荒れ野を渡る音   byつう








 昼から夜に向かう、逢魔が刻であった。
 岩の国と雪の国の国境地帯には渺々(びょうびょう)とした原野が広がり、晩秋の風が枯色の地を吹き抜けていく。背の低い木々のあいだを、その風に負けぬ速さでふたつの影が移動していった。




 雪の国は小国ではあるが、影を冠する五大国の中央と縁が深く、いずれからも内政に干渉されぬよう、じつにうまく動いていた。つかず、離れず。それが雪の国の外交政策の基本だった。が。
 先年、長きにわたって御座にいた国主が没してから、少しずつ変化が現れた。より多くの富を。そう願う者たちは、先達の苦労を知らずに暮らしてきたのだろう。いかにも安直に、なにをしても自分たちは大丈夫だと思い込んだ。その結果。
 雪の国の執政者の幾人かは岩の国の怒りを買った。
『慮外者が』
 とはいえ、岩の国が直に動くことは対外的にもはばかられる。熟考の末、岩の国は外部にそれを依頼した。
 あとくされのない、流れの忍に。





 低木の陰に野営用の天幕をしつらえる。
「再不斬さん」
 白は、焚火の前で武具の手入れをしている男に声をかけた。
「ぼくが宿直(とのい)をしますから……」
 先に休んでもらおう。そう思った。今回の仕事が、再不斬にとって不本意なものであったことは白にもよくわかっていたから。
 霧の国を抜けて各国を巡るようになってから、意に沿わぬことは多々あったが、自分に従ってきた者たちのため、再不斬はそれを受け入れてきた。ふたたび霧の国に対峙するためには、それなりの基盤が必要だ。どんな仕事であろうと、金になるものならば引き受けて。
 今回は、その最たるものだった。自らの手を汚すことを厭い、他者に始末を任す。それだけならよくある話だが、岩の国は自分たちまでも消そうとしたのだ。口封じのために。
 「鬼人」相手に、ばかなことを。
 すべてが終わったあと、白は独白した。百に近い屍の中で。
『余計な仕事をさせてくれて』
 再不斬が吐き捨てるように言った。
『長居は無用だ』
 骸を打ち捨てたまま、再不斬は岩の国を出た。
 そして、いま。
 自分たちはこの原野にいる。
 再不斬がなにゆえ、わざわざ雪の国へ向かうのかはわからない。つい先日、まつりごとの中枢にいた者たちを暗殺したばかりなのに。
 当然ながら、雪の国は暗殺者の追跡を行なっているだろう。五大国ほどではないが、雪の国にも優秀な忍やもののふ(武士)はいるのだから。
「これが終わったら、な」
 固い声で、再不斬は言った。白は頷いた。
 天幕に入り、横になる。休息も仕事のうちだ。再不斬の真意はわからないが、明日にはまた雪の国に入る。そのときに十分な働きができるようにしておかなくては。
 白は目をつむった。





 どれくらいの時間がたったか。
 天幕にひんやりとした夜風が滑り込んできた。
「再不斬さん」
 上体を起こそうとしたが、それはやんわりと遮られた。ぱさりと、なにかが落ちる音。それは、再不斬の口布だった。
 どういうことなのだろう。こんな危うい状況下で……。
 考えている間に、体を返された。下衣に手がかかる。
 わからない。でも、それがあなたの望みならば。
 ひざをつき、腰を上げる。するりと下衣が降ろされた。探るように、その場所に指が進む。
 力を抜いた。なるべく早く、あなたが望む通りになるように。これまでのあれこれを思い出し、先にあるものに心を飛ばす。
 前にも手が回ってきた。いいのに。そんなことまでしなくても。
 白は再不斬の手をそっと払った。自分でその続きを行なう。うしろの動きに合わせて、でも、早すぎないように。
「白……」
 名が呼ばれた。耳の奥に染み入る。痺れにも似た感覚が全身を駆け抜けた。
 脚をさらに広げる。指が逃げて、かわりに熱くたぎったものが侵入してきた。
「……!」
 ことばにならぬ声が出た。これはいつものこと。この瞬間だけは、はじめての日と変わらない。いくたび枕を重ねようと。
 あなたに求められている。自分のすべてがあなたのものなのだと感じられる瞬間。それはなにものにも替えがたい喜びだった。
 強い力で腰を掴まれる。揺らされる。中で荒れ狂うものが、思考を奪っていく。
「ザ……」
 名前を呼ぼうとしたが、それは果たせなかった。





 めずらしく、続けて求められた。
 原野を吹き抜ける風の音を聞きながら、白は再不斬の熱い体を身の内に感じていた。さきほどのような性急さはない。きっと、この人の中で、なにかが変わったのだろう。踏ん切りがついたとでも言うべきか。
 肩が抱かれる。上体が持ち上げられた。いいのだろうか。こんな体勢で。
 結界は張ってあるが、これではいざというときに動けない。むろん、そのときは自分が盾になれば済むことだが。
 白の戸惑いを察したのか、再不斬はにんまりと笑った。
「かまわん」
 ひざを抱える。交わりが深くなり、白は身を震わせた。
「いい子だ、白」
 呪文のようなことば。
 それだけでいい。ほかには、なにもいらない。
 白は応えた。体で、心で、すべてで。
 夜陰の中、うなるような風の音と、互いを求める声が流れていった。





 雪の国に自分たちを売り込む。
 再不斬はそう考えていた。そんなことができるわけがない。白は思った。なにしろ、自分たちは……。
「政敵がいなくなって、喜んでいる輩もいる」
 再不斬は断じた。それは、そうかもしれない。雪の国の中枢にいたのは、いわゆる世間知らずの門閥貴族が多く、その者たちが先代までの苦労を水泡に帰したのだから。
 もしかしたら、今回のことは雪の国にとって、膿を出すにはちょうどよかったのかもしれない。それならば。
 雪の国が自分たちを傭うこともありうる。岩の国への牽制も兼ねて。
 再不斬はそれを狙っているのか。白は合点した。雪の国と組めば、自分たちを軽んじた岩の国に報復することも可能だ。
「話が決まれば、ほかの者たちも呼び寄せる」
「はい」
 天幕をたたみながら、白は頷いた。



 空の色は薄かった。乾いた風が枯れ草を鳴らして通り過ぎていく。
 春には、この原野にも新しい命が芽吹く。早緑の中に吹く風は、また違った音と匂いを運ぶだろう。そのころには。
 自分たちはどこにいるだろう。どうしているだろう。先のことはわからないけれど。
 たったひとつわかっていることは、どんなときも、どこにいようと、自分がこの人とともにあるということ。
「行くぞ、白」
 口布を巻いた横顔が告げる。
「はい。再不斬さん」
 生まれたばかりの日の光の中、ふたりの忍は荒れ野を駆けた。



  (THE END)




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