するおれに、昏は言った。
「へっ?」
「午後からは、予定が入っている」
「予定?」
「ああ」
 目を丸くするおれに、昏は、こくりと頷いた。
 


「予定って、ここか?」
「そうだ」
 その家は、都から少し離れた所にあった。
「ここで何すんの?」
「人に会う」
「ふーん」
 小さいけれど、造りのしっかりしてそうな家。軒先には鉢植えがいくつもあって、鮮やかな緑を放っている。庭には零れんばかりに咲いている、卯木の白い花。
「ごめんください」
「はい。少々、お待ちくださいね」
 戸を叩き昏が声を掛けると、奥から声がした。がさがさ、なにやら物音がする。
「ようこそ。久しぶりですね」
 がらりと引き戸が開いて、中から人が出てきた。白髪に黒眼。優しそうな瞳。
「ご無沙汰しております」
「元気にしていましたか?」
「はい」
「それはよかった。さあ、入ってください。今、お茶を入れます」
 老人はにっこりと笑って、おれ達を奥へと誘った。昏が中へと進む。心なしか、穏やかな顔。
「どうした?行くぞ」
 昏に促されるままに、おれは後に続いた。


「よく来てくれました。どうぞ。熱いですよ」
 温かな玄米茶を進めながら、その人は言った。庭に面した部屋。外には卯木の白い花が見える。
「ありがとうございます。頂きます」
 湯飲みを手に、昏が返す。おれは正直驚いていた。昏がおれ以外に、こんなに柔らかな表情見せるなんて。
「二人とも背が伸びましたね。学び舎を卒業して、どのくらい経ちましたか?」
「もうすぐ二年になります」
「そんなにですか。月日は早いですね」
 和やかに話す昏と老人。この人誰なんだ?おれのことも知ってる?記憶にない。学び舎って、先生か?
「なんだこいつって顔、してますね。覚えてないですか?桐野碧くん」
「えっ」
「いっつも眠ってましたものね。早弁後の授業は、眠たかったでしょうからねぇ」
「ええ------っ!」
 くすりと笑いながら告げられ、おれは動転した。眠ってたって、早弁って、それじゃあ・・・。
「あの、そのっ、じゃあっ」
「やっと思い出しましたか。歴史の漆原です」
「うわっ、すみませーん!」
 慌てるおれに、歴史の漆原センセイは、にっこりと笑みを深くした。
「そっかー、漆原センセイかー。えっと、ゴブサタしてます」
「思い出してくれて、嬉しいですよ。昏くんと君が『対』を組んだことは知っていました。当時は学び舎の教師一同、すごく驚いていたんですよ。なにせ桐野くんの学科成績は、ほぼ壊滅的でしたからね」
 実はそうだったのだ。学び舎の最終試験(それも学科)、よく通ったものだと思った。
「なかでも君の、あの解答は忘れませんよ。すごくウケました」
「あっ!えーっと、アリガトウゴザイマス」
 記憶を呼び起こされ、おれは冷や汗が出てきた。あの解答って、あれのことだよな。
「・・・・碧?」
 気がつけば昏がこちらを窺っていた。求める瞳。おれはしかたなく、相棒の疑問に答えた。
「漆原センセイのテストでさ、おれ、全然わからなかったんだ。で、最後の問題だけ書けそーだったから、でっかく書いた」
「あの、私のいつもの問題ですよ。『和の国の歴史を学び、自分にとって‘生きる'ということはどういう意味を持つか、自由に述べなさい」』っていう・・・」
「そう、それそれ!」
漆原先生の言葉に、おれは叫んだ。そうそう、そんな質問だったよな。 
「それで?」
「え?」
「それで、どう書いたんだ?」
 ぼそりと昏が訊いた。おれは、言っていいのかなーとか思いながらも、口を開く。
「んーと、『おれは前見て生きます。後ろなんか関係ない。意味なんか、墓に入ってから考える』って、書いた」
「・・・・・・」
 おれの発言を聞いた昏は、しばし無言になった。おれは内心ヒヤヒヤする。実は試験後それを知った藍兄ちゃんに、すごいお説教されたのだ。
「どうです?なかなか、強者でしょう?」
 にこにこと嬉しそうに、漆原センセイが言った。昏は、まだ黙っている。
「・・・昏?」
 びくびくと窺った。しかし、昏は・・・・。
「そうだな」
 なぜだかふわりと微笑み、そう返した。


「そろそろ、時間も迫ってきました。本題に入ろうと思います」
 懐かしい思い出話。ひとしきり話した後、昏が言った。
「ああ、もうそんな時間ですか。あっという間でしたねぇ」
 お茶を一口飲み、漆原センセイが返す。
「漆原先生、本当によろしいですか?」
「ええ。こちらでは願ってもないことです。無理を聞いて頂いて、ありがとうございます」
「では、一応個人で防御結界を張ってください」
 告げて、すっくと昏が立ち上がった。おれはえっと見上げる。スタスタと昏は庭に降り、こちらに目をやった。
「碧、こっちへ来てくれ」
「何すんの?」
「今から俺は、本来の姿に戻る」
 昏が印を組み出した。湧き起こる、すさまじい気。
「昏っ!」
「問題ない。この人は、俺を恐れたりしない」
 昏の静かな瞳。戸惑うおれに、あいつの声が響いた。
「碧、結界を」
 風が昏を包む。結界の青白い光と、舞い飛ぶ白い花びらの中で、昏は真の姿になった。揺れる銀糸の髪。開かれる、鮮やかな蒼の瞳。
「・・・・・ああ・・・・」
 漆原センセイは、のどから声を絞り出して昏を見ていた。懐かしむような、切ない表情。目に光るものを見つける。
 サ・ガ・ミ。
 震える唇がそう動いた気がして、おれは急に胸が痛くなった。なぜかはわからない。それでも痛くなった胸を抱えながら、おれは結界を張り続けた。


「ありがとうございます。とても、嬉しいものを見せて頂きました」
 皺深い顔を更にくしゃくしゃにして、漆原センセイは言った。
「昏くん、無理を言ってすみませんでした。これで、当分楽しく暮らせます」
「先生・・・」
「また来てくださいね。もちろん、桐野くんも一緒に。美味しいお茶とお菓子を仕入れて、待っています」
 微笑む漆原先生を後にして、おれ達は転移の術で昏の家に戻った。昏とおれは自宅に更に強力な結界を幾重にも張り、昏がもとの姿に戻るのを待った。
「明日の朝には、戻るかな」
「さあな。だが、最近は比較的早く術が効くようになってきている。うまくいけば、間に合うだろう」
 答える昏の表情は、いつになく穏やかだった。おれは不思議になる。いつもの昏なら、本来の姿になった後は、早くもとの姿に戻りたがるのに。
「おれ、頑張って結界張ってるけど、解けちゃったらどうしよう。銀生さん、怒るかな」
「奴ならもう気づいているだろう。それに、奴が来たら来たで、奴の家の地下室に移ればいい」
 おれの心配をよそに、昏は開き直ったみたいに見える。変わった。漆原センセイの家に行ったことで、昏の中で何かが変わった。何が変わったのかわからないけど、確かに。
「あのさ、聞いていい?」
「なんだ?」
 家に戻って以来、ずっと我慢してたことを、おれは口にした。
「漆原先生ってさ、何者なの?」
 漆原夏芽センセイ。おれが知ってるあの人は、年寄りでやたらと眠い授業をする、ただの歴史の先生だった。だけど昏にとっては、違った。
「遠い昔、俺は彼に助けられた。・・・・心を、救ってもらったと思う」
 ぼそりと昏が告げた。昔。おれの知らない昏の過去。そこで何が、あったのだろうか。
「それにあの人は、一人の『昏』を知っている」
 言葉が付け加えられた。「昏」。昏と同族の人物。それは、どんな人だったのか。
「そっかー。そうなんだ。でも、よかったな」
「何が?」
「おれ、安心した。昏の本当の姿を見ても、怖がらない人がいるって知って。それってすごく、いいことだと思う」
 人々が恐れるという「銀鬼」。いつか、その日が来たらいいと思う。昏が、ありのままの姿で生きていける日が。
「・・・・碧」
「お腹空いたな!おれ、なんか食べたい!」
「ラーメンしか、ないが・・・・」
「それでもいいじゃん!おれ作るよっ」
「仕方ないな」
 元気よく台所へと向かう。後ろに温かな昏の気を感じながら、おれはヤカンに水を張った。


end