なんか、嫌やった。
 気がつくと感じた視線。まっすぐで。
 反らしもせんかったあいつの瞳。それやのに。
 二年経っても忘れられへんかった。




to his town     by (宰相 連改め)みなひ




「うわっ」
 薄暗い世界の中、身じろぎして激痛がはしった。
「痛ぁ・・・」
 おそるおそる右肩に触れる。そっと肩を動かして・・・・動くのは、動く。
「はずれては、ないみたいやな」
 安堵に大きく息を吐き出した。さすがに一度負傷した箇所を、再度負傷するのは痛い。前回乱闘した時、おれは右肩を脱臼していた。
 次やったら、完璧クセになるやろな。
 右肩をさすりながら思った。ズキズキと痛んでいる。幸い脱臼こそしなかったが、筋の一つも痛めたかもしれない。 
「あーあ。おれもこりへんなぁ・・・・」
 誰に言うでもなく漏れた。自嘲に顔を歪める。これで二回め。最初は絡まれていた女性を見かけた時で、今日はコンビニで万引きしている二人組に、つい口が出てしまった。
「どうもあかんな。あの手の女は鬼門や」
 がりがりと頭を掻く。まったく自分らしくない所業。今までリスクの大きなものには手を出さず、要領よく立ち回ってきたはずなのに。どうしてだかあのタイプを見ると、普通に計算が出来なくなってしまう。
『仕方、ないんかな』
 思いだし苦笑が浮かんだ。
『あの店員、似てたし』 
 答えは既に出ている。自覚せざるを得なかった。これは既にトラウマなのかもしれない。あのひとに似た女(ひと)が困っている。それだけで飛び出してしまう。何かしたい。助けたい。今度こそはと。
「こういうところがおれ、甘いんや」 
 自嘲する。どうしてわからないのだろう。あのひとは、そこにいないというのに。
『おかぁちゃんはあそこや』
 心の中で呟く。
『今までも、これからもずっと、それは一緒や』
 自分に言い聞かせて、一人溜め息をついた。ともかくここにいても仕方がない。どこか、安全なところに行って休もう。立ち上がろうとして、左の足首に痛みを感じた。
 ちっ、ねじてもたか。
 軽く舌打ちしながら、左手を地面についた。徐々に力を入れ、ゆっくりと立ち上がる。足は・・・・まだ軽い。大丈夫そうだ。
「はー、あせったー」
 自然と気持ちが漏れた。汚れた服をパンパンとはたき、辺りを見回す。細い路地のむこうに、明るい光。
「もう夜明けか。なんか早いなー」
 踏み込むと痛みを発する足で、そろそろと光に向かって進んだ。一歩、また一歩。路地を進むたびに、周りが明るくなる。
「まぶしいわ」
 左手を額にかざした。暗さに慣れた目が一瞬、幻を映しだす。
「さあて、何処行こかな」
 大通りの所まで来た。壁に手をかけ、明るい世界を見る。行き交う人々。少女。老人。大人たち。
「そうやな・・・・」
 何か考えようとして、ふいにそれが頭の中に出てきた。黒髪。ゆっくりと振り向いて。あの瞳。
 硬質な輝きを放つ、真っ黒な・・・・・。
『久御山』
 あの頃と同じ声が聞こえた。抑揚もなくぼそりとした言い方。瞬間。

 頭が、真っ白になった。

「はは・・・うそやろ?」
 いきなり出てきた人物に、自問自答する。だって信じられない。いたんか、あいつが。おれの中に、まだ。
「冗談きついわ」
 小さく抗議する。だって今まで影も形もなかった。兆しさえも。それでも事実は事実。あいつはいたのだ。あの時と寸分違わぬ姿で。同じ響きの声で。おれの中に。
「ほんまに、あかんで・・・・」
 苦笑する。自分の頭に説教したくなった。どうして出てくるねん。なんで覚えてるねん。ほんまに。なんで今ごろ、あいつなんて。
「忘れたと思てたのに」
 自覚はまったくなかった。あの街といっしょに、捨てて来たはずだったから。
 相馬。
 心で呼ぶ。湧き出たものを否定することはできなかった。無意識にポケットを探る。ありったけ取り出して。小銭と、くしゃくしゃになった千円札が一枚。
 
『行ける』
 もう一人の自分が言った。
『これだけあれば、あの街へ行ける』
 事実が背中を押す。
『あいつのいる街へ』
 迷いは、入る余地がなかった。

「どうせ、何処行ったかて同じやしな」
 一人呟く。出した言葉は、言い訳だとわかっている。それでも。
 自分を動かす為の、「理由」が欲しかった。
「・・・・どこやったかな」
 周囲を見回す。この気持ちをまだ認めてしまうわけにはいかない。けれど、足が動いてしまう。人波をすり抜け、必死で目をこらした。駅を探す。この先にたぶん、それは存在しているはず。

 続いているのだ。
 駅は、あの街へ。
 あいつへ。

 だんだんと早足になってくる。それをひしひしと自覚しながら、おれは駅へと向かった。 

 I'll go back to his town.
 Because,I・・・・・.


END