『空蝉の世に在るうちは』    byつう






 この身は器でしかない。
 しかしその器を使う者がいれば、存在する意味がある。使う者がもう要らぬと判断したのなら、滅する意味もある。
 生きる意味も、死ぬ意味も、あの人が与えた。生まれたことさえ否定された、ぬけがらのようなこの身に。




 一年の、半分近くが雪に閉ざされるような村だった。
 その間の人や物の出入りも限られていて、それが外部に漏れるまで相当の時を要した。山間部の小さな村に、血継限界の力を持つ人間がいるということ。そして、その血を引く子供が自分の父親を殺したという事実。
 いまになれば、それは極限状態での選択だったのだと思う。
 父は、他の道を選ぶことはできなかったのだろう。妻を殺し、息子を殺し、そしておそらく自分も死ぬつもりで。
 ムラの掟は厳格で、スクリと称された村主の下命は絶対の力を持っていた。
「白っ……逃げて!」
 母は力の限り、自分の子供を突き飛ばした。白は雪に覆われた斜面を転がり落ちた。何がなんだかわからなかった。ただ懸命に走った。
 しかし、幼い足には限界がある。やがて父親の大きな手が、白の着物をつかんだ。
 返り血で真っ赤に染まった父の姿。くしゃくしゃになった顔。
「ごめんな、白……」
 くりかえし、同じことばをつぶやく。
 泣きながら血に濡れた剣を振り上げて……
 そのとき、白ははじめて「力」を使った。
 一瞬ののち、彼の父であった者は骨すらも判別できぬほどに四散していた。


 消えた……。
 漠然と思った。そして。
 そのあとの記憶が、白にはない。




 気がついたときには、鎖のついた首枷をはめられて厩の隅にいた。筵一枚の下は凍りついた土である。白は手足をこすりながら、寒さに耐えた。
 日に一度、雑穀の粥と味噌が与えられたが、食事を運ぶ者が厩の入り口に盆を置いてそそくさと帰ることもあって、鎖の長さが届かずに食べられない日も多かった。
 早く、殺してくれればいいのに。
 幾度もそう思った。何故、彼らは自分を生かしているのだろう。
 あとになって、それが村人たちの迷信のためだとわかった。父が瞬時に絶命したために、彼らは血族の人間をその手にかけることを恐れたのだ。
 やがて、白が厩に籠められてひと月近くがたったころ。
 村に人買い商人がやってきた。毎年、春先にこの村を訪れるその商人は、厩に繋がれていた白を買った。当然のことながら、白が特殊な能力を持っているとは知らずに。
 無理心中の生き残り。商人はそう聞かされていた。
 ほかにも何人か口減らしのために売られた子供もいた。どの子もひどく痩せていて、余所へ売るにはしばらく時間がかかりそうだと商人は愚痴った。
 生まれ育った村を出て、白は山を越えた。ひとつ、またひとつ。
 明日は都に入るというその夜。商人の一行が泊まった宿屋が何者かに襲われた。宿の主人は殺され、巻き添えになって商人も死んだ。
 子供たちは散り散りに逃げた。白も逃げた。むろん、行くあてなどなかったが。
 路地裏でうずくまっていた白の前に、黒い影が立った。白は顔を上げた。
『憐れなガキだ』
 先刻、宿屋を襲った男だった。
『おまえのようなガキはだれにも必要とされず、この先、自由も夢もなくのたれ死ぬ』
 淡々とした口調。恐れは感じなかった。白はにっこりと笑った。
『おにいちゃんも、ぼくと同じ目をしてる』
 自由も夢も未来も、何も信じられない、孤独な眼。


 あれから、幾度の冬を越しただろう。あなたの側で。


 滝の流れ落ちる音が、やけによく聞こえる。雪解けが進んで、水の量が増えたのだろうか。
 夜具に頬を埋めるようにして、白はその音を聞いていた。
 着物の裾はたくしあげられ、細い脚が顕になっている。大きな手が腰を掴み、何度目かの交わりが進行していた。
 めずらしいこともあるものだ。
 麻痺しつつある下肢をかろうじて支えながら、白は考えた。再不斬が仕事の前に事に及ぶとは。
 もちろん、それを云々する気はない。命じられるままに、求められるままに、自分はこの人の望むことを為せばよい。
 ひざがぎしぎしと震えた。もう少し。もう少しだ……。
 こらえきれずに声を漏らす。
 夜具の敷布が、千々に乱れた。





 朝の光が滝をきらきらと照らしている。
 滝壺から少し離れた川縁で、白は水を汲んだ。指先がぴりぴりするほど冷たい。
 桶をかついで小屋にもどる。再不斬は居住まいを正して、囲炉裏の前にすわっていた。
 数刻前までの名残りはすでにない。夜具はきちんと畳まれて隅に積んであり、後始末に使った練り布も手水鉢の中だ。ただひとつ、白の体に残るいくつもの跡がそのことの行なわれた証しであったが、襟をきっちりと合わせた着物の下に隠されて、伺うことはできなかった。
 白は鍋に水を入れ、大根と葉ものの汁を作った。その中に蕎麦粉で作った団子を加え、上座に供す。
 再不斬は椀を取り、汁を吸った。旨いとも、不味いとも言わない。ただ黙々と箸を運ぶ。
「草を……」
 低い声で、再不斬は言った。
「刈らねばならん」
「はい」
 草とは、村々に住んで情報収集にあたる忍のことである。たいていは高齢になって引退した者や、怪我で第一線を離れた者がその任に当たる。
「西の里の草は、なびきやすい」
「西山老ですか」
 西の里で刀工として暮らしている霧の国の『草』のひとりである。
 かつて霧隠れの里で学び舎の教師をしていた男で、現職の上忍や中忍の中にも教え子は多い。再不斬が卒業試験で他の生徒を皆殺しにしたあと、自責の念にかられて退職したと言われている。
「それでは、皆さんにはやりにくいでしょうね」
「霧隠れの暗部は腑抜け揃いだ」
 再不斬は吐き捨てた。
「一両日中に方をつける。支度しろ」
「わかりました」
 白は椀を下げた。
 西山老。
 名前だけは聞いたことがある。理も情も兼ね備えた人格者で、その技は秋天の如く冴え渡っていた、と。
 おそらく少年時代、再不斬も教えを受けたことがあるはずだ。その師の首を獲らねばならぬ。
 「鬼人」ならやるだろう。なんの逡巡もなく。霧隠れの上層部はそう考えたに違いない。
 ええ。やりますよ、再不斬さん。あなたがやれと言うのなら。
 千本の手入れをしながら、白は思った。
 苦しませずに。一瞬のうちに。
 あなたはその方法を教えてくれた。ぼくは忠実に、それを実行するだけ。
 だから、何も考えないでください。あなたは何も。



 この身は器。使うのは、あなた。
 空蝉の世にあるうちは。



 (THE END)




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