| 目を閉じると、その男の姿が浮かんでくる。 漆原先生の心にいた、銀髪蒼眼の「昏」が。 彼の名は、嵯峨弥。 昏嵯峨弥。 面影 by (宰相 連改め)みなひ ろうそくのゆらりと揺れる炎を、俺はじっと眺めていた。眠れない。術を解き本来の姿になった身体は、解放されたことを喜ぶかのように、隅々まで感覚が研ぎ澄まされている。 まだ・・・・戻らないな。もっと早く、術が効くと思っていたのだが。 部屋に一つ置かれた鏡を見て、俺は苦笑してしまった。銀髪蒼眼。最近の俺は真の姿になっても、比較的早く元の擬態した姿に戻れるようになっていた。そのことを見越して今日の行動に踏み切ったと言うのに、全く予定とは違う。 これは、少なからず興奮しているということなのか。子供じゃあるまいし。みっともないな。 苦笑は更に深くなる。自分でも、らしくないことをしたと思った。だけどそれ以上に、俺は求めていたのかもしれない。 今日俺は、「昏」の姿をその人に見せた。 碧や銀生達や、軍務省の関係者でもない人に。 学び舎の恩師である人に、「銀鬼」の姿を見せたのだ。 「いつか、もし差し障りがなければ、君の本当の姿を見せてください」 歴史の漆原先生が俺にそう言ったのは、学び舎を卒業する前日のことだった。俺はある出来事をきっかけに、時折、この歴史学者の教務室を訪れていた。 「先生、どうしてそのことを・・・」 「私は知っているんですよ?本来の『昏』を。君が何らかの術で、姿を変えていることはわかっています」 いきなりの申し出。俺は驚いてしまった。「銀鬼」である「昏」の姿は和の国では禁忌。それをわざわざ見たいという人など、いないと思っていたから。 「十六年前の惨劇を知る人は、君の姿を心ない言葉で言います。しかし、私には大切な人の面影です」 向けられる穏やかな表情。漆原先生の言葉は、俺の心へと染み込んだ。碧や遙と離れて以来、久しく聞いていなかった、自分を肯定する言葉。 「すいません。今は・・・・」 「ああ、無理にとは言いません。いろいろと難しい事情のある姿です。出来たらで、いいんです」 「でも、それでもし先生に・・・」 「罰則ですか?それは気にしないでいいと思いますよ。こちらも、いろいろと事情がありますから。実は和の国の上層部に、友人がいたりして」 にっこりと微笑む先生に、再度俺は驚いた。封印された「昏」を知る人。ただ者ではないとは思っていたが、それほどのつながりを持っていたとは。 「まあ、年寄りのわがままです。深く考えないで」 漆原夏芽先生とは、それきり会っていなかった。時折、季節の手紙が特務三課に届くくらいで。 『元気にしていますか?ついに、教職を去ることにしました。田舎でのんびりと暮らそうと思います。一度、遊びに来てください』 そんな内容の手紙をもらったのは、一ヶ月前のことだった。 『いつか、もし差し障りがなければ、君の本当の姿を見せてください』 過去に先生が告げた、あの言葉が思い出される。ちょうどその時大きな任務もなく、碧と俺は結界修行に打ち込んでいた。碧は、多重結界を迅速に張ることを目指していた。 今なら・・・いいかもしれない。「昏」の姿だけなら、遮蔽しきれるか。 そう考えた俺は、漆原先生に連絡を取った。かの日の約束を、果たそうと思ったのだ。 『嵯峨弥』 求める声。その姿になった時、漆原先生の心の声が聞こえた。流れ込んでくる、ある男の記憶。 長い銀髪に蒼い瞳。俺とよく似た姿の男は、穏やかに笑っていた。 『夏芽。オレ、がんばるね。一生懸命、がんばる』 耳をくすぐる落ち着いた声。少年のような表情。一途で、繊細な心。 彼は昏嵯峨弥と言った。漆原先生と彼は、共に生きていた。 『好きだよ、夏芽。大好き』 『こら!恥ずかしいこと言うな!嵯峨弥っ!』 大きな過ちがあった。とりかえしのつかないほどの。それでも二人は、傷つきながら障害を越えた。 幸せな日々が続く。お互いを大切に思い合った日々が。やがてくる、別離の日まで。 『ごめんね・・・・夏芽。できるだけやったんだけど・・・証明・・・・できたかな』 『したよ!今度はおれがする!おまえの分まで生きぬいて、大往生して自慢しに行ってやる!それまで待ってろ!』 『うん・・・・そうする。ありがと』 彼は先生を思い続けていた。一生、先生の為に生きた。そして。 先生も彼を思っている。思い続けている。今も。 「・・・・羨ましいな」 気がつけば言葉に漏れていた。本心、羨ましいと思う。彼らの思い合う姿が。 俺も、そうありたいと思う。彼らのように。 傍らの碧を見やれば、相棒はスヤスヤと寝息を立てていた。熟睡している。当たり前だ。あんなに長時間、結界を張り続けたのだから。 「おれ、もっと頑張る。持続時間だって、もっとのばしてやる。一日中だって、昏が本来の姿でいられるようにするよ!」 そう言って笑った碧は、今日一日、限界まで結界を張った。俺の「銀鬼」の姿を隠すため。俺の「力」を外に漏らさないため、結界を張り続けた。 無理をさせてしまったな。明日までに、回復していればいいが。 俺は右手を伸ばして、相棒の頬に触れた。温かい肌。体温が伝わる。 「お前もばかだねー、碧にメーワク掛けちゃダメでしょ?藍さんに見つかったら、後が面倒なのよ?」 碧が倒れ込むように眠ってしまった後に、結界を張りに来た銀生が言った。呆れかえった表情。 「どーしたの?全然お前らしくないねー。なんか、シンキョーの変化ってやつ?」 「・・・・・すまない」 「あれれ、やけに素直ね。たまには、いーか」 今日自分のとった行動。それはとても、慎重さに欠ける行動だったと思う。反省もしている。それでも、俺は・・。 「で、どうだったの?記録からも抹消された、昏嵯峨弥って奴は。視たんでしょ?」 銀生にそう言われて、俺はただ苦笑いした。全部、お見通しってことか。それもそうだ。銀生だって「昏」だ。俺と同じ姿は、持ってないにしても。 「まあ、よかったんじゃない?だけどこーゆーメンドクサイことは、二度とごめんだね」 しっかり釘を刺して、銀生は姿を消した。きっと報告しに行っているのだろう。今回の俺の行動を、上層部に。 「あれ・・・・昏?」 気がつけば碧が目を覚ましていた。眠そうな声。俺は顔を近づける。 「起きたか。朝までにはまだ間がある。眠れ」 「んー、そうする。今日は疲れちゃったよ」 「すまない。俺の勝手に、付き合わせたな」 俺は触れていた頬の手を、碧の髪へと差し込んだ。やわらかな手触り。相棒が、猫のように目を瞑る。 「いいじゃん」 「碧」 「おれは面白かったよ。漆原センセイにも会えたし。昏の役に立った」 スリスリと手に頭を擦りつけられ、俺は更に顔を近づけた。そっと口づける。思いを込めて。 「明日、夕食は何か食べに行こう。お前の好きな物を、好きなだけ」 「やった。楽しみっ」 今の俺には、これくらいしかできない。彼らの足下にも及ばない。けれど、いつかは・・・・。 「おやすみ昏」 「ああ。おやすみ」 「朝、ちょっと早めに起こしてくれよな。藤おばちゃん、新作のおかず発表するってさ」 「わかった。そうしよう」 もう一度俺は碧の額に口づけ、愛しい者の寝顔を見つめた。 とても、満ち足りた気分だった。 end |