『十六夜』   byつう








 暗部の仕事は、たいてい急務である。
 その日、再不斬は朝一番で任務を受け、白をともなって霧の国の山岳部に出かけた。
 秋の風が心地よい。霧の国の、短い秋。木々は黄や朱に彩られ、実りの季節を告げている。
 山をふたつばかり越えたとき、白の足がいくぶん遅れはじめた。
「どうした」
 再不斬が訊ねた。白はじっと目をこらして、山並みを見つめている。
「いえ。なんでもありません」
 視線をもどして、歩き始める。再不斬はそれ以上言及せず、先を急いだ。


 その村に到着したとき、もう日はとっぷりと暮れていた。どの家もぴったりと戸を閉め、通風孔からわずかに明かりが漏れるのみである。
 やはり、そうだ。
 白はぐっと奥歯を噛み締めた。
 ここは、自分が生まれた村。父が母を殺し、そして自分が父を殺した場所。
 山路の途中で、もしやと思った。当時、自分はまだ七つか八つだったと思うが、人買い商人に連れられて村を出て、いくつかの山を越えた。あのとき見た風景は、いまでも断片的に覚えている。
 ここで今回の仕事を行なうのだろうか。それとも、たんに一夜の宿とするだけなのか。
 再不斬は枯れ草の積み上げられた畝をずんずんと進んでいった。白もそれに従う。
 村の中心からやや西にずれたところに小さな池があり、その奥に土地神を祀る祠があった。再不斬はその祠の陰に腰をおろした。
「まだ、早いな」
 月の位置を見て、言う。今宵は十六夜。本当なら冴えざえとした月影が村を包んでいるはずだが、いまは薄い雲がかかって霞んで見える。
 白は黙って、再不斬の横に座した。
「あと半刻、ここで待つ」
「待つ?」
「スクリの通夜が終わるまで、な」
 スクリ。この村の長老にして、村主のことである。スクリは村の長であり、絶対的な権力者だった。
「……死んだのですか。村主は」
「昨夜遅くだそうだ」
「それで、なぜ……」
 自分たちがここに遣わされたのだろう。
 もちろん、暗部の仕事はただひとつ。暗殺である。
「もう『スクリ』は要らぬ」
 再不斬のことばに、白は納得した。
 霧の国は、この村の排他的な独自性を嫌っていたのだろう。ただ、代々続いてきたスクリの存在を無視できなかった。スクリは村人から神の憑坐として狂信的な支持を受けていたから。
 が、そのスクリが死んだ。次の「スクリ」が何者であれ、正式に村主として立つ前に消してしまおうということか。
「それで、目標は」
「スクリの息子だ。弔いの客が引けたら、行く」
「わかりました」
「……おまえが、やるか?」
 低い声で、再不斬が言った。
「え……」
「スクリの一族には恨みがあろう」
 知っていたのか。自分がこの村の出だということを。
 いままで話したことはない。出自を訊かれたこともなかったのに。
「どうだ、白?」
 再不斬は白のあごに手をかけた。顔が間近に迫る。唇があと少しで触れそうになったとき、
「いいえ」
 わずかに目を伏せて、白は答えた。
「ほう。なにゆえに」
「忍は、私怨で動くものではありません」
 自分をかばって斬られた母。血にまみれた父の姿。そののちの、家畜以下の扱いを受けた自分。思い出すと体中が凍りつく。しかし。
 もうあのころとは違う。いま、ここにいるのはひとりの忍。この人の手足となって働く、武器なのだ。
「わかったような口をきく」
 再不斬が白の唇をふさいだ。ゆっくりと口腔内を侵食してくる感触に、白はのどを震わせた。
 ふだん、再不斬はあまり唇を合わせない。互いに顔を密着させると、周囲に対する注意が散漫になるからだ。
 忍はいつでも、他者からの攻撃をかわさねばならない。それができなければ、死に直結する。
 仕事の最中に私語を交わすことさえめったにないというのに、このように触れてくるとは。白は再不斬が拘束を解くのを待った。
「では、おれが命じる」
 元通りの位置にすわって、再不斬が言った。
「おまえは動くな」
「え?」
「そもそも、素人を始末するのに暗部が出ることはなかったのだ」
 ましてや「鬼人」を使う必要など。
 そう。それが「スクリ」の家の者でなければ。
 真偽の程は定かではないが、スクリの先祖は抜け忍であったらしい。一族を率いて霧の国に流れつき、およそ定住には向かぬ雪深い高地に村を作った。その後、幾世代かを経て、いまでは忍の術を受け継ぐ者がいるかどうかはわからない。
「ここにいろ」
 言いながら、再不斬は立ち上がった。
「再不斬さん……」
 ざっ、と風が起こり、木々がざわめいた。落ち葉が生き物のように、足もとを転がっていく。
 雲が切れた。青白い月の光に照らされて、鬼人と呼ばれた面がくっきりと浮かび上がった。
「行ってくる」
 瞬時に、姿が消えた。残ったのは凍りついたような静寂。
 いや、実際にはまだ風が吹いていたのだが、白にはもうその音は聞こえなかった。再不斬の気配を追うことにのみ、神経を集中していたから。


 スクリの屋敷。幾人ものつわものたち。あれはスクリの子飼いの者だ。そして、奥の間にいるのは……。
 しわだらけの老人が、白装束をまとって牀の上に横たわっていた。骸となった、かつての「スクリ」。
 その枕辺に、不惑を二つ三つ過ぎたばかりの男がいた。男は突然の侵入者に不審の目を向けた。
「スクリの息子だな」
 再不斬は確認した。
「なんだ、おまえは……」
 男が誰何して立ち上がろうとしたとき、再不斬は剣を抜いた。一瞬ののちに、男の首は床に落ちた。


 再不斬が屋敷を出た。まもなく、ここにもどってくるだろう。
 白はどっと疲れを覚え、片手を地につけた。まだまだ修業が足りない。こんなことでは、再不斬の武器になどなれない。
 忍は、命じられればなんの罪科もない者を殺さねばならぬ。そしてまた、命じられなければ、どんなに憎い相手であっても手にかけてはならない。
 わかっているつもりだった。忍になりきることは、いずれにしても修羅であると。
 再不斬の気配が近づいてきた。白はきちんと居住まいを正し、祠の石道のあたりを見据えた。
 落ち葉が舞う。わずかな血の臭いとともに、大きな影が現れた。
「行くぞ」
 短く、言い放つ。
「はい」
 白は立ち上がった。


 ふたりは、来たときとは違う山沿いの細い道を進んだ。村のはずれまで来たところで、白はそっと振り向いた。
 もう、この村を訪れることはないだろう。もし、そんなことがあるとしたら、自分は今度こそ忍としての仕事を全うしよう。
 月はすでに山陰に隠れ、村は闇に沈んでいる。
 白は心の中で、村のどこかに眠る両親に別れを告げた。



(THE END)



戻る