秋蝉     byつう





 木の葉の国と雲の国にはさまれた森の国の山岳地帯に、龍尾連山と称される山脈がある。この山脈の東側には、西方の砦があり、雲の国は長きに渡ってここを対木の葉の最前線と位置づけていた。
 西方は一時期、木の葉の勢力下にあったが、数年前の停戦交渉の折りに雲の国に返還された。
 砦はその後、全面改築されたらしく、木の葉側が施した設備はことごとく廃棄された。里と直結していた連絡網も分断され、前にも増して強固な要塞として生まれ変わっていた。



 空が、遠くなったような気がする。
 西方の砦の物見矢倉の上で、セキヤは思った。
 あれから、何年になるか。イルカとここで工作活動を行なったとき、自分はまだ三十になっていなかった。いまはもう、不惑を越えた。時のたつのは、なんと速いのだろう。
 いや、過ぎた時間は皆、速く感じるのかもしれない。それゆえに苦しみも悲しみも、遠く思えるのだろう。そうでなければ、生きてゆけない。
 やさしい思い出だけを近くに置いて、人は歩いていくのだ。長い道程を。
「ここは、まだ蝉が鳴いてるんだね」
 梯子のような急な階段から顔だけ出して、刃が言った。
 この音が聞こえるとは、やはり耳がいい。風に乗ってかすかに聞こえてくる秋蝉の声。おそらく今日を限りに命を終えるだろう、途切れがちな鳴き声だった。
「連山でも南の方だからな」
 セキヤは答えた。刃はすぐ側に来て、格子から外を見遣った。
「あっちが雨の国、正面が木の葉、うしろが雲」
 刃はぐるりと、頭を巡らせた。うしろでひとつに結わえた長い黒髪が、さらりと揺れる。
「どこも引きそうにないんだろ」
「ああ」
「大きないくさになるね」
「たぶんな」
 刃はセキヤの腕を掴んだ。
「勝てると思う?」
「雲が、か?」
「違うよ。おれたちが勝てるかって訊いてるんだ」
 自分たちはいま、雲の国の傭兵だ。国の勝敗は当然、おのれの身にも関わってくるはずなのに。
 セキヤは微笑んだ。わかっているのだ。きっと。セキヤの頭の中に、雲の国の存亡など欠片もないということが。
 森の国と、木の葉の国。このふたつを潰さないために、あえて雲の国に雇われたのだ。もちろん、雲の国と「朱雀」の組織は、長年の付き合いがある。双方ともに腐れ縁とでもいうべきものだが。
「難しいところだな」
 セキヤは刃の手に、自分の手を重ねた。
「やつが出てくれば、俺も危ない」
 低い声。刃は唇を噛み締めた。
「……砂の国が、高氏の自治なんか認めなきゃよかったのに」
 今年の春、木の葉の国と砂の国との国界にある少数民族の郡が自治権を獲得した。高氏と呼ばれるその部族の自治を応援していた木の葉の部隊は、夏までにほぼ撤収し、前線基地にいたつわものや忍もそれぞれの里に帰還していた。
 その中に、あの男もいた。
 写輪眼のカカシ。この十年、常に最前線で戦い続け、生きながらにして「英雄」に列せられている男。
 カカシの行くところは最も困難ないくさばであるにも関わらず、ともに戦う者たちの生還率は他に類を見ないほど高かった。それがあの男を英雄たらしめ、伝説的な存在にしている。
「こっちの都合では動いてくれないよ。とくに砂の国は」
「融通がきかないのは、岩の国といい勝負だもんね」
「そうだな」
 セキヤはにんまりと笑った。声のトーンを微妙に変えて、続ける。
「ま、オレにもしものことがあっても、相手が『写輪眼のカカシ』なら納得できるでしょ」
「できない」
 刃はセキヤの手を払って、にらみつけた。
「できるわけないだろ。おれは、そんなこと認めない」
「刃……」
 セキヤはまじまじと刃を見た。まっすぐに向けられた黒い瞳には、なにものにも屈しない強い意志が宿っている。
「すまない」
 ひっそりと、セキヤは言った。
「しかし、今度ばかりはどう転ぶがわからない。覚悟はしておけ」
「してるよ。いつも」
 刃は断言した。
「覚悟ならできてる。けど、それとこれとは違うだろ」
 おれは、あきらめないから。
 言外の声がひしひしと伝わる。セキヤは刃を抱きしめた。
 そうだ。どう転ぶかわからないのなら、あきらめることなどない。どれほどあの男が強くても。
 セキヤは昨日のことを思い出していた。





 この一年あまり、木の葉の国は龍尾連山に着々と足場を築きつつあった。
 西方の砦の規模が拡大したため、それを警戒してのことと思われたが、むろん雲の国がそれを見過ごすはずもなく、連山に点在する木の葉の前線基地はことごとく攻撃の的となった。
 火影もさすがに性急すぎたと思ったらしく、新しく造った砦の半数を放棄することにして、雲の国との交渉に着手した。それが、三月ばかり前のことである。
 例によって、木の葉はかなりの譲歩を示した。が、それは表面上のことで、実際は雲の国がいちばん譲りたくない線はがっちりと押さえるという、じつに抜け目のない折衝案だった。
 前回は木の葉の言い分を飲んだ雲の国も、今度は退く気配はなかった。先年、丞相が急死して代替わりし、事実上兵部がまつりごとの実権を握ったせいもあろう。
 昨日、二国間の最終的な交渉が龍頭の砦で行なわれた。
 龍頭とは龍尾連山の北端にあることから、その名が付いた。連山の中では最も古い砦である。
 会談の二刻ばかり前。
 セキヤと刃は、すでに龍頭の砦にいた。
 いずれにしても、両国が公式に調停の席に着くのはこれが最後。木の葉側が雲の特使を暗殺して、一気にいくさに雪崩れ込むこともありうる。
 二人は砦の中をくまなく調べた。伏兵はいないか、トラップが仕掛けられてしないか。あるいは、時間差で作用する術がかけられていないか。
 結果、異状はないと判断し、セキヤは刃を特使のもとへ走らせた。
「万事、予定通りに、と」
「わかった」
 刃が姿を消したあと、セキヤは砦の中庭に腰を下ろして時を待った。
 会談のあと、双方とも無事に引き上げさせねばならない。木の葉側の随員が血の気の多いやつでなければいいのだが。
 まあ、じいさんだって無駄な血は流したくないだろう。特使はたいてい文官だし、その護衛に付くのは上忍のはず。
 ヒヨコ頭だったら押さえが効きそうだが、うちはの若造だと少々面倒だ。前のときのことを根に持ってるかもしれないし。
 そんなことをつらつら考えていると、微妙に空気の流れが乱れた。一点だけ、風の流れが止まる。
 なにか、来る。
 セキヤは反射的にその場から飛び退いて、気配を探った。
「いい日和だねえ、朱雀」
 頭上から、のんびりとした声が降ってきた。
 朱雀。
 その名で自分を呼ぶ者は……。
 セキヤは声のする方を仰いだ。東側の屋根に人影が見える。初秋の光の中、長身の男の銀髪が奇麗に揺れていた。
「こーんな気持ちのいい日に、待ち伏せ?」
「まさか」
 セキヤは答えた。
「そっちこそ、奇襲でもするつもりか」
「そんな無駄なことはしないよ」
 言うなり、カカシはひらりと中庭に降り立った。
 なるほど。どうやらこの男も、自分と同じことを考えたらしい。
 会談の前に、なんらかの細工が為されるのではないか、と。
 それにしても、カカシが来るとは意外だった。砂の国との攻防は一段落ついたとはいえ、岩の国の国境はまだごたごたしているし、雪の国が夏場に兵を動かしたし、しばらくはこちらに回されることはないと踏んでいたのに。
 火影は相当、焦っているのかもしれない。「写輪眼のカカシ」を投入してでも、連山の砦を確保したいのか。
 さて、どう出る。
 セキヤはカカシの動きを待った。カカシは微動だにしない。
 同じだな。あのときと。はじめて会ったとき、二人ともその場から動けなかった。
 先に動いた方が負ける。そう思ったから。
 しかし、あのときと絶対的に違うことがある。それは、この空気。
 カカシの周囲に流れる空気は、このうえなく穏やかだった。遠くで聞こえる静かな波のように。稲穂を揺らすやわらかな風のように。
 ずいぶんと変わったものだ。いくらかは予想していたが、これほどとは思わなかった。
 やはり、カカシの中にはイルカがいるのだろう。この男が生きるために、人として在るために、きっとイルカは自分のすべてを残していったのだ。
 カカシの手がすっと動いた。一瞬、緊張が走る。が、その手はクナイを握ることも印を結ぶこともなく、胸のあたりに触れて止まった。
「まあ、余計な手間はかけないということで」
 カカシは藍色の隻眼を細めて、続けた。
「そろそろ、引き上げるよ」
 とりあえず、今日の会談は無事に終わらせる。その点で二人の考えは一致していた。
「そうだな。引き上げよう」
 セキヤは同意した。カカシはわずかに首を縦に振り、すばやく地を蹴った。
 またたく間に姿が消える。気配が完全になくなったのを確認してから、セキヤも移動のための印を結んだ。





 そして。
 会談はつつがなく進行し、しかし予想通り折衝は不調に終わり、木の葉と雲は決裂した。
 刃の言うように、遠からず大きないくさになるだろう。そのときはおそらく、あの男が最前線に出てくる。
「セキヤ」
 下から、醍醐の声がした。
「なに?」
 セキヤは刃の体をはなして、答えた。
「邪魔して悪いが……」
 途中まで上ってきて、言う。
「いつものことじゃん。なによ」
「加煎が来たぞ」
「わかった。いま行く」
 木の葉側にあの男がいるのなら、最初から作戦を練り直さねばならない。
 セキヤは刃とともに、矢倉から下りた。



 木の葉の国と雲の国が西方の砦を中心とする激戦に突入したのは、その二カ月後のことだった。



(了)





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