青の証明 byつう








 七班は、少しずつではあるが着実に任務を重ねていった。
 指導教官であるカカシが、三人の個性をうまく引き出している。ときには争わせ、ときには自分が悪者になって三人の結束を固めさせ。時に応じて状況を俯瞰する力は、四年前の彼からはまったく想像もつかないものだった。
 どれほどの修錬を積んだのだろう。体だけではなく、心の。
 あの男の心はほとんどゼロの状態だった。人というものを、その人が集まって作る世の中というものを、なにひとつ知らない男。たったひとつ知っていたのは、人を殺す方法だけ。
 人を殺したときだけ、あの男は人と接点を持つことができた。命じられるままに人を殺め、「ご褒美」をもらう。そのときだけ。
 あのころのカカシを思い出すたびに胸が痛む。まかりまちがえば、自分もあの男をただの道具として扱うところだったのだ。
 もし、火影の下命に忠実に従っていたら。
 自分は暗部の内情を探るために送り込まれた「手」だった。カカシに近づいたのも、内偵をスムーズに運ぶための一手段にすぎなかった。それが。
 次々と予想外のことが起こり、結局、自分は封じていた過去の感情を解放してしまった。「人」としての感情を。
 一度は、滅してもかまわないと思った。自らの意志で愛した者と一緒なら、と。
 なんの作為も打算もない、湧き出る感情のままに愛した相手だから。
「あっれー、どうしたんですか。イルカ先生ともあろう人が」
 間延びした声が、戸口から聞こえた。はっとして顔を上げる。
「いっくらヒマだからって、昼間っからなにトリップしてんですか。あ、さては、イチャパラの新刊が気になって仕方がないとか……」
「もう読みました」
 ぴしゃりと言う。
「えーっ! どこで買ったんですか。発売はあしたのはずでしょ」
 かなり真剣な様子で、カカシは叫んだ。
「買ったわけじゃありませんよ」
「じゃ、だれかからもらったとか?」
「商店街の古本屋で……」
「古本屋で、どうして発売前の新刊が手に入るんですかっ」
「……話は最後まで聞いてください。そこの本屋は、印刷所から、ちょっとした汚れのある品を横流ししてもらってまして」
 それをこっそり早めに売ろうとしていたところを押さえて、証拠品として没収した。イルカは報告書の作成のために、昨日、ざっと流し読みをしたのだ。
「いいなあ、イルカ先生。オレもそーゆー任務だったらよかったのに。もう、毎日毎日、あいつらのお守りじゃ疲れちゃってー」
「愛読書持参でできる任務でしょ。けっこうなことじゃないですか」
「あーっ、冷たい! いくらこないだ、ちょっとちがうコトしたからって……」
 ごん。
 たまたま手元に置いていた辞書で、目の前の男の頭を叩いた。
「……ったー。もう、なにすんですかっ。辞書は言葉を調べるもので、武器じゃありませんよー」
「非常時は、どんなものでも武器になりえます。アカデミーでも、そう教えてますから」
「非常時って……」
「公の場で、不用意なことを言わないでください」
 いくら昼休みで、ほかの職員がいないからといって、なにもあんなことを口にしなくてもいいではないか。きっといま、自分の脳波はかなり乱れているだろう。血圧も上がっているかもしれない。なにしろ、先夜のあれこれをしっかり思い出してしまったのだから。
「……怒った?」
 ぼそり、とカカシ。
「ねえ……」
「怒ってませんよ」
 ため息まじりに、言う。
「ただ、ちょっと気をつけてほしいだけです」
「うん。気をつける」
 殊勝な態度で、銀髪の上忍は頷いた。
「……お読みになりますか」
「え?」
「イチャパラの新刊です。もちろん持ち出し不可ですが……」
 事務局の応接間で読むぶんには、問題あるまい。もっとも、いま読んでも、この男ならちゃんと自分用に一冊購入するだろうが。
「うんっ。読む読む! やっぱり、イルカはやさしいなー」
「カカシ先生」
 先生、の部分に力を入れる。
「ここは、事務局です」
 褥の中じゃないんだぞ。しっかと見据えて、続ける。
「上忍としてのお振舞いができないのでしたら、お引き取りください」
 いつ、だれが入ってくるかわからないのだ。少なくとも、アカデミーの中では物言いに注意してほしい。
「……さすがですねえ」
 教官の面に戻って、カカシは語を継いだ。
「お見事ですよ、イルカ先生」
 カカシもまた、先生、の部分に力を入れた。
「じゃ、オレは引き上げます。昼から演習場使わせてもらっていいですか」
 ナルトたちに実戦演習でもさせるつもりか。イルカは予定表を調べた。
「池の回りなら、空いてます。裏山のコースは先約がありますので」
「わっかりましたー。んじゃ、今日は水遁責めだなー」
 鼻歌まじりに、戸口に向かう。扉に手をかけてから、いま思い出したかのように振り向いた。
「で、今日は定時の上がりですか」
 誘い。イルカは苦笑した。
「はい」
「じゃ、晩飯食いに行きましょう」
「わかりました」
 その答えを聞いて、カカシは藍色の隻眼を細めた。かたん。扉が、閉まった。




 ぼんやりとした月明りの中。
 敷布はもう意味を為さないほどに乱れていた。動きに合わせて、波立つように。
「ほーんと、別人なんだもん」
 強く腰を打ち付けながら、カカシは恨み言を言った。
「もしかして、まじで嫌われちゃったのかなーって」
 項を噛む。舐める。もう一度歯を立てる。
「だから……安心させてよ」
 甘えるような声。上体をねじられた。脇から下腹へと手が滑る。ぞわぞわとした感覚が沸き起こる。ふたつの場所で、違う刺激が与えられる。複合した、時間差のある快感に、どちらに身を任せたらいいのかもわからない。
「はっ……あ……あん……っ」
 より強い嵐を。息が上がる。体がふたつに裂かれそうだ。
「もっと……」
 カカシが囁く。耳元で、証しを求める。
 どこまで行けばいい。どこまで壊れればいい。全部やるよ。最後のかけらまで。おまえと一緒なら、砂のひと粒になったっていい。
 首に片手を回す。さらに内部がねじれる。カカシが呻いた。これぐらいは、いいだろう? もっと、って言ったんだから。
「……なーんか、やっぱ……イルカって、怒るとコワイ」
 そうだよ。おれはこわいんだ。本気だから。
 体も心も命も、全部、賭けてるんだから。
「ごめん」
 とうとう、カカシは言った。
「わかったよ。もう……ほんとに、わかったから……」
 口付け。震える唇で。
「いい?」
 窺うように、カカシが訊いた。イルカは腕をするりと下ろし、微笑んだ。
 いいですよ。もちろん。
 動きがなめらかになる。ひとつのものを目指して。
 声が出る。動きに合わせて、とめどなく。何度目かの波のあと、イルカは声を失った。




 安心、したのだろうか。
 カカシは眠っている。子供のように、無邪気な顔をして。
 わかっただろう? おれが、おまえの証しだよ。おれの全部が。
 それでも、きっとまたおまえは確かめたくなるのだろう。自分が、おれの中に居るかどうかを。
 短い夜の真ん中で、イルカはじっとカカシの寝顔を見つめていた。



(了)


戻る