(ほむら)  by 近衛 遼





 閉ざされた空間で、閉ざされた欲望が晒される。必死にこらえても、少しずつ引き出されていく。
 こんなものが、どこにあったのだろう。自分でもわからない。むろんそれが、人間としてあたりまえのものであったとしても、この形態は……。
「っ……ふ…う……んっ………」
 思いもよらぬ音が、喉から鼻腔を通じて流れ出る。とめどなく溢れる声。急かされて、ときには焦らされて。
『申せ』
 最初のとき、この人は言った。
『すべてを』
 なにもかも、晒け出せと。
「出水」
 ややあって、名が呼ばれた。
「……」
 出水は顔を上げて、その人物を視界の中に捕えた。東洞院八束。たったひとりの、おのが主上を。
「ここに」
 八束は命じた。おのれの一部になれ、と。
 そろそろと出水は頷いた。声に応えて、内部を開く。
 決してたやすくはないその行為を、自分はもう数え切れぬほど経験している。その果てにある、表現しがたい極致までも。
 体の中に、強く主張したものが食い込んでいく。押して、引いて、揺らして。そして。
 ついに、その嵐は全身に波及した。雷のような衝撃と、脳天に走る閃光。
「あっ……っ………く……ぅっ」
 上体がのけぞる。激しい濁流に意識が飲まれる。
 出水はそれを甘受して、闇の淵に埋没した。


 公爵家出身という身分ゆえだったのだろうか。
 否。
 護国寺の「行」を完遂した人格者だったからか。
 否。

 それもある。が、それだけではない。断じて。
 東洞院八束。その人に会って、自分はそれまでの「価値」を根こそぎ奪われた。そののちに。


「のう、出水」
 明るい雲殿の一室で茶を喫しながら、八束が言う。
「はい」
「兵部どのがお申し出、いかが思う」
 「兵部」とは、現兵部尚書(大臣)、春日清顕のことである。清顕は本宅における物の怪騒動の解明を、護国寺に内々に相談していたのだ。
「は、それなれば……」
 下座で、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「よほどのお悩みかと、推察いたします」
「さようなことは、わかっておる。私が訊いているのは、その陰になにがあるかということ」
 このうえなく美しく笑んで、八束は続けた。
「兵部どののお悩み深きことは、いまさら言うでもない。そこで……」
 すっ、と出水のあごを持ち上げ、八束は言った。
「そなた、明日より春日家の臣となれ」
「えっ……」
 いま、なにを言われたのか。
 春日家の臣に。それは、つまり……。
「出水」
 先刻とは違う声音。出水は全身を震わせた。
「なにを考えているのかは知らぬが」
 唐突に、八束は出水の下衣の中に手を入れた。
「っ…ん……」
 声が出そうになった。その瞬間、耳元で口呪が唱えられる。
 声も、四肢の自由も奪われる。板の間に転がされ、出水はおのれの愚かさを知った。
「念のため、言うておく」
 内部がかき回される。指先を通じて、燃えるような熱が植えつけられて。
「私を疑うことは、許さぬ」


 はい。疑いませぬ。あなたのことは。
 炎熱の中で、出水は思った。
 いま疑ったのは、自分自身。春日家に行けと言われ、自分があなたのそばに居てはならぬ者なのかと思っただけ。


「よいな、出水」
 呪文のような声が、ひっそりと耳に差し込まれる。
 はい、疑いませぬ。あなただけは……。
 新たな炎を吹き付けられて、出水は芯まで、熱く激しく溶けていった。


(了)