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夜に唄えば〜『注意一秒、恋一生!』番外編〜 by 近衛 遼
その夜、ライブハウス「キャッツ」は振袖を着た女の子たちでにぎわっていた。
振袖といっても、成人式の二次会ではない。やたらと奇抜な柄や色合いの着物や帯が大半を占めていて、中には花魁のように前で帯を結んで大きな扇子を振っている少女もいた。
「みんな今日はまたいちだんとリキ入ってんなあ」
ステージの上で、同じく振袖姿の男が叫んだ。
声を聞かなければ、それが男性だとはわからないだろう。いや、観察力のある者なら、化粧でうまく隠されたのどもとを見て判別できるかもしれないが。
黒地に真赤な寒椿の図柄の着物に、金糸銀糸の刺繍をほどこしただらりの帯。鬱金色に染めた長い髪は、左右合わせて六本のかんざしと色とりどりの飾緒で見事に結い上げられている。
「そこの鷺娘、けっこうイケてるでぇ」
名指しされた少女は「きゃーっ」と嬌声を上げて、いまにも倒れんばかりに小躍りしている。
「太夫! あたしは?」
「太夫、私のは京友禅よー」
女の子たちは口々に自分の衣装を自慢する。
「わかったわかった。みんな、ようきばったなあ。次もまた、この調子で頼むでー」
バンドの名は「くれなゐ太夫」といって、女装のボーカリストは皆から「太夫」と呼ばれていた。
「さあて、次がラストや。根性入れて聞けやー」
「太夫」がマイクを振り上げると、バーン、とドラムの音が響きはじめた。女の子たちは思い思いの振り付けで踊りながら、文字通り大きく袖を振った。
「……毎度のこっちゃけど、派手やなあ」
総立ちの状態になっているフロアの隅で、長身の男がぼそりとつぶやいた。
ぼさぼさの短髪に、浅黒い顔。場違いもはなはだしい。
「楽屋で待っとったらよかったかな」
「将太」
男のとなりにいた高校生ぐらいの少年が言った。
大きな黒目がちの瞳とつややかな栗色の髪。そのうえ透けるように白い頬とくれば、こちらもある意味、異様に浮いている。
「なんや、凛」
「のどがかわいた」
「あ、そうか。すまんすまん。なんか飲みもん、もろてきたるわ」
将太と呼ばれた男はあわててカウンターの方へ行き、オレンジジュースを手にしてもどってきた。
「これでええか」
「将太は?」
「あとで忠義がおごったる言うとったから、今はええわ」
「……車で来てるんだよ」
少年は、眉をひそめて男を見上げた。
「ちょっと飲んだら、すぐ赤くなるくせに。また検問に引っかかって、ぼくまでお説教を聞かされるのはごめんだからね」
「酔いをさましてから帰ったらええやろ」
「どこで」
「そら決まっとるやん。曾根崎のええとこや。早めに抜けたら部屋も空いとるやろし……」
「帰る」
受け取ったばかりのジュースを返して、凛は言った。
「ちょっ……うそやうそや。冗談やがな」
将太は凛の前に回った。
「飲み会終わったら、車置いて帰るわ」
「あゆみさんに怒られない?」
あゆみというのは、将太の姉である。ちなみに彼には姉が三人と妹が一人いて、上から順に、みゆき、あゆみ、さゆり、めぐみという。
「大丈夫や。あゆ姉には二日分払うてある」
将太はむすっとして言った。実利優先主義のあゆみは姉弟間といえども貸し借りは契約だと言って、自分の車のレンタル料を請求したのだ。
「おかげで、おとついのバイト代がパアや」
将太はおもに夜間工事のアルバイトをしている。
「ジュース」
「へっ?」
「まだ飲んでない」
「ああ、これな。はい」
ほっとして、将太は凛にジュースの入ったグラスを渡した。
ステージでは、アンコールの二曲目に入っていた。ベーシストが三味線をかき鳴らしている。まったく、「くれなゐ太夫」のメンバーは多芸だ。
「おおきにー。みんな、また会おなー!」
将太には「忠義」と呼ばれているボーカリストが櫛を外して客席に投げた。
ひときわ大きな歓声が上がる。ライブの最終日に「太夫」が自分の身につけているものを投げるのは、ここ一年あまりのお定まりであったから。
しばらくして、二十歳前後の兵庫髷の美女がその櫛を高々と差し上げた。皆の賞賛のまなざしの中、自分の結髪に優雅なしぐさでそれを挿す。
「姐さん、よう似合うでー。大事にしたってや」
忠義はステージの上から美女に向かって手を振った。
「いやあ、もう、まいったわー」
打ち上げの居酒屋で、忠義は頭をかきつつ言った。
「つい調子に乗ってしもてなー。バッタもん投げるつもりが、ほんまもんのべっ甲投げてしもた」
「アホやなあ」
将太がビールを注ぎながらため息をついた。
「ほな、あれ、例の質流れの……」
「せや。マルイチのおっちゃんにええ出ものがあるて聞いて、やっと手に入れたのに……あー、ほんま、惜しいことしたわー」
マルイチというのは、彼が懇意にしている質屋である。ステージ用の装飾品を仕入れるのに、彼はときどき質屋を利用していた。品物が確かで安価だというのがその理由らしい。
「あしたっから、またバイトやな。珊瑚の帯留めのええのんがあってなあ」
「おまえのおばちゃんは、そういうもん貸してくれへんのか」
「あかんあかん。着物と帯は宣伝料や言うてタダで貸してくれるけど、飾りもんはいっさいナシや。ま、おれの眼鏡にかなうほどのもんは、そうそうないけどな」
忠義の叔母は「みやび屋」というレンタルブティックを経営していて、彼は舞台衣装のほとんどをその店で調達している。ファンの女の子たちもそれを知っていて、自分たちもそこで衣装を整えてライブにやってくるのだ。
「あんたはなに着せても見栄えがするからええなあ」
叔母は新作の着物を仕入れるたびに、金髪の甥っ子にそれらを試着させて喜んでいる。
「出世したら百倍にして返しや」
そう言ってライブのたびに衣装を貸してくれるのだが、すでに忠義はみやび屋の売り上げのかなりの部分に貢献しているはずだ。
「ほな黄金丸、お先ぃ」
ベース担当の白河という男が、割り勘分の金をテーブルに置いて立ち上がった。バンドのメンバーは彼を本名で呼んでいる。彼の本名は、黄金丸忠義といった。
「また来月な」
「ご苦労さん。……あ、せやせや。今度は京都やし、三味線のナンバーもう一曲増やそか」
「考えとくわ」
白河は片手を上げて、店を出ていった。
「あー、あと、琴でもできるやつ、おらんかな」
「ぜいたくやな、黄金丸は。白河がうちに入っただけでも奇跡やぞ」
ドラムの坂口が苦笑した。
ライブの話がひと段落つき、バンドのメンバーが三々五々帰っていったあと、忠義ははじめて凛に話しかけた。
「なあなあ、姫さん。ばーちゃん、例のもん貸してくれるて言うてたか?」
彼は凛のことを「姫さん」と呼んでいる。将太と並んでいると、凛が姫で将太がその下僕のように見えるらしい。実際のところ、そう言えなくもないのだが。
「おばあさまは、舞台で着るのなら断るって」
「……やっぱり」
「なんの話や」
将太が首をかしげた。
「いや、じつはなあ。ばーちゃんの若いころの着物、貸してもらえんかなと思て……。ええ色の裲襠(うちかけ)でなあ。鳳凰の刺繍がしてあって、そら見事なもんや」
「そんなもん、おまえ、いつ見たんや」
「年末に着物着て遊びに行ったときや。ばーちゃんが自分の着物、出してきてくれてん。『これぐらいのもん着てみ』言うてなあ。さすがにその場ではもったいのうて着んかったけど、あとになって惜しいことした思て」
初耳だった。将太は年末、警備員のバイトをしていた。
「うちに来るなら、着てもいいって言ってたよ」
「ほんまかっ?」
「うん。こないだ、天気のいい日に虫干ししてたみたいだし」
「おわっ……そらええわ。行く行く。いつ行ったらええのん」
「さあ。また聞いておくよ」
「頼むわ、姫さん。あんな上等なもん、今度いつ着られるかわからんし……。やっぱし、持つべきものは友達やなあ」
「……いつ、おまえがこいつとダチになったんや」
将太はぶすっとして口をはさんだ。蚊帳の外になったのが面白くないらしい。凛はそんなことはまったく気にしていないようだが。
「まあまあ。男が細かいこと言わんと。ほらほら、ぐいっと一杯……。ねえちゃんねえちゃん、このにーちゃんにナマチュウ(生ビール中ジョッキ)もうひとつねー」
忠義はさらに、日本酒や焼鳥を注文した。
「姫さんはウーロン茶でええか。さすがに高校生に酒すすめるんはマズいからなあ。ジュースばっかりやと、腹ふくれるし」
「べつに、なんでもいいけど」
「へ? もしかして、いけるクチかいな」
「将太が前に……」
「うわーーーーっっ!! ちょっと待て、凛。あれは……」
将太が急に大声を上げたので、一瞬、店内がしんとした。
「なに?」
凛がちろっと目をやる。
本人は意識していないのだろうが、なんとも色気のある流し目である。
「あ、いや、その……」
将太はしどろもどろになりながら、とりあえずビールをあおった。
「……ふうん。なんかワケありかいな」
忠義はにんまりと笑って、さらにビールを追加した。
「ま、イロイロあったっちゅうこって、今夜は楽しゅうやりまっか」
こうして、やたらと盛り上がっている金髪の男と美少女のような少年にはさまれて、将太はひたすらグラスを重ねた。
一時間後。
「……寝ちゃったね」
凛が、ぼそりと言った。
「そら、あんだけピッチ早かったらなあ」
ふたりのあいだで、将太がテーブルに突っ伏していた。すっかり酔いつぶれている。
「姫さん、残念やったな」
「なにが」
「こいつとデートするはずやったんちゃうん」
「べつに、約束はしてない」
「へえ。そんなら、まあええか」
忠義は「よっこいしょ」とつぶやきながら立ち上がった。
「帰るで」
「え……でも、将太は?」
「ここに置いといたらええがな。今日はおれが送ったるわ、姫さん。どこまで行ったらええのん」
「将太の家に泊まらせてもらうつもりだったけど」
「ほな、行こか。駅前でタクシー拾お。まだ時間早いし、こいつん家もだれか起きてはるやろ」
たしかに、将太の母は深夜までショップチャンネルに見入っているはずだし、二番目の姉のあゆみはインターネットにはまって連日夜更かしをしている。
「さ、行こ行こ。……おっちゃん、ごちそうさん。これ、お勘定。あと、足らんとこはこいつが払うから」
凛をホテルに連れ込むつもりだったのなら、それぐらいの持ち合わせはあるだろう。
そう推測して、忠義はバンドのメンバーから預かったぶんだけ渡して、店を出た。
そして、さらに三時間あまり。
「にいちゃんにいちゃん、もう店閉めるで」
将太は店主に叩き起こされた。
「へっ……いま何時や」
ぼんやりと頭を上げる。
「二時過ぎとるがな。ほら、これ」
目の前に、ぴらりと勘定書きが現れた。
「え? あれ、凛は……」
「派手なにーちゃんと別嬪さんやったら、日付が変わる前に帰ったで」
「そんな……」
将太は愕然とした。
「トンビに油揚げさらわれたなあ」
店主はにやにや笑いながら、それでも電卓を打つ手を止めずに続けた。
「一応、内金はもろたけどな。残りは一万二千五百二十円や。カードはやめてや。『いつもニコニコ現金払い』やで」
思いきり古いフレーズを聞かされて、将太は再びどっと脱力した。
一万二千五百二十円?
忠義のやつ、おれが潰れてからどれだけ食うたんや。それに、凛……。
そら、酔っ払って寝てしもたんは悪いけど……忠義やったら、ちゃんと凛をうちまで送り届けてくれたやろけど……せやけど……。
思考回路が、ぶちっと音をたててちぎれた……ような気がした。
けど、なにも、ふたりして先に帰らんでもええやないかっっ!!
すでに二日酔いになりかけている頭をかかえ、将太は心の中で絶叫した。
(THE END)
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